月評第125回 この先どこまで行くのやら
黒鉛筆で紙に落書きをする。これが法貴信也のアルファにしてオメガである。このとき、イリュージョンとは、汚れた紙が「ドローイング」になること、黒鉛筆と紙ではなくなんらかの関係性(具象、抽象、空間、奥行き等々)が出現することである。イリュージョンの発生には2通りある。ひとつ目は、描かれたものが不可視で非物質的な面=レイヤーの上に載っているという感覚で、これは基本的に投影によるイリュージョンであるから、映像的なイリュージョンと呼んでおこう。これを出現させるには、そこに「面」があることを意識させれば良い(モネの睡蓮、ブラックの釘、キュビスムにおけるステンシル文字や木目の壁紙、リヒターのブレぼけなど)。2つ目は、関係性(奥行き、対称性、具象、記号など)の認知である。例えば、様々な輪郭(シェイプ)で切り抜かれた色紙がランダムに並んでおり、それをある方向から見ると、紙片の全体が「片膝を立てて座るヌード」に見えたとき、切り紙の集合は統一された具象(フォルム)として、イリュージョンとして、出現したわけである。この場合、出現したフォルムが「図」として浮かび上がることで、それに対する「地」の平面を意識させる。前提とされたスクリーン面への投影ではなく、フォルムの出現によって事後的に出現する面であるから、これを非映像的レイヤーと呼んでおく。
マティスもまた、線から出発し、線描から色彩へ、ドローイングからペインティングへと、両者を統一することによって進んだ人である。「同一の動作で色彩とデッサンを結びつけるために切り紙絵をやる気になったのです」(マティスの言葉、1948)。マティスにとって色彩とは、平面上の部分間の示差的な関係性のことだった。線とは平面を切り分ける鋏の軌跡であり、それは面を様々な面積に分割して、そのあいだに示差的な関係、すなわち色彩を生み出す。白い紙はまだ白くはない。その上に描かれる線が紙面を分割し、関係性を生み出すことによって、初めて美しい「白」になる。色彩が示差的な関係であるためには、分割される平面はひとつの完結した全体として存在しなければならない。マティスは描き始める前に紙面の四隅を把握しているということである。
法貴信也の画業は、色鉛筆と色紙のドローイングから出発した。マティスにおけるように線は平面を分割していくが、法貴にとって平面は所与の完結した全体ではない。従って線の運動は、色彩を生じさせるのではなく、平面に部分的な歪み(奥行き)をもたらす。同時に、その線には色がついているので、地の色と線描全体の色のあいだに、ヴァルール関係が生じる。線の運動が生むヴォリューム(a)と、地の色と線の色のヴァルール関係から生じるヴォリューム(b)の二重システムの様々な展開(線の色の多色化など)が、法貴作品を形成していた。それは抽象と具象のあいだを自由自在に行き来する豊かな領域であった(1990年代半ば〜2005年頃)。
この豊かなドローイングの世界をそのままペインティングに展開することは、ペンのように描けるオリジナル筆を工夫し、キャンバスを硬いアルミパネルに代えてもなお、困難であった。そこで画家はいったん地の色を白にリセットし、さらに黒色を補色分解(紫〜青系と茶〜オレンジ系)で分割した、色の筆を重ねて同時に線を引く「二本画」を導入する(2006年頃)。色の二重線は、つねに自らの影を従えて走る太い線のようであり、線描自体が色彩の効果によって一種の立体感を帯び、空間をつくる(c)。この立体感によって強化された線の独立性において、ドローイングとペインティングは真の統一を果たした(2008年頃まで)。
しかし、二本画には副作用があった。本線の強い独立性ゆえに、線の強さに比例してその地となる面=レイヤーの存在感をも確たるものとしたのである。法貴の線描は、どれほど複雑であろうと、突き詰めれば白い紙の上に置かれたワイヤー細工のように見えた。
このレイヤー(非映像的レイヤー)に逆らうために、まず作家は、黒を分割した寒色系の色と暖色系の色のそれぞれをさらに色に分割した、ダブル二本画を試みた。自らの影をまとった二本画が二重に交錯することで、画面上の線が一斉に振動するような効果が生まれ、互いの独立性を相殺するのである。
次に、「スミア(拭き取りによるぼかしや滲み効果)」が導入される(2010年頃)。スミアによって線の独立性は崩され、部分的に透明な奥行き(d)を発生させたが、この部分的な空間性は、もうひとつのレイヤー=映像的レイヤーに他ならなかった。そのため作家は線を拭き消すのではなく、「画面の外の力を入れる線」をさらに開発した。これは発生した非映像的レイヤーを侵す線であり、「漢字に要らぬ画数を加えて単なる図形に戻すように(中略)作家は、世界を生成する線のみならず、世界を線へと逆成させる線を手に入れたのだ」(『美術手帖』2012年3月号本欄参照)。
なんらかの関係性(とそれとともに発生する部分的レイヤー)の生成(a〜d)、そしてそれらの生成を阻止する要素(ダブル二本画、スミア、画面の外からの力線......)による、たゆまぬ試行錯誤は、その後も変化を付けながら(スミアではなく汚れ、白塗り抹消......)継続され、2015年に京都のeN artsで発表されたその成果は、多くの法貴作品のファンを置き去りにし、驚愕させた。そこからさらに年の歳月を経て本展に至っている。
作品写真を見ればわかるように、案の定、画家はさらに先へと進んでいる。薄塗りで、そんなに何層も重ねられた絵ではないのだが、レイヤーの生成とその阻止が、画面の至る所を流動化させている。二本画は部分的には残っているが、分割された色はもはや並走せずに画面内をバラバラに動き回る。平面を分割する線の運動(ストローク)をあえて逆になぞることで殺して、中空の管のようなイメージに固定化させるかと思えば、顔や文字のようなイメージは出現途中で中断されている。改めて興味深いことは、法貴作品の本質である線の運動には必ず方向性(しかも右利きの)があり、画家の身体性と連動していることである。法貴作品は天地無用なのだ。
思えば法貴信也は、なんと遠くへ来たことか、と同時になんと変わらないことか。電子音と初めて遭遇したシュトックハウゼンは、「たったひとつの音のなかになんというカオスが潜んでいることか、信じられないほどだ‼︎」と叫んだが、たったひとつの色、たったひとつの線のなかになんという豊かなカオスが潜んでいることか。
それにしても、法貴信也のこのような進化をどうして美術館の回顧展で見られないのだろうか。一種の責任回避だと思うのだが、日本の美術館は、若手のグループ展(情実主義!)と、物故作家の再評価(業績指向!)展と、巨匠の展覧会(杉本博司!)ばかり企画して、来し方行く末がもっとも面白い中堅作家の回顧展をしようとしない。すぐ思いつく例外も、ほとんどは周縁的な地位にある美術館である。しかし中央がしないことを地方がすれば注目される。回顧展の機が熟した日本人中堅作家には事欠かないし、攻めどころだと思うのだが。
(『美術手帖』2019年12月号「REVIEWS」より)