REVIEW

制作は続く、「九州派のオチ・オサム」のその後。佐原しおり評「オチ・オサム」展

戦後の九州を代表する前衛美術集団・九州派の作家として知られるオチ・オサム。その美術館での初の個展が福岡市美術館で開催された。九州派時代の作品があまり残っていないことなど、これまでその全体像が掴みにくかったオチの作家性をどう浮かび上がらせるのか。本展での試みを東京国立近代美術館研究員の佐原しおりが読み解く。

2024.7.6

虚無の声を「解毒」する複層性。池上裕子評「ホー・ツーニェン エージェントのA」展

東南アジアを中心とした歴史的言説や文化的アイデンティティを、主に映像インスタレーションで描き出すホー・ツーニェン。東京都現代美術館で開催中の個展「ホー・ツーニェン エージェントのA」展では、それぞれの展示室で上映される作品が、時間によって変化するような構成を展開。美術史家の池上裕子が、本展の構造を考察するとともに、作家の関心や問題意識について論じる。

2024.6.12

T型フォード・畜産・駆除・ドローン。篠田ミル評「陸路(スピルオーバー#1)」

アートセンターBUGで、長谷川新キュレーションによる企画展「陸路(スピルオーバー#1)」が6月16日まで開催中だ。現代美術とクラブカルチャーの領域で活動するMES、デスヴォイスの表現で生態系の循環システムに切り込む林修平、時事的な関心事に関する意見や考えを交換日記の形式でシェアするFAQ?の3組が参加する本展を、メディア論を専門としながら、音楽家としても活動する篠田ミルがレビューする。

2024.6.6

社会的関与の芸術。清水穣評 城戸保「駐車空間、文字景、光画」展/野村浩「Painter」展

美術評論家・清水穣のレビューでは、城戸保「駐車空間、文字景、光画」展(HAGIWARA PROJECTS)、野村浩「Painter」展(POETIC SCAPE)の2つの個展を取り上げる。写真技術の誕生から絵画の在り方はどのように変化し、また、写真表現は絵画から何を受け取ったのか。長年主題のひとつとされてきた写真と絵画の関係性に照らし合わせながら、それらを行き来しながら制作を行う2作家について論じる。

2024.5.24

気配が写真する。椹木野衣評 高崎恵「Studio Nest Ⅱ」展

大分県国東市国東町で開催されている高崎恵によるプロジェクト「Studio Nest Ⅱ」展を、美術批評家・椹木野衣がレビュー。20年ほど前にドイツのインゼル・ホンブロイヒ美術館で遭遇したという「気配を感じる」美術体験をもとに語られる、高崎のプロジェクトやその作品はどのようなものか。現代における美術館システムがいかに気配を遮断する構造となっているかについて触れながら考察する。

2024.5.23

ライトを通じた近代建築の成立過程の描き直し。藤村龍至評「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」

20世紀を代表する建築家のひとり、フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)の回顧展「帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」が、豊田市美術館を皮切りに、パナソニック汐留美術館、青森県立美術館で開催されている。1990年代の日本国内で開催されてきたライト展と今回の展示では、その評価はどのように変化したのだろうか。また、ライトの建築がどのように「世界を結ぶ」のだろうか。その先進的な思想や高層建築時代の到来を予感させるようなタワーへの構想、そしてル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエ、アントニオ・ガウディといった建築家と比較しながら、藤村龍至が論じる。

2024.4.18

福祉やアートである前に。田中みゆき評「空気の人/分光する庭 鈴木康広」展

神奈川県・座間市の座間市役所で開催された「空気の人/分光する庭 鈴木康広」は、市役所の企画で開催され、当初の想定を大きく上回る来場者が集まった。相談支援の現場で働くひとりの職員の思いから始まった本展覧会の背景や福祉とアート、社会と個の関係性について、作家と企画者へのインタビューをもとにひも解く。

2024.4.4

ルイーズ・ブルジョワを起点に見る、アーティストたちの「身体」への問い。中嶋泉 評「コレクション2 身体———身体」

国立国際美術館で開催中の「コレクション2 身体———身体」。新収蔵され、国内初公開となったルイーズ・ブルジョワの《カップル》を起点に、多様な作品から「身体」を問いかける本展を、大阪大学准教授の中嶋泉がレビューする。

