リクルートホールディングスが運営する東京・八重洲のアートセンターBUGで、吉田志穂による個展「印刷と幽霊」が12月1日まで開催中だ。アナログとデジタルを往還しながらかたちを成していく写真作品を、展示空間の特性に馴染ませたインスタレーションとして展開するのが吉田の作風である。これまでの約10年のキャリアでは、主に写真プリントやプロジェクターで投影したイメージを作品素材に用いてきた吉田が、今回初めて挑んだのは「印刷物」だった。オフセット印刷機で大量に複製しながら、意図的に発生させた予期せぬエラーを積極的に取り入れ制作された作品群で、会場は埋め尽くされている。
本記事では、告知物デザインのみならず、本展全体に深くコミットしたデザイナー・小池俊起と吉田による対談をお送りする。ふたりが展示に込めた意図と、目指した地点はどのようなものだったのだろうか。
「印刷」「幽霊」は、かねてより気になっていたテーマ
小池俊起(以下、小池) 吉田さんの作品や展示は、お会いする前から目にしたことはあって、こういう写真家こそ写真集をつくるべきだと勝手ながら考えていました。本をつくるということは、ひとつの新たな空間をつくるような作業でもあるのですが、吉田さんは空間に対する意識が強く、展示にも独自性があるので、その特性は写真集づくりにも生きるはずだと思ったんです。そんななか、偶然お会いする機会があったので、吉田さんに初対面で直接「写真集をつくりませんか」とお伝えしました。
吉田志穂(以下、吉田) 私も写真集は以前からつくりたいと思っていました。写真をやっている人間にとって、写真集は成果物のひとつの基本形ですから。小池さんにお声がけいただいたことで心が決まり、2020年から取り組み始めて、翌年に刊行したのが『測量|山』(T&M Projects)でした。
小池 実際の写真集づくりの作業は、レイアウトデータに互いが手を入れて、それを往復することでかたちにしていきました。出力したダミーブックも何度もつくり、それを見てはまた直し、とかなり密にやりとりをしました。
吉田 商業出版の本を制作するというより、もっと長いスパンで「作品をつくる」感覚で進めていけました。印刷のおもしろさを知ったのもこのときです。本を印刷する過程を間近で見ていると、「こんなに高解像度(高線数)で印刷できるのか」とか「ここまでスミの締まった印刷ができるのか」など、驚きがたくさんありました。そこから、これならゼラチンシルバープリントにも劣らない写真表現ができるかもしれないと思い、印刷を用いて作品をつくる感触を得ていきました。そういったタイミングで、BUGで展示をしないかとお声がけいただいたので、ならば小池さんと一緒にやらせてほしいと返答し、本展の構想がスタートしました。
小池 以前から印刷で何かやりたいというプランがありましたね。
吉田 はい、写真集制作以降、印刷物を扱った展示をしてみたいと思っていました。また、もうひとつのテーマである「幽霊」というのも、じつはここ数年ずっと気になっていたことでした。このところ世のなかではオカルトブームが再来しており、モキュメンタリー小説や映像などを私も好きでよく見ていたんです。ある港の航空写真にあり得ないかたちで船が存在するように見えることがちょっとした騒ぎになっていたり、リミナルスペースという言葉がネットミームになって創作物の題材になっていたりと、実態のない物に人の関心が向いている時代なのかなと感じていました。
この「印刷」と「幽霊」という2つの言葉を軸に展示をつくろうと決めて探索していくなかで、最初に着目したのは、カメラのレンズ内に光が入ることで、円形などの写り込みが生じてしまう「ゴースト現象」でした。本来ここにはないけれど、レンズを通すと現れるものをゴーストと呼びます。そうした現象を見ていると、まるでカメラに意思があるようにも思えてくるんです。調べているうち、写真のみならず印刷の世界にもゴーストがあると知り、それはいったいどういうものかを小池さんに尋ねました。
小池 印刷におけるゴーストとはすなわちエラーのことで、絵柄の都合で予期せぬ濃淡ムラが出てしまう現象を指します。印刷現場ではトラブルエラーととらえられ、なるべくゴーストを出さないようオペレーションしています。今回の作品制作では、文字通りのゴースト現象は扱わなかったものの、そういった印刷上のエラーを逆手にとってテーマとするのは、おもしろい発想だという話をしました。
吉田 これまでの私の制作は、インクジェットプリントもゼラチンシルバープリントも使うとはいえ、写真プリントの範囲内で展開していましたから、印刷という分野に足を踏み入れるのはまったく新しい挑戦でした。印刷を使うとなると、制作の途中で作品が自分の手を離れてしまうことになるのですが、そこに不安や不満はなく、むしろおもしろそうだと感じられたんです。
小池 自身の意思以外のものを平然と介入させるのは、吉田さんの創作における大きな特長だと思います。批評家の沢山遼さんが、吉田志穂の作品を評する文章のなかで、写真が持つ性質について以下のようなことを述べています。
現代において写真は、事後的な加工をいかようにも引き受けることができるという意味で、とくに「開かれた」媒体である。写真の様態は、つねになんらかの外部の対象の侵入によって損なわれた状態で存在する。あるいはそのような状態において、写真の物質性は、つねに、毀損され、壊れた状態において持続しているのだと言い換えてもよい。写真は、半壊の、あるいは下半身のない幽霊のような半透明の状態のなかでのみ、私たちに、その存在論的な本性を告げている。
Tokyo Art Beat「吉田志穂の作品が導く最新写真論。情報を知覚することは、不在それ自体を積み上げること(評:沢山遼)」(2022年2月10日)より一部抜粋
写真に対するこうした認識は、吉田志穂作品を考えるうえで重要です。吉田さんが易々と印刷の手法を作品に取り入れられた理由は、ここにあるでしょう。多くの写真家の場合、「こういう写真にしたい」という完成形のイメージがあって、その実現のために撮影やプリント作業を行います。いっぽう、吉田さんの頭のなかには、完成形のイメージがありません。だからこそ、自分で撮った写真をプロジェクターで投影し、像を撮影して得たイメージをさらに別のものに出力するといった操作を繰り返し、その過程で出てきたイメージを掬い上げ展示に落とし込むといったことが、平気でできてしまう。イメージが印刷に回され、自分の手を離れていってもなんら気にしない。そういうスタンスがこの展覧会を実現できた理由でもあると言えます。