ジョルジュ・ルオーのアトリエの「秘密」。画材や未完作品から独自の技法とその精神性に迫る

フランス語で「芸術家の仕事場」を意味するアトリエは、アーティストの第一級の史料だ。立地や採光といった制作環境、実際に使った材料・道具、つくりかけの作品や下絵は、制作の意図やプロセスを理解するためのこのうえない手がかりとなる。現在、パナソニック汐留美術館で開催中の「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」展(4月11日〜6月21日)では、20世紀フランスを代表する画家ジョルジュ・ルオー(1871~1958)がパリに構えた最後のアトリエを再現。初期から晩年までの名品とともに、創作の実相に迫る貴重な機会となっている。本展から見えてくるルオー独自の技法と精神性について、同館学芸員の古賀暁子と、修復士の森直義(CRIQUEアートコンサヴェーション代表)に話を聞いた。

聞き手・文=永田晶子 撮影=畠中彩

ジョルジュ・ルオーのアトリエ再現展示。左から修復士の森直義(CRIQUEアートコンサヴェーション代表)、パナソニック汐留美術館 学芸員の古賀暁子

──本展はジョルジュ・ルオーが晩年を過ごした最後のアトリエを、実際に使用した画材道具や家具を使って再現したコーナーが大きな見どころです。まず、パナソニック汐留美術館とルオーの関わり、そしてアトリエ再現が日本で実現した背景を教えてください。

古賀暁子(以下、古賀) 当館はルオー作品のコレクションを基盤に2003年に開館し、その後も継続的に収集を行い、現在は寄贈作品も含め、約270点のルオー作品を所蔵しています。近年はとくに、ルオーが師事した象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(1826~98)の作品や、モローのアトリエにいた時代に制作した初期の希少な作品の数々も加わり、より一層充実してきました。

 コレクション形成と並行して当館は、遺族が設立したパリのジョルジュ・ルオー財団と2013年にパートナーシップ契約を結びました。以来、財団にはルーに関する展覧会の企画や展示作品の選定、常設展示室「ルオー・ギャラリー」での小企画に関する助言に加えて、作品を購入する際に意見を伺うなど、様々なかたちでご協力をいただいています。そうして積み重ねてきた信頼関係をもとに、日本でのアトリエの再現展示が実現しました。

 パリ中心部にある財団の拠点には、ルオーが亡くなるまでの10年間を過ごした最後のアトリエが保存されています。研究者は入室を許可されることはありますが、一般公開は行っていません。本展は、門外不出と言われていた画材道具などとともに、このアトリエを財団の外で再現して公開する初めての機会となります。

ジョルジュ・ルオーのアトリエ再現展示の様子

──世界的にも貴重な展示の機会になるわけですね。パリのアトリエは、どのような空間ですか?

古賀 ルオーは1948年、12区・リヨン駅前にアトリエ兼自宅を構えました。ここは現在財団の拠点になっています。住居の一室を充てたアトリエは、収納場所を除くと面積約20平米と決して広くありませんが、室内には彼が使ったテーブルや描きかけのエボーシュ(画稿)、多種多様な画材、200本を超す絵筆、パレットナイフやスパチュラなどの道具類が彼の生前のまま置かれ、当時の空気が残っているようです。本展はこれらの画材道具や家具約400点を財団からお借りし、空間を会場内に再現展示しました。

 アトリエはルオーが日々制作に没頭し、一緒に住む家族も立ち入りを制限された聖域のような空間でした。天窓はないものの、南西側に面して昼間は多くの外光を取り込むことができ、通りを挟んだ向こう側には彼が愛した南仏地域へと通じるリヨン駅が見えます。展示では、そうした制作環境も再現しています。

──アトリエを構えた年、ルオーは77歳でした。当時どのような心境だったのでしょうか?

古賀 ルオーは1925〜30年代にかけて、ポール・セザンヌパブロ・ピカソを世に送り出した画商アンブロワーズ・ヴォラールから自邸の最上階をアトリエとして提供され、そこを主な拠点のひとつとして制作を行っていました。画商としてルオーを支えるいっぽう、完成を急かしたり、意にそぐわない制作を求めることもあったヴォラールは1939年に亡くなります。その意味でパリに最後のアトリエを構えたこの頃、ルオーはようやく何にも縛られずに自由に創作ができる状態になっていたと言えるでしょう。

 ルオーは2つの世界大戦を経験しています。とくに第二次世界大戦中は地方に疎開し厳しい環境のなか、限られた画材を用いて絵を描き続けた経験がありました。戦後のこの時期は、画材も比較的手に入りやすくなり、家族と一緒に暮らしながら、言わば理想的な環境で制作に向き合えたのではないでしょうか。

「完成」という概念の曖昧さ

──森さんはパナソニック汐留美術館が所蔵するルオー作品の保存修復に長く携わってこられました。

森直義(以下、森) 2006年からこれまでに40点を超す収蔵作品の状態と技法を調査しました。修復士の仕事は、洗浄や加彩を行う「修復」のイメージが強いかもしれませんが、実際には美術作品を劣化や損傷から守り、できるだけ現状を維持して「保存」するための調査と分析が中心です。そのためには作品を詳細に観察し、用いられている技法や素材を理解する必要があり、観察の積み重ねにより得られた知見は、この館の展覧会にも活用されてきました。本展では、財団から借用した画材道具や画稿などのコンサヴェーション(状態調査と維持管理)を担当しています。

