聴く、歩く、そして放つ──「光の地」光州への応答。古川美佳評「光州ビエンナーレ2024 日本パビリオン」
12月1日まで韓国・光州市で開催されている第15回光州ビエンナーレ。今年、同ビエンナーレに初出展した福岡市主導の日本パビリオンでは、批評家・文化研究者の山本浩貴のキュレーションのもと、アーティスト・内海昭子と山内光枝の作品が展示されている。光州の地において、日本パビリオンで繰り広げられた表現を朝鮮美術文化研究者の古川美佳がレビューする。
12月1日まで韓国・光州市で開催されている第15回光州ビエンナーレ。今年、同ビエンナーレに初出展した福岡市主導の日本パビリオンでは、批評家・文化研究者の山本浩貴のキュレーションのもと、アーティスト・内海昭子と山内光枝の作品が展示されている。光州の地において、日本パビリオンで繰り広げられた表現を朝鮮美術文化研究者の古川美佳がレビューする。
今年7月、仙台のGallery TURNAROUNDで大阪を拠点に活動するアーティスト・笹原晃平の個展が開催。彼のこれまでの制作とともに、地域や社会と深く関わる実践的なアートプロジェクト「社会実践ポストポン」を中心に展開された。笹原の芸術実践における「余白」に着目し、それがどのようにしてソーシャリー・エンゲージド・アートの可能性を広げるかについて、文化研究者の山本浩貴が論じる。
東京・銀座のギンザ・グラフィック・ギャラリーで開催された第402回企画展「八木幣二郎 NOHIN: The Innovative Printing Company 新しい印刷技術で超色域社会を支えるノーヒンです」を、映像作家・橋本麦がレビュー。3DCGを用いた視覚表現と、それを実現するための印刷技術の試行錯誤について、ソフトウェアの特徴と八木によるテクノロジーの解釈の視点から掘り下げる。
愛知・名古屋のSee Saw gallery + hibitで開催された長谷川繁+城戸保「ペイン天狗とホト愚裸夫」展を美術評論家・清水穣がレビュー。形式が固定されがちな2人展をユニークで面白くするためには、「互いに素」であるアーティストらのあいだになんらかの関係性を成立させる必要があると清水は語る。清水曰くその好例である本展は、一体どのようなものなのだろうか。
東京・恵比寿のMEMで開催された池田一憲、本田健による二人展「霧のふるさと」を美術批評家・椹木野衣がレビューする。本展はふたりの長年の交友関係から企画されたものだが、このふたりをつなぐ人物として作家・殿敷侃の存在があるという。展覧会の意図、そして三者のつながりとはどのようなものか。三者にとっての「霧のふるさと」はどこにあるのか。それぞれの経歴や技法、哲学を紐解きながら考察する。
中国・杭州のBY ART MATTERS(天目里美術館)で開催された「古道具坂田 僕たちの選択」展。「古道具坂田」店主・坂田和實が扱ってきた400点以上の品々が、現代美術家・青柳龍太のキュレーションによって美術館の空間に並べられた。その展示空間からは何を読み取ることができるのか。美術批評家・沢山遼によるレビューをお届けする。
ポーラ美術館で現在開催中の「フィリップ・パレーノ:この場所、あの空」。この展覧会でも中心的な存在と言える映像作品《マリリン》(2012)を、パリ国立高等美術学校教授のクレリア・ゼルニックが読み解く。
戦後の九州を代表する前衛美術集団・九州派の作家として知られるオチ・オサム。その美術館での初の個展が福岡市美術館で開催された。九州派時代の作品があまり残っていないことなど、これまでその全体像が掴みにくかったオチの作家性をどう浮かび上がらせるのか。本展での試みを東京国立近代美術館研究員の佐原しおりが読み解く。
東南アジアを中心とした歴史的言説や文化的アイデンティティを、主に映像インスタレーションで描き出すホー・ツーニェン。東京都現代美術館で開催中の個展「ホー・ツーニェン エージェントのA」展では、それぞれの展示室で上映される作品が、時間によって変化するような構成を展開。美術史家の池上裕子が、本展の構造を考察するとともに、作家の関心や問題意識について論じる。
アートセンターBUGで、長谷川新キュレーションによる企画展「陸路(スピルオーバー#1)」が6月16日まで開催中だ。現代美術とクラブカルチャーの領域で活動するMES、デスヴォイスの表現で生態系の循環システムに切り込む林修平、時事的な関心事に関する意見や考えを交換日記の形式でシェアするFAQ?の3組が参加する本展を、メディア論を専門としながら、音楽家としても活動する篠田ミルがレビューする。
