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REVIEW - 2019.11.15

アートと社会の対立構造を作品として内包するプロジェクト。はがみちこ評「HUB-IBARAKI ART PROJECT 2018-2019」冬木遼太郎《突然の風景》

大阪府茨木市で開催された「HUB-IBARAKI ART PROJECT 2018-2019」では、アーティストの冬木遼太郎が、作品の制作・発表およびトーク、ワークショップ、市民交流の取り組みなどを行った。近年、アートを地域のまちおこしとして活用する試みが全国的に興隆を見せるなか、アートプロジェクトにおけるマネジメント行為自体を作品内部に取り込んだ本作は、アートと公共性に関する新たな視点をもたらすものとなった。アート・メディエーターのはがみちこが論じる。

はがみちこ=文

5月26日に茨木市中央公園北グラウンドにて行われた、冬木遼太郎《突然の風景》(2019)の作品発表の様子 Photo by YAMADA Yuji

マネジメント行為を作品に取り込み、可視化する

 昨今の一連の状況で目の当たりにされたことかもしれないが、行政などが主導する、地域活性を目的とした特定の地域(市街)と関わる公共アートプロジェクトの現場の裏方には、たいてい、事前と事後に、膨大かつ複雑な手続きがある。単一自治体の文化系課内だけではなく、ほかの課やほかの行政、地域組織、民間事業者を横断して行われる事務調整や、地域住民の多様な層に適した折衝・充分な周知、実施意義の検証について、特化した技術がケースに応じて生み出され、蓄積されている。全国で隆盛する地域アートの人員不足に応えるため、技術と知識のプリセットや、職業認知の向上を目的としたアートマネジメント人材の育成事業も、国家レベルで取り組まれる現在である。

 とはいえ、それらの技術は(世の中の多くの仕事がそうであるように)通常は水面下で発揮され、シャドウワークと問題視される場合もある。アート作品の現前の下支えとなりつつ、良くも悪くも前景化しないことが多い。大阪・茨木市の「HUB-IBARAKI ART PROJECT」2019年度事業として、今秋までの半年間におよぶプロジェクトを実施した冬木遼太郎の《突然の風景》は、隠れたフェーズに置かれがちなこれらのマネジメント行為自体を、素材として作品内部に取り込むメタ構造が、暗黙理に採用されている点が特異であった。

5月26日に茨木市中央公園北グラウンドにて行われた、冬木遼太郎《突然の風景》(2019)の作品発表の様子 Photo by YAMADA Yuji

持続と瞬間

 《突然の風景》の本体となる作品発表は、2019年5月26日に「1日限りのアート作品」として、茨木市中央公園北グラウンドで行われた。作品内容は、茨木市民から借り受けた16台の車をグラウンドに配し、各車に1音ずつ、音階設定されたクラクション音をあてがうことで、全体でひとつの音楽を演奏するという状況そのものである。20世紀初頭の未来派音楽は、急速な社会変革への反応として都市の騒音を音楽に取り入れ、前時代の価値観への挑発とした。「車のクラクション音」というフックは「不快な体験」──「現代アート」なるものが、またしても私たちの平穏を揺るがそうと仕掛けてくる──を懸念する市民感情を形成するものだ、と予期できるだろう。とすると、この「クラクション音」は、近代以降に繰り返されてきたアートと社会の対立構造を、あえてこの地域アートプロジェクトのベースに設定する仕掛け、ととらえられるかもしれない。

「市民キャラバン」の様子 Photo by YAMADA Yuji

 冬木のプロジェクトチームは、この対立構造を前提に、瞬間的に現れる《突然の風景》(=アート作品)の受容に向け、半年間にわたる会期中に、茨木市民に向けて対話と共有のための様々なプログラムを実践した(*1)。メインプログラムとされる4項目(写真作品《シンドローム》の長期屋外展示、《突然の風景》リハーサルと本番、《突然の風景》アーカイブ映像)に対し、関連プログラムは9項目(インフォメーションボードの設置、事前と事後のトーク、ワークショップ、市民座談会、周知活動「市民キャラバン」等)と、一見しても、周辺活動の比重が大きい。「市民キャラバン」と総称されるプログラムは、周辺地域の回覧板への案内の挟み込みや、全戸配布による事業説明、特定の市民(キーパーソン)との意見交換といった、事前周知のための細々とした草の根的実践のことである。多くのアートプロジェクトの現場で通常は可視化されづらい、これらのプロセスに名前を与え、プログラム化したというのだ。こうした実践はプロモーションやアーカイブのための映像でも映し出され、プロジェクトの一構成要素として意識されていることが明らかだ(*2)。これらが作品構造の内部にあるか外部にあるかにより、このアートプロジェクトの本質は大きく異なる。

 また、別の着目すべき点は、冬木が自身の手で物を制作をしていないことである。彼は作品のコンセプトをつくり、公に語り、テキストを発表したが、作品《突然の風景》を構成する具体物(車)は借り物であるし、音響システム設計と制作の技術面を率いたのは音楽家の米子匡司だった。一般的に、コンセプトメイキングのみ、発注形式の作品制作スタイル自体が現代の表現において珍しいわけではない。しかしながら、彫刻家としての出自を持つ冬木の本プロジェクトには、彫刻を通じて物質と主体の認識・行為の偶然的関係性を探ろうとした、過去作(作家が自ら制作した立体作品)との連続性が見い出される。例えば、雨天時のみ雨の壁が現れる、天井がライン状に開いた小屋《Capricious wall》(2010、*3)は、持続(小屋)と瞬間(雨の壁)という今回と共通する構造を持つものだ。主体(猫)の行為を誘発する暖かい立体物が試みられた《Heater with cats》(2010、*4)を見れば、主体(人間)をいかに作品(彫刻)の場に引き込むかという冬木の関心が、今回の場合は、状況設定の上に生じるコミュニケーションのプロセスを作品内に取り込むに至ったと理解されるだろう。これらの連続性は、本プロジェクトを社会関与型芸術というだけではなく、「彫刻」としての拡張された展開とみなすことを可能にする。

