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ジョルジュ・ルオー

Georges Rouault

 ジョルジュ・ルオーは1871年フランス・パリ生まれ。少年時代にオノレ・ドーミエの版画やギュスターヴ・クールベ、エドゥアール・マネの作品を鑑賞する。14歳のとき、家具職人の父・アレクサンドルのすすめで、ステンドグラス職人のもとで修業。その傍らで装飾美術学校に通う。90年、19歳で画家になることを決心し、国立美術学校に入学。最初はエリー・ドローネの教室に入り、その後任に就いたギュスターヴ・モローのもとで、アンリ・マティスやアルベール・マルケとともに学ぶ。94年、《博士たちの間の幼きイエス》がシュナヴァ-ル賞を受賞。レンブラントの再来と高く評価を受けるが、2度応募したローマ賞コンクールでは落選。この結果を不服としたモローに美術学校の退学をすすめられる。

 98年に家族がアルジェリアに移住。同年にモローが死去し、単身でパリに残ったルオーは困窮と精神的苦痛の時期を過ごす。1903年にギュスターヴ・モロー美術館が完成。師の遺言で初代館長に就任する。同じ頃、マティスやマルケらとともに「サロン・ドートンヌ」の創設に尽力。04年の「サロン・ドートンヌ」展で、黒を基調としたパステル画や水彩画が嘲笑される。ルオーが初期の作品で主題としたのは、「娼婦」「道化師」「裁判官」。いずれも不正義な社会の醜さや、そこで生きる人間の苦悩、悲哀といった内面世界に目を向けている。裁判官の作品ではキリストが登場するようになり、後年の宗教的絵画の片鱗を見せている。

 14年、第一次世界大戦が勃発。この頃、社会の負、戦争への憤りを描いた無彩色の連作を銅版画集『ミセレーレ』にまとめる構想を練り、紆余曲折を経て48年に出版する。30年、自身の散文と挿絵入りの著書『流れる星のサーカス』(1938)、アンドレ・シュアレスの著書『受難』(1939)のための彩色銅版画に着手。この頃、実業家の福島繁太郎と出会う。30年代以降は、油彩画に専念。初期作と同様に「娼婦」「道化師」「裁判官」を主題としながら、暗鬱とした雰囲気から一転、静寂と透明な輝きをたたえた作風となる。晩年は慈愛に満ちた女性像や、キリストと民衆が並んで立つ「聖書風景」を描き、若年に抱えた怒りへの赦し、また自然の聖なるものへの讃美といった、画家の心境の変化を見て取ることができる。代表作に、《聖顔》(1939)、《秋の夜景》(1952)、《マドレーヌ》(1956)など。58年没。