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融合美術を見せる試み、そこにおけるノイズ、休符、「外れた音」。長谷川新評「山田耕筰と美術」

日本初の本格的な作曲家・指揮者として活躍した山田耕筰の活動を、竹久夢二や恩地孝四郎らとの影響関係など、同時代の美術とともに紹介する展覧会が栃木県立美術館で開催された。同館での「ダンス!20世紀初頭の美術と舞踊」展(2003)とも連続する本企画について、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

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訓練めいたデモンストレーションの先に。 佐原しおり評 佐藤朋子+関川航平「サークルナレーティング Section #01」〈テーブルにて〉

アーティストの佐藤朋子が、池袋の書店「コ本や honkbooks」との協働によってパフォーマンスシリーズ「サークルナレーティング」をスタート。本シリーズは、ある書店の一角で、声や言葉を扱うパフォーマンスの場を開くための試みだ。第1回は、同じくアーティストの関川航平をゲストに迎え、「テーブルにて」という副題のもと、ひとつのテーブルを起点に佐藤と関川がそれぞれのパフォーマンスを上演した。本作を埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。

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ヴィデオゲーム的な想像力は新たな風景を生み出すか?  大岩雄典評 海野林太郎「風景の反撃 / 執着的探訪」展

日常をゲーム的に撮影した風景や映像を「ヴィデオゲームの視点」を出発点として生み出す海野林太郎。現実とゲームの世界の臨界点を探りながら、この世の多層性と複雑さを浮き彫りにするような作品群をTOKAS本郷にて発表した。同個展について、ゲーム研究における論点を軸に自らの理論や作品を展開する、アーティストの大岩雄典がレビューする。

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作家の視線と実践から見る、コレクション展 高嶋慈評 大阪府20世紀美術コレクション展「ココロヲウツス」

大阪府が所蔵する、20世紀後半の国内外の美術作品約7900点からなる「大阪府20世紀美術コレクション」の活用を目的として、若手アーティストに作品の選定と自作の発表を依頼する企画。第2弾となる今回は、写真家の麥生田兵吾(むぎゅうだ・ひょうご)が招聘された。美術批評家の高嶋慈がレビューする。

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構造化されたキャンバスが生み出す「子供の情景」とは。池田剛介評「岡﨑乾二郎 視覚のカイソウ」展

造形作家でありながら、教育活動、批評、研究、展覧会企画など、あらゆるジャンルにおいて深淵な洞察力をもって活動を展開してきた、岡﨑乾二郎。その活動の全貌を展覧する個展が、豊田市美術館で開催。初期作品「あかさかみつけ」シリーズから最新の絵画作品までを俯瞰することで浮かび上がる、その本質とは? アーティストの池田剛介が迫る。

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帰属の定まらない人々が立ち現れる神話的世界。はがみちこ評 金サジ「白の虹 アルの炎」展

写真家として関西を中心に活動する金サジは、在日韓国人3世という自身のルーツを出発点に、宗教や儀式、民族、伝統、故郷といった要素を組み込んだ独自の神話的世界を展開する作品で知られる。多文化共生地域の京都駅東南部エリアに2019年に開館した小劇場「THEATRE E9 KYOTO」で開催された個展について、はがみちこが論じる。

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「傷ついた風景の向こう」に見えるもの。小田原のどか評「DOMANI・明日2020」

文化庁が主催する「新進芸術家海外研修制度」の成果発表の機会として、1998年から開催されてきた「DOMANI・明日展」。その22回目となる「DOMANI・明日2020」では、「傷ついた風景の向こうに」をテーマに掲げ、日高理恵子、宮永愛子、藤岡亜弥、森淳一、石内都、畠山直哉、米田知子ら11作家が参加している。2020年の東京五輪開催に向け日本全体が盛り上がるなか、「傷ついた風景」を冠する本展がもたらすものとは? 小田原のどかが論じる。

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アートとゲームの親和性。中尾拓哉評 アラン、斉と公平太「非零和無限不確定不完全情報ゲームとしてのアート?」

ゲームとアートとの関係について思考し、新たなゲームを生み出す2人のアーティスト、アラン(三浦阿藍)と斉と公平太による展覧会が、副田一穂のキュレーションによって行われた。既存のゲームを組み替える斉と公平太と、新たなゲーム空間を生み出すアランの制作から見えてくるアートとゲームのあわいについて、『マルセル・デュシャンとチェス』の著者である、美術評論家の中尾拓哉がレビューする。