美術評論家・清水穣のレビューでは、城戸保「駐車空間、文字景、光画」展(HAGIWARA PROJECTS)、野村浩「Painter」展(POETIC SCAPE)の2つの個展を取り上げる。写真技術の誕生から絵画の在り方はどのように変化し、また、写真表現は絵画から何を受け取ったのか。長年主題のひとつとされてきた写真と絵画の関係性に照らし合わせながら、それらを行き来しながら制作を行う2作家について論じる。
大分県国東市国東町で開催されている高崎恵によるプロジェクト「Studio Nest Ⅱ」展を、美術批評家・椹木野衣がレビュー。20年ほど前にドイツのインゼル・ホンブロイヒ美術館で遭遇したという「気配を感じる」美術体験をもとに語られる、高崎のプロジェクトやその作品はどのようなものか。現代における美術館システムがいかに気配を遮断する構造となっているかについて触れながら考察する。
20世紀を代表する建築家のひとり、フランク・ロイド・ライト(1867〜1959)の回顧展「帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」が、豊田市美術館を皮切りに、パナソニック汐留美術館、青森県立美術館で開催されている。1990年代の日本国内で開催されてきたライト展と今回の展示では、その評価はどのように変化したのだろうか。また、ライトの建築がどのように「世界を結ぶ」のだろうか。その先進的な思想や高層建築時代の到来を予感させるようなタワーへの構想、そしてル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエ、アントニオ・ガウディといった建築家と比較しながら、藤村龍至が論じる。
神奈川県・座間市の座間市役所で開催された「空気の人/分光する庭 鈴木康広」は、市役所の企画で開催され、当初の想定を大きく上回る来場者が集まった。相談支援の現場で働くひとりの職員の思いから始まった本展覧会の背景や福祉とアート、社会と個の関係性について、作家と企画者へのインタビューをもとにひも解く。
国立国際美術館で開催中の「コレクション2 身体———身体」。新収蔵され、国内初公開となったルイーズ・ブルジョワの《カップル》を起点に、多様な作品から「身体」を問いかける本展を、大阪大学准教授の中嶋泉がレビューする。
愛知県美術館で開催された「生誕120年 安井仲治」展を美術評論家・清水穣がレビューする。2004〜2005年に開催された初の大回顧展を踏まえ、新たな段階として展開される本展。そこから窺い知ることができる安井の美学や、古典的とも言える手法の数々について考察するとともに、その作品群は現代を生きる我々に何を語っているのかについて論じる。
近代のグラフィックデザインを振り返るとともに、DTP(Desktop Publishing)が主流となった1990年代以降のデザインをひも解く21_21 DESIGN SIGHTの企画展「もじ イメージ Graphic 展」。評論家の塚田優が、本展の構造を分析しつつ、本展が提示するこれからのデザイン像を考える。
新潟県新潟市にある砂丘館で開催された「優美で、優雅で、美しい、粗っぽさ マドハット・カケイ展」を美術批評家・椹木野衣がレビュー。マドハット・カケイという画家のルーツや、そこから伺える作品の多色性、そしてこの砂丘館で本展が開催された意味やその作品の周縁に存在した人物たちについて考察する。
屏東の台湾原住民族文化園区 で、台湾原住民が属するオーストロネシア語系を枠組みとする国際展「台湾国際オーストロネシアン・アート・トリエンナーレ」がスタートした。第1回のテーマは、古代オーストロネシア語で「根っこ」を意味する「RamiS(ラミース)」。本展の画期性を台湾在住の栖来ひかりが読み解く。
「Cosmos Cinema」をテーマに、第14回上海ビエンナーレが3月31日まで上海当代芸術博物館で開催中。ロシア宇宙主義の研究としても知られるアーティスト、アントン・ヴィドクルをアーティスティック・ディレクターに迎えた今回のビエンナーレをインディペンデントキュレーター・金澤韻がレビューする。