2024.3.30

「偉大なる凡才」の肖像。清水穣評「生誕120年 安井仲治」展

愛知県美術館で開催された「生誕120年 安井仲治」展を美術評論家・清水穣がレビューする。2004〜2005年に開催された初の大回顧展を踏まえ、新たな段階として展開される本展。そこから窺い知ることができる安井の美学や、古典的とも言える手法の数々について考察するとともに、その作品群は現代を生きる我々に何を語っているのかについて論じる。

2024.2.29

来たるべき「クルディスタン」絵画。椹木野衣評「優美で、優雅で、美しい、粗っぽさ  マドハット・カケイ展」

新潟県新潟市にある砂丘館で開催された「優美で、優雅で、美しい、粗っぽさ マドハット・カケイ展」を美術批評家・椹木野衣がレビュー。マドハット・カケイという画家のルーツや、そこから伺える作品の多色性、そしてこの砂丘館で本展が開催された意味やその作品の周縁に存在した人物たちについて考察する。

2024.2.27

遥かなる太平洋の島々の「根っこ(RamiS)」を探る。栖来ひかり評「第1回台湾国際オーストロネシアン・アート・トリエンナーレ」

屏東の台湾原住民族文化園区 で、台湾原住民が属するオーストロネシア語系を枠組みとする国際展「台湾国際オーストロネシアン・アート・トリエンナーレ」がスタートした。第1回のテーマは、古代オーストロネシア語で「根っこ」を意味する「RamiS(ラミース)」。本展の画期性を台湾在住の栖来ひかりが読み解く。

2024.2.14

ロシア宇宙主義が照射する私たちの現在。金澤韻評「第14回上海ビエンナーレ」

「Cosmos Cinema」をテーマに、第14回上海ビエンナーレが3月31日まで上海当代芸術博物館で開催中。ロシア宇宙主義の研究としても知られるアーティスト、アントン・ヴィドクルをアーティスティック・ディレクターに迎えた今回のビエンナーレをインディペンデントキュレーター・金澤韻がレビューする。

2024.2.4

ポストパンデミックの視点で見る、いくつもの「現在」。田中雅子評「遠距離現在 Universal / Remote」展

パンデミックを契機として、社会の在り方や私たちの暮らし、労働は大きく変化した。こうした社会状況を現代美術を通して考察する「遠距離現在 Universal / Remote」展が熊本市現代美術館で開催された。同展を、インディペンデント・キュレーターの田中雅子がレビューする。

2023.12.27

私とは、私たちとは、いったい何者なのか? 奥野克巳評。大小島真木個展「私ではなく、私ではなくもなく ”not〈 I 〉, not not〈 I 〉“」「千鹿頭 A Thousand Deer Heads」。

「絡まり、もつれ、ほころびながら、いびつに循環していく生命」をテーマに制作活動を行うアートユニット・大小島真木。秋から冬にかけて東京で開催の2つの個展「私ではなく、私ではなくもなく ”not〈 I 〉, not not〈 I 〉“」、「千鹿頭 A Thousand Deer Heads」(〜2024年1月14日)では、絵画、彫刻、映像作品の新作を発表した。2つの展示で大小島が提起する問いを人類学者の奥野克巳が考察する。

2023.12.22

幽霊はどこにでもいる。清水穣評「幽霊の道具」展

スプラウトキュレーションで開催された「幽霊の道具」展 を美術評論家・清水穣がレビュー。宇田川直寛、横田大輔、草野庸子、濵本奏、古田直人、渡邊聖子ら6名の写真家による作品から、写真の現在形を紐解き、観測する。そこ見られた特徴や傾向は何か、そこから外れる作家の視点はどこにあるのかを考察する。

2023.12.2

わずかな大地を根が掴む。椹木野衣評「ここに根をはる ─津波のあとの植物たちとその環境」展

「せんだい3.11メモリアル交流館」で開催された倉科光子による「ここに根をはる ─津波のあとの植物たちとその環境」展を美術批評家・椹木野衣がレビュー。地層の変化がもたらす植物の動きをとらえた倉科による水彩画を、椹木が自宅の庭の様子と重ね合わせながら論じる。

2023.12.2

「おいしい絵画」に逆らって。清水穣評「サーニャ・カンタロフスキー『After birth』展」

タカ・イシイギャラリーが新スペースを京都にオープン。そこで、モスクワ出身のアーティスト サーニャ・カンタロフスキーによる絵画展「After birth」がこけら落としとして開催された。昨今、現代美術のマーケットにおいてもてはやされる絵画(「おいしい絵画」)からは一線を画すカンタロフスキーの作品について、美術評論家・清水穣がその特徴について論じる。

2023.9.5