
地域レビュー(東京):石田裕己評「松元悠 断片親子」「葭村太一 ランダムエンカウント」
ウェブ版「美術手帖」での地域レビューシリーズ。本記事は、石田裕己が今年9月から10月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、松元悠個展「断片親子」と葭村太一「ランダムエンカウント」を取り上げる。2つの展覧会から、メディアの効力への抵抗について考察する。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューシリーズ。本記事は、石田裕己が今年9月から10月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、松元悠個展「断片親子」と葭村太一「ランダムエンカウント」を取り上げる。2つの展覧会から、メディアの効力への抵抗について考察する。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューシリーズ。本記事は、齋木優城(キュレーター)が今年9月から10月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、下司悠太「What's Entertainment?」と百瀬文「ガイアの逃亡」を取り上げる。2つの展覧会より、社会、政治、身体のかかわりを、美術を通じて考え直す試みについて考察する。

京都国立近代美術館コレクションにおける戦後アメリカ美術の不在への関心から、「キュレトリアル・スタディズ16」企画者の渡辺亜由美は、日本とアメリカで育ったアーティスト・荒木悠を迎え、日系移民作家の視点を通じた「もうひとつのアメリカ美術史」を掘り起こすことを試みた。本展での荒木悠の作品は、歴史叙述と個人史を攪乱しながら再編する“欺術”の装置として機能し、日系画家である国吉康雄、石垣栄太郎、野田英夫らの作品に潜む複層的な視線を照らし出す。この意欲的な試みを美術史研究の池上裕子が読み解く。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、柴山陽生(横浜国立大学)が関東圏(東京を除く)で開催された展覧会のなかから、新たなフェーズへと進んだ柴田敏雄の個展「Water, Land, and Seed」(鎌倉画廊)と、災禍にあった土地の物語をつなぐ小森はるか+瀬尾夏美の「つくりかけラボ19 小森はるか+瀬尾夏美|へびと地層 風景から生まれる物語」(千葉市美術館)の2つを取り上げる。

ウェブ版「美術手帖」の地域レビューでは、九州地方で開催された2つの展覧会──北九州市立美術館 本館を舞台に行われた中島佑太によるワークショップを紹介する展覧会と、戦後80年の節目として長崎県美術館で企画された展覧会──を取り上げる。各美術館の姿勢と、それに対して鑑賞者はどのような応答をすることができるのか。福岡市美術館 学芸員の忠あゆみが論じる。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、筒井彩(ふくやま美術館学芸員)が、戦後80年を迎えた広島において、戦禍や街、あるいは人々の記憶をつなぐ中国地方の3つの展覧会を取り上げる。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのシリーズ。本記事は、原田美緒(東京都現代美術館学芸員)が今年9月から10月にかけて東京で開催された展覧会のなかから、深田拓哉と北川光恵による2つの展覧会を取り上げながら、距離による「分断」について考察する。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では尺戸智佳子(黒部市立美術館学芸員)が、彫刻家・毛利武士郎の制作や人間像を捉え直した「シーラカンス開館10周年 武士郎の多相世界」(シーラカンス 毛利武士郎記念館)と、ガラスを素材に呼吸を具現化する作家・小林千紗「小林千紗のガラス−ゆれる呼吸−」(Gallery O2)の2展を取り上げる。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では武澤里映(兵庫県立美術館学芸員)が、海外で活躍しながらもその評価の根幹にあるオリエンタリズム的な視点を慎重に排除して紹介する「松本奉山ー水墨画で世界を描くー」(大阪大学総合学術博物館)と、「非暴力」という言葉の射程への問いが喚起される「国際的非暴力展#SUM_MER_2025」(京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA)の2展を取り上げる。

文化研究者・山本浩貴が石川県野々市市のギャラリー「ルンパルンパ」の展示を通して、「ソーシャリー・エンゲージド・アート」を教えることの可能性、現代アートの大都市中心主義への抵抗の必要性を紐解く。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。河村清加(浜松市鴨江アートセンター)が、東海地方で開催された展覧会のなかから3つの展覧会を取り上げる。移り変わる物事に訪れる終わり、そしてはじまり。そのような揺れ動きに対して、ミュージアムはどのような存在となりうるのだろうか。

寺田倉庫がTokyo Gendaiと連携し、天王洲で開催した「TENNOZ ART WEEK 2025」。その目玉のひとつとして、寺田倉庫G3ではナイル・ケティングが日本で約10年ぶりとなる大規模な作品《Blossoms – fulfilment》を発表した。展覧会の「鑑賞(者)」に着目したパフォーマティブ・インスタレーションを、哲学者・田村正資がレビューする。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では大槻晃実(芦屋市立美術館学芸員)が、「美術」と「歴史」という普遍的テーマを作品を通じて問い直した展覧会「美術の歴史と歴史の美術」(和歌山県立美術館)と、国家による宗教統制の歴史を現代に伝える茨木市立キリシタン遺物史料館の2展を取り上げる。

戦後80年の今年、日本各地では戦争を題材にした展覧会・アートプロジェクトが多く開催された。そのなかから、「コレクションを中心とした特集 記録をひらく 記憶をつむぐ」(東京国立近代美術館)およびコレクティブ「爆心へ」の試みをレビュー。銃後の女性に着目し、戦争をめぐる新たなナラティブについて考える。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事は、山﨑香穂(東京都写真美術館学芸員)が今年7月から9月にかけて東京で開催される展覧会のなかから、「野村在 どうしようもなくかけがえのない」、「MAMプロジェクト033:クリスティーン・サン・キム」を取り上げる。2つの展示から、「聞く」以外の行為による「音」との対峙について考察する。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事は、塚本麻莉(高知県立美術館主任学芸員)が四国で開催された展覧会のなかから、3つの展覧会を取り上げる。竹崎和征と猪熊弦一郎の作品から、作家の死後、その存在と作品の継承を考える。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、柴山陽生(横浜国立大学)が関東圏(東京を除く)で開催された展覧会のなかから、2つを取り上げる。戸田沙也加と小林万里子、アンドレア・マイヤーズによる作品から、人間と植物、そして環境とのつながりを考察する。

ウェブ版「美術手帖」での地域レビューのコーナー。本記事では、黒沢聖覇(キュレーター)が奄美大島の泥染を起点とした展覧会「考土 code -奄美-」(Mikke Gallery)と、オーストラリア先住民女性アーティストの表現を取り上げた「彼女たちのアボリジナル・アート」(アーティゾン美術館)の2展を批評的に取り上げながら、場所固有の伝統や記憶が、東京という都市空間においていかに再解釈されるのかを探っていく。

福岡にある田川市美術館で開催された「像の旅 伊藤高志映像実験室」展を美術評論家・清水穣がレビューする。伊藤高志のコマ撮り実験映像から読み解く、伊藤が追求した芸術の核とは?

石川にある金沢21世紀美術館が主催する「AIR KANAZAWA」に招聘されているSIDE COREが、同アーティスト・イン・レジデンスの成果報告プログラムとして開催した「SIDE COREとともに『 能登半島に行く』」「SIDE COREとともに『野焼き』」を美術批評家・椹木野衣が評する。能登半島で経験したビジティングプログラムを発端に生まれた「つながり」について椹木が考察する。