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ヒト、モノ、災害、美術館が織りなす舞台装置(セノグラフィー)。黒沢聖覇評「ナイル・ケティング 保持冷静 Remain Calm」展

2019年、上海に開館したたポンピドゥー・センターの上海別館・西岸美術館(ウェストバンド・ミュージアム)で、インスタレーション、パフォーマンス、セノグラフィー、サウンドなど、多様な表現形態を発表しているアーティスト、ナイル・ケティングの個展「保持冷静 Remain Calm」が開催された。美術館という舞台において、ヒトとモノ、そしていまや避けられない災害を組み込んだインスタレーションとパフォーマンスを、キュレーターでアーティストの黒沢聖覇が読み解く。

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廃墟のイメージとしての「砂の風景」。筒井宏樹評「生誕100年 國領經郎展―静寂なる砂の景―」

戦後、日展を中心に作品を発表した洋画家の國領經郎(こくりょう・ つねろう、1919〜1999)は、砂丘や砂浜を舞台にした絵画作品で知られる。生誕100年を機に鳥取県立博物館で開催された回顧展では、神秘的で瞑想的な時空へと鑑賞者を誘う「砂の風景」シリーズなど、初期から晩年までの作品が紹介された。鳥取大学准教授の筒井宏樹が論じる。

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語りきれない「家庭」の姿を展覧会で想像する。正路佐知子評「アカルイ カテイ」

時代の移り変わりとともに現れる様々な「家庭」のかたち。これを、美術を通して考える展覧会「アカルイ カテイ」が、広島市現代美術館で開催された。11組の作家たちが表現するそれぞれの「家庭」からは、どのような私的領域が見えてくるのか? 福岡市美術館学芸員・正路佐知子がレビューする。

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どこまでも続く答えのない謎解き。椹木野衣評 目[mé]「非常にはっきりとわからない」展

空間を大規模に変容させるインスタレーションを手がける現代アートチーム、目[mé]。その美術館では初となる個展「非常にはっきりとわからない」が、千葉市美術館で開催された。2019年12月末から約半年間の休館に入る同館の状況を活かした会場構成で大きな話題を呼んだ本展を、椹木野衣はどう見たのか?

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いま写真は何を語るか? 清水穣評 金サジ「白の虹 アルの炎」「田附勝 KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展」

自身のルーツを出発点に独自の神話的世界を展開する金サジの個展「白の虹 アルの炎」(THEATER E9 KYOTO)と、社会で見過ごされてしまうものを写真のテーマに据えてきた田附勝による個展「田附勝 KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展」(横浜市民ギャラリーあざみ野)。ふたりの写真家による表現の現在地を、清水穰がレビューする。

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聞こえない声を見つめる。佐藤朋子評 百瀬文「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」

主に身体と声の問題を扱う映像作品を手がけてきた百瀬文が、東京では3年ぶりとなる個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」を東京・東葛西のEFAG EastFactoryArtGalleryで開催。本展は、オペラ『サロメ』をモチーフとした映像インスタレーション《Jokanaan》(2019)を中心に、新作3点で構成された。百瀬は映像というメディアがはらむ支配構造をどのように組み換え、そこに写し出される身体といかに向き合うのか? アーティストの佐藤朋子がレビューする。

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称号をめぐる、パラレルな関係 中村史子評本山ゆかり個展「称号のはなし」

絵画の構成要素を分解し、その最低限の要素である「線」のみをアクリル板と絵具によって描くシリーズを手がけてきた本山ゆかり。FINCH ARTS(京都)にて開催された本個展では、刺繍という新たな手法を取り入れた作品を発表。作家の新たな境地と、そこに潜むまなざしを愛知県美術館の中村史子が読み解く。

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融合美術を見せる試み、そこにおけるノイズ、休符、「外れた音」。長谷川新評「山田耕筰と美術」

日本初の本格的な作曲家・指揮者として活躍した山田耕筰の活動を、竹久夢二や恩地孝四郎らとの影響関係など、同時代の美術とともに紹介する展覧会が栃木県立美術館で開催された。同館での「ダンス!20世紀初頭の美術と舞踊」展(2003)とも連続する本企画について、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

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訓練めいたデモンストレーションの先に。 佐原しおり評 佐藤朋子+関川航平「サークルナレーティング Section #01」〈テーブルにて〉

