REVIEW

粒子が交流し、はじめて成立する底なき世界。沢山遼評「特別展示:瑛九の部屋」

コラージュ、ガラス絵、フォトデッサン、版画、抽象絵画などの多面的な仕事を残し、周囲の作家たちからは天才と呼ばれながらも、日本の画壇の無理解に苦しみ続けた画家、瑛九。その最重要作品とも言える《田園》(1959)のみを暗室に展示し、鑑賞者が照明をコントロールしながら鑑賞できるという実験的な展示「特別展示:瑛九の部屋」が埼玉県立近代美術館で4月14日まで開催中だ。フォトデッサンから《田園》まで、瑛九の作品に通底する世界とは。美術批評家の沢山遼が読み解く。

2019.3.15

ハックされた空調設備が奏でるものとは。星野太評 今尾拓真展「work with #6(金沢市民芸術村アート工房空調設備)」

旧大和紡績の倉庫をリノベーションした石川県の金沢市民芸術村PIT5アート工房で、同市を拠点に活動する若手アーティスト・今尾拓真による「work with」シリーズの新作が発表された。彫刻や音響を用いて空間に介入する作品を制作してきた今尾の試みについて、星野太がレビューする。

2019.3.14

村上隆は戦後美術から何を引き継ぐのか。 長谷川新評 「バブルラップ」展

現代美術家・村上隆のコレクションとキュレーションによる展覧会が、熊本市現代美術館で開催された。本展には、長文タイトルがついており、その冒頭には、戦後の現代美術を新しい視点で解釈する際の全体像を包括するものとして、村上が生み出したアートワード「バブルラップ」が掲げられた。つねに「芸術とは何か」を問い続けてきた村上の最新アイデアが凝縮された本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

2019.3.12

アーティスト・中谷芙二子のふたつの顔。飯田豊評「霧の抵抗 中谷芙二子」

「霧のアーティスト」として世界的に知られるいっぽう、社会を鋭く見つめたビデオアートの制作や、ビデオを用いた表現を行う若手作家の発掘と支援に尽力した中谷芙二子。水戸芸術館現代美術ギャラリーで行われた日本初となる大規模個展を、社会学者の飯田豊がレビューする。

2019.2.28

「レクチャーパフォーマンス」を逆照射する試み。長谷川新評 佐藤朋子展「103系統のケンタウロス」

1月19日と20日の2日間限定で横浜で開催された佐藤朋子展「103系統のケンタウロス」。本展の来場者は、それぞれ会場から数分歩いたバス停から103系統のバスに乗り、作家によるレクチャー音声を聴きながら終点まで向かうよう指示された。「レクチャーパフォーマンスとは何か」を問いかけ、さらにその欠点を露わにした本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

2019.2.26

劇場化する東京に息づく、新たなアートの生態系とは。仲山ひふみ評 小宮麻吏奈展「−ATCG」/鈴木操展「open the door, 」/「孤独の地図」展

昨年末、ともに東京で、小宮麻吏奈と鈴木操による個展、そして布施琳太郎のキュレーションによるグループ展が開催された。同世代に属し、ともにコレクティブシーンのなかで活動する彼らの問題意識とその背景をいかに読み解くか。若手批評家の仲山ひふみが横断的にレビューする。

2019.2.18

ヒーローとピーポー、割り切れない関係。 菅原伸也評「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」

平成最後の年に兵庫県立美術館で始まった「Oh!マツリ☆ゴト 昭和・平成のヒーロー&ピーポー」。本展では、昭和から平成にかけて生み出された、社会的関心が色濃く反映された作品の数々を展示。「特別な存在(ヒーロー、カリスマ、正義の味方)」と「無名の人々(公衆、民衆、群集)」という対照的な人間のあり方に焦点を当てた本展を、美術批評家の菅原伸也がレビューする。

2019.2.17

没入を反省する鑑賞体験へ。 gnck評 「あそぶ!ゲーム展 ステージ3:デジタルゲーム ミレニアム」と「イン・ア・ゲームスケープ:ヴィデオ・ゲームの風景、リアリティ、物語、自我」

ヴィデオ・ゲームの芸術性に注目した展覧会「イン・ア・ゲームスケープ:ヴィデオ・ゲームの風景、リアリティ、物語、自我」 (NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] )と、1991年から2001年までのデジタルゲームに焦点を当てた「あそぶ!ゲーム展 ステージ3:デジタルゲーム ミレニアム」(SKIPシティ映像ミュージアム)を、評論家のgnckがレビュー。ゲームの展示に含まれる「没入」と「反省」という鑑賞体験を手がかりに、2つの展覧会を読み解いていく。