展示作品について話す修復士の森直義

──森さんは、再現展示されたルオーのアトリエをどうご覧になりますか。

 たとえばピカソやアンリ・マティスら近代画家のアトリエと比べると、特殊でユニークだと思います。というのも、ルオーはイーゼルを立てて対象を見ながら描く伝統的スタイルを取らずに、テーブルの上で制作していたからです。なぜそうしたかと言えば、彼はキャンバスや板ではなく、紙に油彩画を描いたためです。彼の特異な制作方法が、作業したテーブルのかたちなどアトリエの設えにも反映されていると感じます。

──たしかに、あまり見たことがない扇状のテーブルですね。

古賀 ルオーが息子にデザインさせてつくらせたものと伝えられています。扇状をしているのは複数の絵を一度に見渡しながら制作するためで、彼は中央に立って何点もの作品に同時並行的に手を入れていたと考えられます。椅子もありますが、当時の写真や知人の回想録によるとほとんど座らずに立ったまま描いていたようです。

再現展示されたアトリエのテーブルの上に置かれているエボーシュ(画稿)

──テーブルの上に夥しい数のエボーシュ(画稿)が重ねて置かれているのも印象的です。

古賀 踊り子や額物のような枠、抽象的な図柄など様々なモチーフが紙に描かれ、ルオーが構想を練っていた作品やその下絵だと考えられます。制作する途中で、ルオーはそれらを乾きかけの状態のまま積み重ねたため、裏面には多数の絵具が付着しています。

 あれほど多数の画稿がアトリエに残っているのは、ほかの画家ではあまり見られない特徴です。これまでの調査結果によると、ルオーはしばしば完成状態の作品に再度手を入れ、描き続けることがあったと推測されます。彼にとって「完成」という概念自体が曖昧で、どの時点で作品を終わらせるかが固定されていなかったのかもしれません。

古賀 完成・未完成の問題に関しては、ヴォラールとの関係が象徴的です。先ほどお話したようにルオーはヴォラール邸に囲い込まれるようなかたちで一時期制作していましたが、ヴォラールは画商ですから作品を販売する必要があるわけです。ルオー自身はまだ描き続けたいと思っても、彼の求めに応じてサインを入れ、手離した作品は少なくなかったと考えられます。

 ヴォラールの死後、遺族はアトリエを封印しルオーの作品を差し押さえました。彼は「未完成の作品を仕上げる権利」を主張して裁判を起こし、最終的に688点の未完成作品を取り戻しました。そのうえで完成できないと判断した315点を焼却する決断を下しました。この出来事からも、ルオーにとって作品の「完成」を自ら決定することがいかに重要であったかがうかがえます。

──展示映像内のルオーが自らの手で次々と未完成作を火中に投じる場面は衝撃的でした。

 あれほどよく燃えたのは、支持体がキャンバスではなく紙だったからでしょう。支持体がキャンバスだと、あれだけの点数を一度に焼却するのは簡単ではありません。紙に描かれていたからできたのだと思います。

画面のなかで起きたことを手がかりに

──そもそもなぜルオーは紙に描いたのでしょうか? 通常、油彩画はキャンバスを用いることが多いかと思います。

古賀 初期の作品はキャンバスに描いたものもあり、紙に切り替えた時期や理由は定かではありません。紙に描いた理由のひとつとして、ルオーが紙馴染みの良い水溶性のグワッシュや墨、パステルなど複数の画材を併用する混合技法を取り入れたことが考えられます。

 たとえば和紙のような紙は、絵具を吸い取ると同時に繊維のなかに定着させます。もっともルオーは和紙ではなく、おもに厚手の西洋紙を使いました。紙は吸水性と定着性の両方を備えている点で支持体として理想的ですが、やはり柔らかすぎるので油彩画に用いた画家はあまりいません。

 この問題をルオーは独特の方法でクリアしました。まず紙に描き、恐らくそれらを選別して布で裏打ちし、その後に木枠に貼り付けてさらに堅牢性を確保しました。紙と布は一体化するので一見すると通常の油彩画のように見えます。過去の図録などでは「オイル・オン・キャンバス」と表記されてきた作品でも、科学的分析と研究が進んだ近年では、「油彩/紙(麻布で裏打ち)」といったように正確に素材を記すようになりました。

第4章「1940〜50年代ー最後のアトリエ」の展示風景

──本展の第4章では、表と裏の両面が見える状態で作品3点が展示されています。

 晩年の女性像《マドレーヌ》(1956)の裏面は、かなり絵具が付着しています。これは、ルオーが裏打ちした後も本作を描き続けたことを物語っています。途中でほかの作品と重ねて置いたようで、表面にも絵具の付着が見られます。

ジョルジュ・ルオー《マドレーヌ》(1956)紙(麻布で裏打ち)に油彩 49.1×34.2cm
《マドレーヌ》の裏面
《マドレーヌ》の裏面について話す森と古賀

──画面の汚れとも受け止められそうですが、ルオーは気にしなかったのでしょうか?

