• HOME
  • MAGAZINE
  • REVIEW
  • あの世とこの世、過去といまを結ぶ「シアター」。松井みどり評…
REVIEW - 2019.11.2

あの世とこの世、過去といまを結ぶ「シアター」。松井みどり評「ティノ・セーガル@江之浦測候所 yet untitled」

杉本博司が設計した江之浦測候所にて、その場から受けたインスピレーションをもとにティノ・セーガルが構想したプロジェクトが開催された。作品の記録を残さないことで知られるセーガルの、見た者の記憶にのみとどめられる「出来事」について、美術評論家の松井みどりがレビューする。

松井みどり=文

江之浦測候所の光学硝子舞台

うつろう時間(とき)、目覚める精神(こころ)

 ティノ・セーガルは、美術的オブジェではなく、特別な「出来事」をつくる。彼は、美術展や芸術祭のサイトなど特殊な場の社会的機能や歴史、風景に対応したパフォーマンスピースを考案し、「インタープリター」と呼ばれるアクターたちに指示して演じさせる。その「出来事」は、「コンストラクテッド・シチュエーション」(構築された状況)と呼ばれ、セーガルの基本的指示をもとに、場所や演じ手を変え、即興を入れて、繰り返し演じられ、多様な意味を生み出す。

 美術館や歴史的建造物の片隅で男女がコンテンポラリーダンスの動きを通して愛の抱擁を展開する《キス》(2002〜)、美術館の入り口から階段などのあいだに、観客が、子供、思春期、青年、老年に属する4人の男女から「進歩」について多方面の質問をされる《これらのつながり》(2012〜)のように、セーガルの「出来事」は、観客を目撃者や共演者として巻き込むものだ。それは、シチュエーショニスト・インターナショナルのギー・ドゥボールによる「ある場所に一定の期間人々を集めて行われる(中略)生をより高度で情熱的なものに変容させる瞬間の設定」という「状況」の定義と連動している。

 2019年10月4日から11月4日までの1ヶ月間、神奈川県小田原市にある、美術家杉本博司設計の私設庭園、江之浦測候所で毎日行われたセーガルの「出来事」もまた、測候所の特殊な地理的条件や建築や、設計者の思いに呼応する、有機的なパフォーマンスとなった。測候所は、太平洋の広がりを臨み、近隣の山々の尾根と対峙する丘の頂に、かつてのみかん畑の段差を利用して遊歩道や能舞台や展望台を設置し、古代から近代までの歴史的建造物の遺構や素材を再利用して茶席の待ち合いなどを建てた、現在と過去が共存する特別な場所だ。そのなかで、セーガルの「出来事」は、晴天の日は、海と山を見晴らす野点席の隣で、雨天の日はガラスの壁に覆われた海に突き出すギャラリー棟の回廊で、行われた。筆者は、その両方を体験できた。基本設定は、演じ手が地面や床に座した姿勢を守ることと、歌うことだ。

 晴天の日、猫の長鳴きのような声に誘われてその場に来ると、黙して目を閉じた白人女性にアジア系の少女が歌で呼びかけていた。コーヒー色の肌の男性が昆虫のような音を発する。彼らの「歌」は、既存の曲の断片を使いながら、アイルランド民謡や中世の聖歌のような哀調を帯び、言葉にならない発語と動物や鳥の泣き真似のような声を組み合わせていた。そこに腕の関節の先だけを動かす手踊りのような動作が加わる。その姿は、森羅万象の一部としての人間の姿を示しながら、文明の廃墟で出会った異郷の民が言語以前の手段で意志を通じようとしているような物語を想起させた。同時に、彼らの声に耳を傾けていると、観客は、波の轟音や風の音を聴き、舞い落ちる木の葉や飛ぶ鳥の影を認めた。それは観客を神話的世界に誘いながら、日常のなかにあって気づかれない音やかたちに目覚めさせる出来事だった。

 いっぽう、雨の日は、回廊に入ると、外界の音は総て遮断され、静謐な空間に僧院の詠歌のような声が響いた。回廊の袖で、二人の白人の男女が床に座り、歌で交感している。回廊は透明な壁を通して外部と視覚的につながっているので、観客は、霧にかすむ山々や海に囲まれ、水墨画のなかにいるような気分を味わう。杉本の海景の写真を見ながら、祈るような女性の動きを眺め、流れる歌を聴いていると瞑想的な気分に誘われる。演じ手の側に座って聴けば、観客自身が通行者への「見せ物」の一部となる。

 セーガルの「出来事」は、観客を日常とは異なる精神的次元に連れて行きながら、観客自身の感じ、考える力を呼び起こす。その働きは、「観客の聴く力を高め」、「生に目覚めさせる」ための「目的のない遊戯」という、ジョン・ケージによる自らの音楽の定義にも通じる。記録が禁じられている故に、出来事の個別性は観客の心に深く刻まれ、観客の数だけ意味が生まれる。それは、場所と演じ手の身体と観客の集中により成立する根源的で新しい「シアター」でもあった。