2019.2.17

前衛美術から民俗学へ至った写真家。副田一穂評 「坂田稔-『造型写真』の行方」展

1930年代から名古屋を拠点として活躍した写真家・坂田稔は、当時の前衛写真運動を牽引し、独自の写真論を展開した。30年代末からは民俗学へと至り、「常民」の生活を取材。常設企画展として開催された本展は、これまで知られることのなかった前衛のその後の活動を、遺されたプリントとネガからたどるもの。愛知県美術館学芸員の副田一穂が論じる。

2019.2.16

時空間のフレームを超えて。中尾拓哉評 磯谷博史展「流れを原型として」

彫刻、写真、ドローイングや、それらの複合的なインスタレーションによって、物事への認識を再考する作品を発表してきた磯谷博史。動かない彫刻や写真を、固定された物体としてではなく、出来事や時間の流れとしてとらえた個展「流れを原型として」が青山|目黒で行われた。磯谷が取り組んだインスタレーションを読み解く手掛かりとは。美術評論家の中尾拓哉が探る。

2019.2.1

「作家ではない人物」の個展は可能か? 松岡剛評「木下直之全集─近くても遠い場所へ─」展

美術史家・文化資源学研究者の木下直之の「個展」が、東京・東陽町のギャラリーエークワッドで開催されている。美術館学芸員を経て、祭礼や記念碑など社会のあり方と結びつく対象を研究してきた木下。その活動を著書をもとに振り返るユニークな企画を、広島市現代美術館学芸員の松岡剛がレビューする。

2019.1.31

不安と期待。 中村史子評「小さいながらもたしかなこと 日本の新進作家 vol.15」

写真、映像の可能性に挑戦する創造的精神を支援し、将来性のある作家を発掘するために2002年から毎年開催されている東京都写真美術館の「日本の新進作家」展。第15回展では「小さいながらもたしかなこと」をテーマに、森栄喜、ミヤギフトシ、細倉真弓、石野郁和、河合智子の5名を紹介した。本展のなかでも、とくに印象的な2名の作品に焦点を当て、愛知県美術館学芸員の中村史子が展覧会を読み解く。

2019.1.29

不確定な未来へ前進する「UFO」的建築。 長谷川新評 ワルシャワ・アンダー・コンストラクション展

昨年で10回目を迎えた「ワルシャワ・アンダー・コンストラクション」展。ワルシャワとキエフの2会場で開催された本展は、移民問題や共産主義の歴史に揺れ動くポーランドの美術と社会のあり様をとらえるものであった。本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

2019.1.22

「家族アルバム」というフォーマット、それを超える強いつながり。原田裕規評 森栄喜展「Letter to My Son」

身近な共同体を社会形態の縮図として、映像やパフォーマンス、文章、詩、など多彩なメディアを横断するような作品を発表してきた森栄喜。東京・新宿のKEN NAKAHASHIでの個展では、森が初めて撮影・編集のすべてを手がけた映像作品《Letter to My Son》と、便箋や封筒と写真を組み合わせた7つの作品「Letter to My Son(#1~#7)」を発表した。本展を、美術家の原田裕規がレビューする。

2019.1.18

“Dirty”と“Clean”、2つの要素が近接する空間へ。中尾拓哉評 玉山拓郎個展「Dirty Palace」

ビビッドな色の壁や照明、椅子やキャビネットなどの日用品を用いて、構成的かつ夢想的な色調のコンポジションをつくり出してきた玉山拓郎。そうしたインスタレーションとリンクするような映像を含め、空間全体をひとつの作品として展示する個展「Dirty Palace」が東京・西麻布のCALM & PUNK GALLERYで行われた。非日常的な空間が展開される本展を美術評論家の中尾拓哉が論じる。

2019.1.16

我々は夜明け前の酔っ払いにすぎない。清水穣評「第12回上海ビエンナーレ」

チーフ・キュレーターにクワウテモク・メディナ、共同キュレーターにマリア・ベレン・サエズ・デ・イバッラ、神谷幸江、王慰慰(ワン・ウェイウェイ)を迎え、3月10日まで開催中の「第12回上海ビエンナーレ」。近年の現代美術イベントの多くを「退屈」と評する清水穣が見た、「第12回上海ビエンナーレ」とは。

2019.1.15