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カプセルトイ、精巧と独創を追求したその現在地。日本ガチャガチャ協会会長・小野尾勝彦に聞く

近年、大人を中心に絶大な人気を集めている「カプセルトイ」。かつて子供向けの玩具として親しまれたその存在は、いまや世代を問わず多くの人々を惹きつけるプロダクトへと進化を遂げている。カプセルトイはなぜこれほどまでに目覚ましい進化を遂げたのか。その歩んできた過程と現在地について、一般社団法人日本ガチャガチャ協会会長の小野尾勝彦に話を聞いた。※4月11日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

聞き手・構成=大橋ひな子(編集部) 撮影=手塚なつめ

取材中に登場したカプセルトイの数々

江戸の「根付」から続く日本の「ものづくり」文化

──多くの人が幼い頃に親しんでいた「ガチャガチャ」。正式名称は「カプセルトイ」と呼称されますが、現在大人の女性を中心に、大きなブームが起こっているそうですね。市場規模は2024年時点で約1400億円、前年比120パーセント(*1)という驚異の成長を続けているとか。ここまで人気が爆発しているカプセルトイに、いったい何が起きているのでしょうか。まずはその背景を知るべく、カプセルトイの歴史について教えてください。

小野尾勝彦(以下、小野尾) カプセルトイのルーツは1930年代のアメリカにあります。当時はガムやピーナッツと一緒にマシンに入れられた玩具がそのままの状態で売られており、衛生面や故障の問題から、50年代にようやく現在のようなカプセルが登場しました 。

 興味深いのは、当時アメリカで人気だった玩具の製造元が日本だったという点です。1930年頃、日本はセルロイド製の小さな人形を盛んに輸出していましたが、現地の職人たちは、自分たちのつくったものがアメリカのマシンに入れられているとは知らずに製造していました。

1930年代のカプセルトイの写真。当時はまだカプセルに入れられていなかった

 戦時中に輸出入が途絶えると、アメリカ国内ではサミュエル・エピーが玩具製造を牽引するようになります。そのエピーから商品を買い付けていたL.O.ハードマンによって、日本にカプセルトイビジネスが持ち込まれました。1965年の「ペニイ商会」設立から日本独自の進化が始まります。製造拠点が海外へ移行した後も、企画・プロデュースを担い続けたのは日本でした。

 実際に当時つくられていたものを見るとわかるのですが、100年近く前のものとは思えないほど、精巧なつくりをしています。こうした「小さなものを精巧につくる」技術の源流は、江戸時代の「根付(ねつけ)」文化にあると考えています。印籠の滑り止めとしてつくられた数センチのカエルや動物の彫刻など、細部まで徹底的につくり込む職人気質こそが、いまのカプセルトイビジネスを支える日本の大きな強みとなっているのです 。

1930年代当時のカプセルトイ
一般社団法人日本ガチャガチャ協会会長・小野尾勝彦

*1── 一般社団法人日本カプセルトイ協会の「2024年度カプセルトイ市場動向調査結果報告」による。

編集部

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