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光を見ることは可能か? 菅原伸也評 イズマイル・バリー「みえないかかわり」

素材の本質から事物をとらえ、見るという行為そのものを問いかけるイズマイル・バリーの日本初個展が銀座メゾンエルメス フォーラムにて開催された。展示会場全体を光学装置とし、映像作品を中心に、ドローイング、インスタレーションなど、さまざまな形態の作品が発表された。最小限の状況設定から生み出された繊細な作品群を通して、視覚への実験的なアプローチを行った本展を、美術批評家の菅原伸也が紐解く。

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中心−周縁のヒエラルキーを超え、両者を結ぶルートを見出す。檜山真有評「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」展

群馬県のアーツ前橋にて開催された「表現の生態系 世界との関係をつくりかえる」展では、現代美術作品に限らず「現代における生を表現を通じてつなぎ直す」様々な試みが紹介された。人類学や社会学の研究者を企画協力に迎えて構成された本展を、若手キュレーターの檜山真有がレビューする。

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知られざる前衛画家が刻んだ、日本の未来。沢山遼評「坂田一男 捲土重来」展

1920年代のパリにおいて、第一線で活躍していた前衛画家・坂田一男。同展では、その功績が十分に評価されているとは言えなかった作家の全貌を、著書『抽象の力』で坂田にスポットを当てた造形作家の岡﨑乾二郎を監修に招くことで、みごとに蘇らせた。坂田の同時代性、そして度重なる災害に苛まれる日本の現状をも予見するような現在性について、批評家の沢山遼がレビューする。

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自然との複層的な関係を提示する 中村史子評ジョーン・ジョナス「Five Rooms For Kyoto: 1972–2019」展

ジョーン・ジョナスの第34回京都賞受賞を記念し、国内最大規模となる個展が京都市立芸術大学ギャラリー @KCUAで開催された。パフォーマンス、映像、インスタレーションなど、複数のメディアを融合させた表現を追求してきたジョナス。本展は、彼女の作品の重要なキーワードとなる、女性、物語、環境問題を5つの展示室を使ってたどる。もっとも大きな部屋では、近年の代表作とも言える《Reanimation》のインスタレーションが展開された。愛知県美術館学芸員の中村史子がレビューする。

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芸術祭における通俗性。清水穣評「美術館の終焉─12の道行き」「IF THE SNAKE もし蛇が」

「アート・プロジェクト KOBE 2019:TRANS-」でグレゴール・シュナイダーが神戸市内各所に展開した「美術館の終焉─12の道行き」、ピエール・ユイグをアーティスティックディレクターに迎え2回目の開催となった岡山芸術交流の「IF THE SNAKE もし蛇が」、ふたつの国際芸術祭を清水譲が評する。

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欲望の空間と、その反転に見る現代の「受難」。菅原伸也評 ミン・ウォン「偽娘恥辱㊙︎部屋」

ミン・ウォンはシンガポール出身、ベルリン在住のアーティスト。アサクサで開催された「偽娘恥辱㊙︎部屋」では、成人映画「日活ロマンポルノ」を題材にした新作を発表。中国でいわゆる「男の娘(おとこのこ)」を意味する「偽娘(ウェイニアン)」による現代のデジタル動画の制作方法と、ピンク映画の黎明期に低予算で行われた早撮りの手法を参照することで、日活ロマンポルノに登場する3人の女優を再演した。身体とジェンダーにおけるパフォーマティヴな振る舞いの実験の場である本展を、美術批評家の菅原伸也がレビューする。

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沈んだ軍艦「秋津洲」は2020年にどうつながるのか? 小田原のどか評「柳幸典展」

2019年11月から12月にかけ、東京・原宿のBLUM & POEで柳幸典の個展が行われた。現代社会が孕む諸問題を、ユーモアを交えて表現する柳が同展でテーマとしたのは、第二次大戦中の大日本帝国海軍の水上機母艦であり、1944年9月に米軍機による爆撃を受け、現在もフィリピンのブスアンガ島に位置するコロン湾深くに沈む「秋津洲」。70年以上前に沈んだこの戦艦は、いかに2020年へと接続するのか? 小田原のどかがレビューする。

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