アーティストの佐藤朋子が、池袋の書店「コ本や honkbooks」との協働によってパフォーマンスシリーズ「サークルナレーティング」をスタート。本シリーズは、ある書店の一角で、声や言葉を扱うパフォーマンスの場を開くための試みだ。第1回は、同じくアーティストの関川航平をゲストに迎え、「テーブルにて」という副題のもと、ひとつのテーブルを起点に佐藤と関川がそれぞれのパフォーマンスを上演した。本作を埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。

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ヴィデオゲーム的な想像力は新たな風景を生み出すか?  大岩雄典評 海野林太郎「風景の反撃 / 執着的探訪」展

日常をゲーム的に撮影した風景や映像を「ヴィデオゲームの視点」を出発点として生み出す海野林太郎。現実とゲームの世界の臨界点を探りながら、この世の多層性と複雑さを浮き彫りにするような作品群をTOKAS本郷にて発表した。同個展について、ゲーム研究における論点を軸に自らの理論や作品を展開する、アーティストの大岩雄典がレビューする。

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作家の視線と実践から見る、コレクション展 高嶋慈評 大阪府20世紀美術コレクション展「ココロヲウツス」

大阪府が所蔵する、20世紀後半の国内外の美術作品約7900点からなる「大阪府20世紀美術コレクション」の活用を目的として、若手アーティストに作品の選定と自作の発表を依頼する企画。第2弾となる今回は、写真家の麥生田兵吾(むぎゅうだ・ひょうご)が招聘された。美術批評家の高嶋慈がレビューする。

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教育と娯楽の融合、その先に何があったか。仲山ひふみ評 「目 非常にはっきりとわからない」展

空間そのものを変容させるサイトスペシフィックなインスタレーションなどを手がける現代アートチーム・目【mé】。昨年末に開催され、大きな話題となった美術館での初個展「目 非常にはっきりとわからない」について、批評家の仲山ひふみが考察する。

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構造化されたキャンバスが生み出す「子供の情景」とは。池田剛介評「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展

造形作家でありながら、教育活動、批評、研究、展覧会企画など、あらゆるジャンルにおいて深淵な洞察力をもって活動を展開してきた、岡﨑乾二郎。その活動の全貌を展覧する個展が、豊田市美術館で開催。初期作品「あかさかみつけ」シリーズから最新の絵画作品までを俯瞰することで浮かび上がる、その本質とは? アーティストの池田剛介が迫る。

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帰属の定まらない人々が立ち現れる神話的世界。はがみちこ評 金サジ「白の虹 アルの炎」展

写真家として関西を中心に活動する金サジは、在日韓国人3世という自身のルーツを出発点に、宗教や儀式、民族、伝統、故郷といった要素を組み込んだ独自の神話的世界を展開する作品で知られる。多文化共生地域の京都駅東南部エリアに2019年に開館した小劇場「THEATRE E9 KYOTO」で開催された個展について、はがみちこが論じる。

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「傷ついた風景の向こう」に見えるもの。小田原のどか評「DOMANI・明日2020」

文化庁が主催する「新進芸術家海外研修制度」の成果発表の機会として、1998年から開催されてきた「DOMANI・明日展」。その22回目となる「DOMANI・明日2020」では、「傷ついた風景の向こうに」をテーマに掲げ、日高理恵子、宮永愛子、藤岡亜弥、森淳一、石内都、畠山直哉、米田知子ら11作家が参加している。2020年の東京五輪開催に向け日本全体が盛り上がるなか、「傷ついた風景」を冠する本展がもたらすものとは? 小田原のどかが論じる。

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アートとゲームの親和性。中尾拓哉評 アラン、斉と公平太「非零和無限不確定不完全情報ゲームとしてのアート?」

ゲームとアートとの関係について思考し、新たなゲームを生み出す2人のアーティスト、アラン(三浦阿藍)と斉と公平太による展覧会が、副田一穂のキュレーションによって行われた。既存のゲームを組み替える斉と公平太と、新たなゲーム空間を生み出すアランの制作から見えてくるアートとゲームのあわいについて、『マルセル・デュシャンとチェス』の著者である、美術評論家の中尾拓哉がレビューする。

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光を見ることは可能か? 菅原伸也評 イズマイル・バリー「みえないかかわり」

素材の本質から事物をとらえ、見るという行為そのものを問いかけるイズマイル・バリーの日本初個展が銀座メゾンエルメス フォーラムにて開催された。展示会場全体を光学装置とし、映像作品を中心に、ドローイング、インスタレーションなど、さまざまな形態の作品が発表された。最小限の状況設定から生み出された繊細な作品群を通して、視覚への実験的なアプローチを行った本展を、美術批評家の菅原伸也が紐解く。

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