過去に発せられた声はまた次の10年へ。石毛健太評 「MOTアニュアル2019 Echo after Echo:仮の声、新しい影」
東京都現代美術館での、日本の若手アーティストを中心に紹介する企画展シリーズ「MOTアニュアル」。その15回目となる昨年末より開催された「Echo after Echo:仮の声、新しい影」は、コピーやサンプリング、コラージュの手法が共通する作家5組によるものであった。本展を、美術家でありインディペンデント・キュレーターとしても活動する石毛健太が論じる。
東京都現代美術館での、日本の若手アーティストを中心に紹介する企画展シリーズ「MOTアニュアル」。その15回目となる昨年末より開催された「Echo after Echo:仮の声、新しい影」は、コピーやサンプリング、コラージュの手法が共通する作家5組によるものであった。本展を、美術家でありインディペンデント・キュレーターとしても活動する石毛健太が論じる。
石毛健太、田中良佑、BIEN、楊博の4名による展覧会「working/editing 制作と編集」が、アキバタマビ21で開催された。本展は、DVDボックスの特典映像といった作品制作の過程にある「作品未満」のもの、作品とは別のかたちを持つ「編集物」に焦点を当てることで「作品とは何か」を逆照射する試みであった。本展を、メディア・アーティストの谷口暁彦がレビューする。
劇作家の岡田利規と、アーティストの金氏徹平が、金沢21世紀美術館で発表した『消しゴム森』。インスタレーションと映像、そして演者と鑑賞者とが一体となるような演劇体験について、アーツ前橋学芸員の北澤ひろみがレビューする。
第12回恵比寿映像祭のプログラムとして上映された小森はるか+瀬尾夏美『二重のまち/交代地のうたを編む』。東日本大震災をきっかけに活動を開始し、記録を未来や遠くの人に受け渡すことを考えながら作品をつくり続けてきた小森と瀬尾。2人が向き合ってきた「当事者性」という問題を中心に、批評家の佐々木敦がレビューする。
50年にわたって、様々なメディアを扱い、人が現象世界に生きることの意味を探ってきたジョーン・ジョナス。第34回京都賞受賞(2018年)を記念したパフォーマンス『Reanimation』は、地球環境へ思いを馳せながら、イメージの断片からなる集積や彼女自身の行為、ジェイソン・モランのピアノの演奏、そしてそれらの融合を通して、複合的なメディア体験を観客に伝えるものだった。美術評論家の松井みどりがレビューする。
自然環境のフィールドレコーディングを中心とする作品制作を行う上村洋一。NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で開催された個展では、北海道オホーツク海の流氷から着想を得たインスタレーションを発表した。身体や環境に対する新たな感覚の目覚めへと鑑賞者を誘う本展について、キュレーター・アーティストの黒沢聖覇が論じる。
複数の場所と回数に分けて、6作家の作品を展示した「パンゲア・オン・ザ・スクリーン」展。企画者の山形一生は、これらのばらばらの鑑賞体験を、ウェブ上に画像を掲載し、アーカイブすることで、ひとつの物語にすることを目指している。この未完のプロジェクトについて、TAV GALLERYと横浜会場を体験したアーティストの大岩が、展示や体験の分断という現状を横目で見つつ、同展を分析する。
美術手帖では、批評家や学芸員らによる展覧会レビューを毎月掲載。そのなかから、3月に公開された全14本をお届けする。各レビューの詳細はリンクから全文をチェックしてほしい。
映像を軸に絵画、ドローイング、立体、パフォーマンスなど、メディアと手法を交錯させる作品を制作する泉太郎。本展では、今年ティンゲリー美術館(バーゼル)で開幕する個展に先がけ、これまで撮りためてきた映像を用いた新作インスタレーションを発表。泉が様々な展覧会に際し宿泊したホテルの部屋で一人で実践し続けていた実験のひとつであるという試みを、美術評論家の中尾拓哉がレビューする。