 少なくとも積極的に避けていたわけではないと思います。どこまで意識的だったかはわかりませんが、偶然生じた絵具痕を次のイメージの手がかりにした可能性があります。あらかじめ完成像を定めるのではなく、画面のなかで起きたことを手がかりに制作を進めていたのかもしれません。

古賀 《マドレーヌ》は、ルオーの死後、アトリエに残された作品の裏面に遺族が真作の証として印章を押したいわゆる「アトリエ作品」のひとつです。厳密に言えば未完成かもしれませんが、若い女性の輝くような生命感が明るい色彩で量感豊かに表現され、晩年の代表作と言ってもいい出来栄えだと思います。

 ルオーの作品は、裏面だけでなく、額装部分にも着彩が見られるものが少なくありません。新約聖書の一場面を描いた《エジプトへの逃避》(1952)は、絵具を厚く塗り重ねて凸凹を生み出す晩年特有の技法がよく表れている作品ですが、額縁まで彩色は及んでいます。ルオーは描き出すと、熱中するあまり筆が止まらなくなってしまうこともあったようです。

ジョルジュ・ルオー《エジプトへの逃避》(1952)紙(板で裏打ち)に油彩 39×33.5cm

制作と日常は地続きの関係

──ルオーの画材道具は、どうご覧になりましたか?

 まず面白く感じたのは、空のジャムの瓶やワインボトルなどの日用品を絵筆入れや画材容器に転用していたことです。様々な意匠のラベルも貼られたままで、当時のフランスの生活資料として見ても興味深い。制作と日常の暮らしが地続きだったルオーの様子がうかがえます。

 テーブルの上には水彩やグワッシュ、パステル、木炭、墨など多種多様な画材に加え、数種類のオイルの瓶や定規、霧吹き、アラビアゴム、ラベルの箱などがいつでも手に取れる場所に置かれています。大量にある油絵具チューブはどれも蓋がなく、開いたままです。いちいち蓋を閉めない、画材を片付けないということは、制作がつねに途切れなかった状態を示していると思います。

絵筆入れとして使っていた空のジャムの瓶
蓋が開いたままの油絵具チューブ
テーブルの上に所狭しと置かれた画材道具

──画材のなかに墨があるのが意外でした。作品に使っていたのでしょうか?

古賀 《日本の武士(武者絵)》(1928頃)と題した作品は墨が使われており、自由闊達な力強い線は水墨画を思わせます。馬の姿や武士の表情に躍動感があり、ルオーの卓越した素描力を感じます。自身の作品を収集していたパリ在住の日本人コレクターを訪問したときに持参した作品と考えられ、彼が日本美術に寄せた関心を示す貴重な1点と言えるでしょう。

 この作品では墨のほか、パステルや油彩を併用して画面に鮮やかな色彩を添えています。性質が異なる水溶性と油性の画材を混ぜて、巧みに使いこなしていますね。

ジョルジュ・ルオー《日本の武士(武者絵)》(1928頃)紙に墨、パステル、精油で溶いた油彩 45.8×35.5cm

──パレットナイフや小型のメスのようなものなど、道具も多種多様です。

 晩年のルオー作品は厚塗りの傾向が顕著に見られますが、じつは削る技法も駆使しています。異なる画材を重ねて複雑な層をつくり出し、それを上から削って下層を露出させ、画面に複雑な表情を生み出しています。

──画材の物質感が際立つ作品としては、皿の両面に描いた《古きヴェルサイユ(表)》と《花(裏)》(1950頃)が印象的です。表面は庭園と人物、裏面は花瓶と花束を、塗り重ねた絵具でボリューム感たっぷりに表現しています。

古賀 今回来日したルオーのご遺族より、ルオーはよく皿をパレット替わりに使用していたと伺いました。本作も、おそらくもともとはパレットとして使用していたのだと推測されます。

 わざわざ「皿に描こう」と考えたというよりも、制作で使ううちに皿の上で絵具の層が重なり、それが絵みたいに見えて作品にすることを思い立った──。そう考えた方が自然でしょう。偶然画面に付着した絵具から、自分のイメージを膨らませたのではないかという推測にも合致します。

ジョルジュ・ルオー《古きヴェルサイユ〈表〉》(1950頃)皿に油彩 42.6×51.6cm
ジョルジュ・ルオー《花〈裏〉》(1950頃)皿に油彩 41.5×50.8cm

──今回のアトリエ再現を通して、「ルオー像」に変化はありましたか?

 ルオーにとっての「完成」という概念の曖昧さと、イーゼルから離れた制作方法がより具体的に理解できました。彼の場合、作品はときに描き続ける過程を経てようやく世に出るものであり、制作は終わらないものだったのだと思います。

古賀 私も同じ印象を持ちました。アトリエはたんなる制作の場ではなく、ルオーの思考と制作プロセスが如実に現れている場所でした。今回の展示では、ルオーの創作の本質を、より深く鑑賞者の皆様に理解していただけるのではないかと思います。

編集部