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日系移民の思い出と記憶を多層的に内包する作品群。はがみちこ評「大﨑のぶゆき:ブエノスアイレス」展

2019年の4月から約1ヶ月間、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのレジデンスに参加した大﨑のぶゆき。本展では、現地で生活する日系移民たちの記憶や思い出についてのリサーチを起点にした作品を発表した。独自の理論を展開する作家の試みを、アート・メディエーターのはがみちこが論じる。

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廃れた流行の新たな着地点。小野寺奈津評 PUGMENT 2020SS「Purple Plant」

大谷将弘と今福華凜によるファッションレーベル「PUGMENT」が、2020年春夏コレクション「Purple Plant」を発表。東京都現代美術館の企画展「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」で、本コレクションのインスタレーション展示のほか、一夜限りのファッションショーも行った。戦後の占領下で言葉が失われた世界を舞台に、Tシャツの文字から歴史を復元しようと試みた本コレクションは、短命な流行を繰り返す現代のファッションシーンにどう作用するだろうか? 国立新美術館特定研究員の小野寺奈津がレビューする。

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公共を構成する人とは誰か? 中尾英恵評「アートセンターをひらく」

2020年に開館30周年を迎える水戸芸術館現代美術センターでは、移り変わる社会のなかでアートセンターに求められる役割を探る企画「アートセンターをひらく」を2期に分けて開催。第Ⅰ期では、ギャラリーをアーティストや来場者の「創作と対話」のために活用し、第Ⅱ期では、展覧会を軸にギャラリーをひらいた。社会的な場としてのアートセンターの役割を、実践を通して探る本展の試みを、小山市立車屋美術館学芸員の中尾英恵がレビューする。

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人と牛の半獣が、男性/人間中心的な規範を暴く音楽劇。田中綾乃評 市原佐都子(Q)『バッコスの信女ーホルスタインの雌』

エウリピデス作のギリシャ悲劇『バッコスの信女』を、劇団Qの市原佐都子が大胆に解釈、再構築した『バッコスの信女ーホルスタインの雌』。「あいちトリンナーレ2019」のパフォーミングアーツ部門で発表された本作は、主婦、ペットのイヌ、ウシと人間のハーフである半獣、合唱隊(コロス)が登場し、性と生殖にまつわる問題を鋭くポップに浮かび上がらせた。この現代の音楽劇を、哲学研究・演劇批評を横断しながら執筆活動を行う田中綾乃が論じる。

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農業から見えるこの国の課題。保坂健二朗評「青森EARTH2019:いのち耕す場所 −農業がひらくアートの未来」

美術館で「農業」をテーマにした展覧会を行う。そんな試みが、青森県立美術館の「青森EARTH2019:いのち耕す場所 −農業がひらくアートの未来」だ。青森ERATHは、青森の大地に根ざしたアートの可能性を探究する、2012年に始まったシリーズ企画。この農業をテーマにする展覧会からみえてくる、この国の有り様とは何か? 東京国立近代美術館主任研究員・保坂健二朗がレビューする。

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ジャコメッティを起点に美術史をとらえなおす。小田原のどか評「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」

大阪の国立国際美術館が2018年に新収蔵したアルベルト・ジャコメッティのブロンズ彫刻《ヤナイハラⅠ》。この収蔵を記念し、同作を起点に国立国際美術館のコレクション約40点で構成された展覧会「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」が、12月8日まで開催されている。この展覧会がたんなるコレクション展ではない理由とは何か? 彫刻家・彫刻史家の小田原のどかが読み解く。

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「彼方の男」とは「誰」か? 中尾拓哉評 奥村雄樹「彼方の男、儚い資料体」

ブリュッセルとマーストリヒトを拠点に活動する奥村雄樹の個展「彼方の男、儚い資料体」が慶應義塾大学アート・センターにて開催された。「私」という主体やアイデンティティ、作者性といった概念を問い、他者との協同や重なり合いを通して、新たな「自画像」のあり方を探ってきた奥村。本展では、映像作品《彼方の男》の上映とあわせて、関連する3点の物品で構成された資料体が同センターのアーカイヴに追加され、アーカイヴと資料についての問いかけも行われた。美術評論家の中尾拓哉が、本展における試みを分析する。

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歴史の余白こそ歴史の始点かもしれない。布施琳太郎評 「STAYTUNE/D」展

「移動する/できない/させられる」ことは、どのようなメカニズムのもとで発生している事態なのだろうか? 長谷川新キュレーションのもと、富山県砺波市のギャラリー無量で開催された展覧会「STAYTUNE/D」は、このような「移動」をめぐる問いの共有を試みるものであった。戦前から活躍していた物故作家から気鋭の若手作家までが集った本展を、批評活動も行うアーティスト・布施琳太郎が論じる。

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VRを用いた体験型演劇がつきつける政治性とは。佐々木敦評 小泉明郎『縛られたプロメテウス』

