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アンリ・マティス

Henri Matisse

 アンリ・マティスは1869年フランス・カトー=カンブレジ生まれ。パリの法律学校を卒業し、およそ2年間、法律事務所の事務員として働く。療養中に絵を描き始めたことをきっかけに職を捨て、修業のために再びパリに渡り、アカデミー・ジュリアンで学ぶ。92年、国立美術学校の受験に失敗。美術学校「クール・イヴォン」で、ギュスターヴ・モローなどの教室を志願する生徒たちの素描を直す助手をするうち、非公式でモローの教室に受け入れられる。このとき、ジョルジュ・ルオーやアルベール・マルケと出会う。94年に国立美術学校を再受験し、合格。正式にモローの教室に入り、当初の写実的な作風から、次第にポール・セザンヌ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホなどの影響を受ける。

 1903年、モロー教室の仲間とともに「サロン・ドートンヌ」を結成。同じ頃にポール・シニャックと交流してその影響下で一時、点描風の作品を手がける。05年の「サロン・ドートンヌ」では1600点以上の出品があり、一室にマティス、ルオー、マルケのほか、アンドレ・ドランやモーリス・ド・ヴラマンクらの作品が揃って並ぶと、各々の強烈な色彩と大胆な筆遣いから、「フォーヴ」という括りが誕生した。

 マティスはフォーヴィスムの中心的なメンバーとして、色面を単純化した《帽子の女》《マティス夫人の肖像》(ともに1905)、大作《ダンス》(1909-10)などを発表。短命に終わったフォーヴィスム以降は、《赤いアトリエ》(1911)などに見られるように平面・装飾性を追求し、最終的に切り絵作品「ジャズ」シリーズに行き着く。晩年は腸の手術による後遺症を抱えながら、作品集『ジャズ』の出版や南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂の壁画制作など、旺盛な活動を続けた。54年没。