冬木遼太郎によるトークの様子 Photo by YAMADA Yuji

《突然の風景》の恒久性

 《突然の風景》で、クラクション音の連なりによって流された楽曲とは、坂本九の「上を向いて歩こう」だった。万人から瞬時に認識され共有されやすい、ポピュラーなものを選んだという(*5)。対立構造の緊張の高まりの末の安堵は、弛緩した間主観的な共有空間を生み出した。その瞬間、作品の解釈や価値判断、是非を宙吊りにしたままの状態で、おそらくある種の心地良さをともなって、居合わせたほぼ全員にひとつのメロディが受容されたのである(という、この言い回しも「上を向いて歩こう」という楽曲のメロディラインの存在を前提として書かれた。ここで指し示される具体的な音の連なりは、ウェブ上で公開されているアーカイブ映像の中で一部確認することができる)。

 冬木がこの曲を選んだ別の理由は、戦後、アメリカの音楽シーンの影響を取り入れて生み出され、国内でのヒットのみならず、アメリカにおいても「SUKIYAKI」という名前で絶大な認知度を得るまでに評価されたこの楽曲を、多様性をそのまま受け入れることの典例と見たからだ。

 自然災害のもたらす甚大な被害を伝えるニュースが立て続いているが、茨木市でも昨年に地震と台風による被害が相次ぎ、必然的に、アートの公共性をめぐる本プロジェクトは、アートは非常事態にどのように機能するかを見据えるものとなった。この構想は、様々な人々が同じ時、同じ場所に集い、ひとつの風景を共有する体験が、いずれ訪れるかもしれない非常時(突然の風景)に“効いてくる”という冬木の確信に基づく。個の生存を脅かされ、異なる価値観への寛容さを失いそうになるそのときに向けて、人々が互いに多様性を許容するための「気持ちの予行演習」になると言うのだ。音楽のメロディラインがいつまでも共有されるように、一瞬しか現れない作品が複数の人々の集合体のなかで半永続性を持つこと。オルタナティブな「パブリックアート」としての側面がここにある。

冬木遼太郎《シンドローム》(2019)の展示風景 Photo by YAMADA Yuji

 最後に、半年間の会期にわたって屋外展示されたもうひとつの作品《シンドローム》について追記しておく。設置場所となる高架下の実際の路上が写され、展示風景と入れ子状に見える写真作品だ。写り込んだ人物はモザイク上の色面に変換され、人物特定ができないよう画像処理が施された。「公共」という概念における匿名性への過敏さを即物的に示し、「シンドローム」という言葉で揶揄する(*6)。《突然の風景》で採用した万人向けの「やさ(優/易)しい」方法の裏面で、この作品は、公共性をめぐる表現が現在置かれているアンビヴァレントな状況を冷静にとらえていた。

*1──2016年から始まった「HUB-IBARAKI ART PROJECT」は「茨木市彫刻設置事業」を前身とする公募プログラムであり、以前の公募条件はいわゆるパブリック・アート的なものを前提とした公共空間での長期展示であった。本プロジェクトでの1日のみの作品発表と持続的な半年間のプログラム展開は、その枠組みを挑戦的に利用していると言える。なお、「茨木市彫刻設置事業」において2011年に最初に設置されたのは、ヤノベケンジの《サンチャイルド》の一体である。同作は福島市の所有となる別個体が、2018年の移転設置にともない、行政からの事前説明の不十分さが要因となって、市民の反対意見を受け撤去された経緯を持つ。この作品の存在する風景の中で、アート作品の受容をめぐるマネジメントの細かな実践に着目すること自体が批評的な射程を持つだろう。
*2──アーカイブ映像はYouTubeでウェブ公開されている。下記のリンクで閲覧可能(最終閲覧:2019年10月8日)https://www.youtube.com/watch?v=AO9VYDB8SrE
*3──作家ウェブサイトに作品掲載(最終閲覧:2019年11月8日)https://ryotarofuyuki.tumblr.com/post/182962107688/capricious-wall-2010
*4──作家ウェブサイトに作品掲載(最終閲覧:2019年11月8日)https://ryotarofuyuki.tumblr.com/post/182964316313/heater-with-cats-2010-dvd
*5──周辺地域の回覧板に差し込まれた小冊子に掲載の冬木のテキストでは、音楽を演奏者や聴者が「同じものを信じているから成り立つ状況」として、音楽による経験の共有が重視されている。同テキストは下記のリンク先に掲載(最終閲覧:2019年11月8日)
https://note.mu/hubibaraki/n/n5af48e14676b
*6──9月29日におこなわれたクロージング・トークで冬木が説明したところによると、当初ここに展示される予定だったのは、地震などの災害時に見られるような道路状況(交差点で複数の進行車線の自動車が全て停車する)を示す写真作品で、多くの自動車をグラウンドに配する《突然の風景》に付随する内容だったという。その際、写り込んだ歩行者の人相や自動車のナンバー・プレートについては、画像処理を加えて実在しない人物や番号に変えられる計画であった。しかし、その「架空」の人物や自動車の持ち主によく似た人物が実在してしまう場合の、市民の肖像権を配慮した主催者から展示規制を受けたことで、応答として内容変更されたという経緯が背景にある。