REVIEW

素材と作品の逆転に見る「膠」の姿。小金沢智評 「膠を旅する──表現をつなぐ文化の源流」

武蔵野美術大学の共同研究「日本画の伝統素材『膠(にかわ)』に関する調査研究」の成果発表展として、同大学の美術館・図書館で 「膠を旅する──表現をつなぐ文化の源流」が開催された。膠づくりの歴史的・社会的背景を見つめ直す本展では、現地調査のドキュメントを中心に、実物資料や同館所蔵の日本画を紹介。膠という素材を通して見えてくるものとは何か、キュレーターの小金沢智がレビューする。

2021.8.3

作品を「復活」させるとはどういうことか。平諭一郎評「宇佐美圭司 よみがえる画家」展

2018年、東京大学中央食堂に展示されていた宇佐美圭司の絵画作品《きずな》が、過失により廃棄されたことが発覚した。この件の反省を経て、同大学にて本作の再制作を含む宇佐美の回顧展が開催された。本展について、芸術の保存・継承研究を専門とする筆者が論じる。

2021.8.2

沖縄人として沖縄を撮ることとは。北澤周也評「石川真生展 醜くも美しい人の一生、私は人間が好きだ。」

敗戦後、アメリカの統治下にあった沖縄に生まれ、本土復帰を求める抵抗運動の嵐が吹き荒れるなか、カメラを通して同地の人々をとらえ始めた石川真生。ドキュメンタリーからフィクションまで、多様な手法を用いるそのスタイルを総数500点あまりで紹介した本展について、批評家・北澤周也がレビューする。

2021.7.28

病とケアと生をめぐる複数の現実。サエボーグ評 中村佑子《サスペンデッド》

港区で開催された「シアターコモンズ ’21」にて、2月にリモート公開とゲーテ・インスティトゥート東京ドイツ文化センターのリアル会場でのARリモート体験型映画として発表された、中村佑子《サスペンデッド》。病の親を持つ子供の視点から、観客がかつてある家族が住んでいたであろう家を一人ひとり訪ね、二重化された世界を体験する本作について、アーティストのサエボーグが論じる。

2021.7.19

いま、「ともに」見ることとは何か。南島興評 「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」

東京オペラシティ アートギャラリーで「ライアン・ガンダーが選ぶ収蔵品展」が開催された。会場は、モノトーンの作品のみを集めた「色を想像する」と、薄暗い空間に展示された作品を手元のライトで照らしながら鑑賞する「ストーリーはいつも不完全……」というふたつの展示室で構成。本展をコロナ禍におけるもうひとつの「オンライン展覧会」と位置づけ、ともに見ることの(不)可能性を横浜美術館学芸員の南島興が論じる。

2021.7.15

「しなやかさ」を大きくはみ出す。中村史子評「ピピロッティ・リスト」展

4〜6月、京都国立近代美術館にて「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island-あなたの眼はわたしの島-」展が開催された。初期作から最新作にわたる、身体、女性、自然、エコロジーをテーマとした作品約40点で構成。近年特徴的な、ダイナミックなプロジェクションによる映像をソファやベッド、クッションといった親密な空間のなかで鑑賞する本展を、愛知県美術館学芸員の中村史子がレビューする。

2021.7.12

リボンを集め、結び、ほどくという循環。中島水緒評 藤田道子「ほどく前提でむすぶ」。

リボンや布、木、ビーズなど身の回りにある素材で作品を制作し、光や風など、自然現象のうつろいを繊細にとらえた作品で知られる藤田道子の個展「ほどく前提でむすぶ」が、茅ケ崎市美術館で開催された。新作インスタレーションで用いたリボンに意味づけた作家の新しい試みとは? 美術批評家の中島水緒がレビューする。

2021.7.10

10年間の「めちゃくちゃな祈り」。荒木夏実評キュンチョメ個展「ここにいるあなたへ」

ホンマエリとナブチによる二人組アートユニット・キュンチョメの個展が、神奈川県の民家2軒を舞台に3〜4月にかけて開催された。2011年の結成から10年間に制作した、震災に関わる作品のうち16点を展示。キュレーターの荒木夏実が、本展を通して、キュンチョメの震災をテーマにした活動を総覧する。