2019年、上海に開館したたポンピドゥー・センターの上海別館・西岸美術館(ウェストバンド・ミュージアム)で、インスタレーション、パフォーマンス、セノグラフィー、サウンドなど、多様な表現形態を発表しているアーティスト、ナイル・ケティングの個展「保持冷静 Remain Calm」が開催された。美術館という舞台において、ヒトとモノ、そしていまや避けられない災害を組み込んだインスタレーションとパフォーマンスを、キュレーターでアーティストの黒沢聖覇が読み解く。
戦後、日展を中心に作品を発表した洋画家の國領經郎(こくりょう・ つねろう、1919〜1999)は、砂丘や砂浜を舞台にした絵画作品で知られる。生誕100年を機に鳥取県立博物館で開催された回顧展では、神秘的で瞑想的な時空へと鑑賞者を誘う「砂の風景」シリーズなど、初期から晩年までの作品が紹介された。鳥取大学准教授の筒井宏樹が論じる。
時代の移り変わりとともに現れる様々な「家庭」のかたち。これを、美術を通して考える展覧会「アカルイ カテイ」が、広島市現代美術館で開催された。11組の作家たちが表現するそれぞれの「家庭」からは、どのような私的領域が見えてくるのか? 福岡市美術館学芸員・正路佐知子がレビューする。
空間を大規模に変容させるインスタレーションを手がける現代アートチーム、目[mé]。その美術館では初となる個展「非常にはっきりとわからない」が、千葉市美術館で開催された。2019年12月末から約半年間の休館に入る同館の状況を活かした会場構成で大きな話題を呼んだ本展を、椹木野衣はどう見たのか?
自身のルーツを出発点に独自の神話的世界を展開する金サジの個展「白の虹 アルの炎」(THEATER E9 KYOTO)と、社会で見過ごされてしまうものを写真のテーマに据えてきた田附勝による個展「田附勝 KAKERA きこえてこなかった、私たちの声展」(横浜市民ギャラリーあざみ野)。ふたりの写真家による表現の現在地を、清水穰がレビューする。
主に身体と声の問題を扱う映像作品を手がけてきた百瀬文が、東京では3年ぶりとなる個展「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」を東京・東葛西のEFAG EastFactoryArtGalleryで開催。本展は、オペラ『サロメ』をモチーフとした映像インスタレーション《Jokanaan》(2019)を中心に、新作3点で構成された。百瀬は映像というメディアがはらむ支配構造をどのように組み換え、そこに写し出される身体といかに向き合うのか? アーティストの佐藤朋子がレビューする。
絵画の構成要素を分解し、その最低限の要素である「線」のみをアクリル板と絵具によって描くシリーズを手がけてきた本山ゆかり。FINCH ARTS(京都)にて開催された本個展では、刺繍という新たな手法を取り入れた作品を発表。作家の新たな境地と、そこに潜むまなざしを愛知県美術館の中村史子が読み解く。
日本初の本格的な作曲家・指揮者として活躍した山田耕筰の活動を、竹久夢二や恩地孝四郎らとの影響関係など、同時代の美術とともに紹介する展覧会が栃木県立美術館で開催された。同館での「ダンス!20世紀初頭の美術と舞踊」展(2003)とも連続する本企画について、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。
アーティストの佐藤朋子が、池袋の書店「コ本や honkbooks」との協働によってパフォーマンスシリーズ「サークルナレーティング」をスタート。本シリーズは、ある書店の一角で、声や言葉を扱うパフォーマンスの場を開くための試みだ。第1回は、同じくアーティストの関川航平をゲストに迎え、「テーブルにて」という副題のもと、ひとつのテーブルを起点に佐藤と関川がそれぞれのパフォーマンスを上演した。本作を埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。
美術手帖では、批評家や学芸員らによる展覧会レビューを毎月掲載。そのなかから、2月に公開された全5本をお届けする。各レビューの詳細はリンクから全文をチェックしてほしい。
日常をゲーム的に撮影した風景や映像を「ヴィデオゲームの視点」を出発点として生み出す海野林太郎。現実とゲームの世界の臨界点を探りながら、この世の多層性と複雑さを浮き彫りにするような作品群をTOKAS本郷にて発表した。同個展について、ゲーム研究における論点を軸に自らの理論や作品を展開する、アーティストの大岩雄典がレビューする。