あいちトリエンナーレ2019のパフォーミングアーツ・プログラムとして上演された、小泉明郎『縛られたプロメテウス』。観客は何もない空間にVRゴーグルを装着して入り、60分間の上演を体験するが、そこで展開された「演劇」とは? 批評家の佐々木敦が同作についてレビューする。

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記憶や時差をテーマとする、グレゴール・シュナイダーの作品が呼び覚ますものとは? 大岩雄典評「美術館の終焉─12の道行き」

神戸を舞台としたアートプロジェクト「TRANS-」の参加作家グレゴール・シュナイダーが、市内12ヶ所にて展開した「美術館の終焉─12の道行き」。いまは使われていない建物や、商店街といった日常空間を、鑑賞者は手探りで巡るよう促される。このインスタレーションを「不安を抱えつつ」体験したというアーティストの大岩雄典が、本作にやどる翳りを手がかりに作品を分析する。

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「私のアメリカ」であり「あなたのアメリカ」。佐原しおり評 江成常夫写真展「花嫁のアメリカ 歳月の風景 1978―1998」

敗戦後の貧しい日本では、多くの日本人女性が進駐軍のアメリカ人男性と結婚し、海を渡った。彼女たちは「戦争花嫁」と呼ばれ、過酷な経済状況や人種差別、同じ日本人からの蔑視に苦しみながらも懸命に生きた。この夏、相模原市民ギャラリーでは、そんな戦争花嫁の姿をとらえ続けた江成常夫の写真シリーズを紹介。戦争の時代であった昭和を生き、平成にかけて受け継がれてきた花嫁たちの姿と言葉を、令和という新時代に再度提示した。本展を、埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。

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アートと社会の対立構造を作品として内包するプロジェクト。はがみちこ評「HUB-IBARAKI ART PROJECT 2018-2019」冬木遼太郎《突然の風景》

大阪府茨木市で開催された「HUB-IBARAKI ART PROJECT 2018-2019」では、アーティストの冬木遼太郎が、作品の制作・発表およびトーク、ワークショップ、市民交流の取り組みなどを行った。近年、アートを地域のまちおこしとして活用する試みが全国的に興隆を見せるなか、アートプロジェクトにおけるマネジメント行為自体を作品内部に取り込んだ本作は、アートと公共性に関する新たな視点をもたらすものとなった。アート・メディエーターのはがみちこが論じる。

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「再評価」より前に考えたいこと。原田裕規評「80年代の美術4─前本彰子展」

1980年代に「超少女」のひとりとして注目を集めた前本彰子の個展が銀座のコバヤシ画廊で行われた。2018〜19年にかけ、日本の美術館では「1980年代の美術」をテーマとした展覧会が多数開催されたが、そこに登場することがなかった前本の作品。80年代をめぐる美術界の動きと前本の作品はいま、どのように見ることができるのか? 美術家の原田裕規が読み解く。

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あの世とこの世、過去といまを結ぶ「シアター」。松井みどり評「ティノ・セーガル@江之浦測候所 yet untitled」

杉本博司が設計した江之浦測候所にて、その場から受けたインスピレーションをもとにティノ・セーガルが構想したプロジェクトが開催された。作品の記録を残さないことで知られるセーガルの、見た者の記憶にのみとどめられる「出来事」について、美術評論家の松井みどりがレビューする。

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自然災害が人々に語らせてきたこと。中村史子評「治水・震災・伊勢湾台風」展

度重なる地震や台風など、つねに自然災害の脅威にさらされる日本。1959年に発生し、紀伊半島から東海地方を中心に全国的な甚大な被害をもたらした伊勢湾台風から60年の節目を迎える今年、名古屋市博物館で「治水・震災・伊勢湾台風」展が開催中だ。「開発と環境」「被災者支援の担い手」というふたつの要素を軸に、歴史災害と災害に関わる社会の動きにせまる本展を、愛知県美術館学芸員の中村史子がレビューする。

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幾重にも重ねられた〈声〉がつむぐストーリーとは。大岩雄典評 ホー・ツーニェン《旅館アポリア》

シンガポールを拠点とし、歴史や社会状況のリサーチに基づく批評性を含んだ作品を手がけるホー・ツーニェン。「あいちトリエンナーレ2019」の参加作家として、豊田駅にほど近い、元料理旅館・喜楽亭を舞台に新作を発表した。第2次大戦中に特攻隊が最後の夜を過ごしたという史実に根ざし、戦中の思想家や文化人らの言動をモチーフに取り入れた同作品について、アーティストの大岩雄典が作品の構成に呼応するかたちでレビューを寄せた。

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視覚世界と表象を越えた先。伊勢周平評 石塚嘉宏+村田啓「Shapeshifter」展

彫刻とインスタレーションの形式を用いて、単純な「行為」とものの「形態」だけ残すことを試みる石塚嘉宏と、鏡の破片群に写り込む被写体の反響を撮影し、在/不在をひとつの画面に収める村田啓。この2名による展覧会「Shapeshifter」が、天王洲の児玉画廊で開催された。メディアも手法も異なるふたりの作品は、どのような相互作用を見せたか。本展を、画家の伊勢周平がレビューする。

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