2021.7.7

描く、書く、掻く、欠く、画く──ドローイングの拡張から見出されるもの。檜山真有評 鈴木ヒラク+大原大次郎発案「ドローイング・オーケストラ」

アーティスト鈴木ヒラクと、デザイナー大原大次郎の発案によるプロジェクト「ドローイング・オーケストラ」。異なる背景を持つ8名のアーティストが集まり、線を「かく(描く/書く/掻く/⽋く/画く)」という⾏為を通して協働の空間を切り拓く、広義での「ドローイング」セッションだ。この試みから見出されるものとはなにか? キュレーターの檜山真有がレビューする。

2021.6.30

京都学派の思想とその多重性とは。能勢陽子評「ホー・ツーニェン:ヴォイス・オブ・ヴォイド−虚無の声」展

 あいちトリエンナーレ2019にて、豊田市の旅館を舞台に映像インスタレーションを展開したホー・ツーニェン。シンガポールを拠点に国際的に活躍する作家の最新作が、山口情報芸術センター[YCAM]で展示中だ。1930〜40年代、日本で大きな影響力を保持した「京都学派」をテーマに、VRとアニメーションを組み合わせた本作について、あいちで同作家のキュレーションを担当した、豊田市美術館学芸員の能勢陽子が論じる。

2021.6.22

「3分以内の映像作品」は2021年の「マイクロポップ」になりえるか? 布施琳太郎評「Try the Video-Drawing」

キュレーター・西田編集長とアーティスト・林千歩によって企画された「Try the Video-Drawing」(TAV GALLERY)は、すべての出展作品が「3分以内(推奨)」という制限により「映像で何ができるか」という課題に8作家が対峙する展覧会となった。本展をアーティストの布施琳太郎が「マイクロポップ」と紐付けてレビューする。

2021.6.19

世界と対峙する方法。清水穣評 千葉正也個展、松田啓佑「捨てていた意識は目に当たる」展、顧剣亨「APART OF THERE IS HERE」展

紙や文字、鏡の反映など、絵画のレイヤーを意識させる要素を平面に描き込む千葉正也、キャンバスや陶器に力強いストロークで形態を描く松田啓佑、そして写真を通して視覚的無意識に迫ろうとする顧剣亨(コ・ケンリョウ)。3人のアーティストの実践は絵画の歴史のなかにどう位置づけることができるのか、清水穣が論じる。

2021.6.10

新たな形態の芸術祭から広がる多孔世界。椹木野衣評 「梅田哲也 イン 別府『O滞』」展、「虹 夏草 泥亀 佐藤俊造の全貌展」

ひとりのアーティストの個展形式で行われてきた大分県別府市の芸術祭「in BEPPU」。今年は梅田哲也が、街中を回遊しながら音声を聴く体験型の作品を発表した。コロナ禍における新たな芸術祭のかたちを提示した本展を、同時期に別府で開催された「虹 夏草 泥亀 佐藤俊造の全貌展」とあわせて椹木野衣がレビューする。

2021.6.10

「原爆の図」と重ね合わされた、東京大空襲の記憶。毛利嘉孝評「藤井光 爆撃の記録」展

2016年に発表された藤井光の《爆撃の記録》。その別バージョンが、原爆の図丸木美術館で特別企画として展示された。東京都現代美術館での「MOTアニュアル2016 キセイノセイキ」展に出品された本作は、東京大空襲の記録をめぐる「規制」を浮き彫りにするものだった。丸木美術館で常設展示されている「原爆の図」と、《爆撃の記録》が同じ場所で展示されることから見える問題提起とは。社会学者の毛利嘉孝が論じる。

2021.6.8

それはあなたが見た光。飯岡陸評 「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」

身体の表象を軸に、性や人種、人と植物や機械、有機物と無機物などの境界を問う作品を制作する、写真家・細倉真弓の企画による展覧会「ジギタリス あるいは1人称のカメラ」がTakuro Someya Contemporary Artにて開催された。石原海、遠藤麻衣子、長谷川億名、そして細倉自身が参加し、一人称的な視点とその境界を問いかける本展を、キュレーターの飯岡陸がレビューする。

2021.6.5

想像力を喚起する「美術」の根源への回帰。清水建人評「3.11とアーティスト:10年目の想像」展

東日本大震災の翌年、水戸芸術館で「3.11とアーティスト:進行形の記録」展が開催された。そして今年、再び同テーマで企画された本展では、震災と、当時/現在の我々をつなぎ直すような作品群がみられた。この10年、震災に向き合う作家や作品表現にどんな変化が起きたのだろう。せんだいメディアテークで学芸員を務める清水建人が前展と比較しつつ、レビューする。

2021.5.27