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REVIEW - 2019.11.15

「私のアメリカ」であり「あなたのアメリカ」。佐原しおり評 江成常夫写真展「花嫁のアメリカ 歳月の風景 1978―1998」

敗戦後の貧しい日本では、多くの日本人女性が進駐軍のアメリカ人男性と結婚し、海を渡った。彼女たちは「戦争花嫁」と呼ばれ、過酷な経済状況や人種差別、同じ日本人からの蔑視に苦しみながらも懸命に生きた。この夏、相模原市民ギャラリーでは、そんな戦争花嫁の姿をとらえ続けた江成常夫の写真シリーズを紹介。戦争の時代であった昭和を生き、平成にかけて受け継がれてきた花嫁たちの姿と言葉を、令和という新時代に再度提示した。本展を、埼玉県立近代美術館学芸員の佐原しおりがレビューする。

文=佐原しおり

展示風景より、左から「花嫁のアメリカ」《国立墓地》(1979)、「花嫁のアメリカ 歳月の風景」《ミズエ・デレスダーニア》(1997)、「花嫁のアメリカ 歳月の風景」《ケイコ・メイヤー 夫チャールスの葬儀で贈呈された星条旗》(1997)

Life Finds a Way

 「花嫁」という言葉には、どこか哀愁が漂う。「花嫁」がタイトルに含まれるフィクションには苦労話が多いからだろうか。「花」が美しさと同時に、その短命さを想起させるからだろうか。いやそもそも「嫁」という字そのものが多難な人生を表す語として機能してしまっているのかもしれない。

 江成常夫の「花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998」もまた、苦労を負って生きてきた女性たちのドキュメントである。敗戦後の貧しい日本で懸命に働くなかでアメリカ人男性と結婚し、アメリカへと渡った女性たちは「戦争花嫁」と呼ばれた。彼女たちの多くが、1950年代の日本で進駐軍に携わる仕事に従事したあと、アメリカ人の夫とともに異国に根を下ろし、専業主婦として、あるいはメイドやウェイトレスとして働きながら家庭を営んだ。その子供たちは、2国のバックグラウンドを引き受けながらアメリカで生活し、さらに次の世代を育んでいる。

 かつての敵国の男性と結ばれたために同胞の日本人からは侮蔑され、アメリカへ渡ったあとも人種差別を受け続けた彼女たちの人生は、寄る辺のない孤独な戦いの連続だっただろう。まっすぐ正面を見つめて微笑む「戦争花嫁」をとらえた江成のポートレイトは、人種差別、米軍基地問題、移民、「ハーフ」──きわめてアクチュアルなこれらの課題を一身に引き受けて生きるたくましい女たちへの賛美にあふれており、この作品群を今日改めて見直すべき意義もここに見出されよう。

​ 本展は、同名の写真集『花嫁のアメリカ 歳月の風景1978-1998』(集英社、2000)をもとに組み立てられており、第1部「花嫁のアメリカ―邂逅」では江成が78年に取材した「戦争花嫁」のポートレイトが、第2部「花嫁のアメリカ―再会」では98年に再び彼女たちのもとを訪れた際の写真が展示されていた。写真集において写真と並置された140字前後の簡潔なテキストは、江成自身が取材を通じてまとめた彼女たちの来歴であり、展覧会会場ではこれらが小さなキャプションとなって添えられていた。例えば、横須賀のナイトクラブで働いていたユタカ・レッドペター、長崎の原爆で父親を亡くしたマサコ・コロネル等々、そこには様々な人生が綴られている。

展示風景より
展示風景より

 あえてここで触れるならば、写真集では78年と98年の同一人物の写真を見開きで突き合わせているのに対して、展覧会ではふたつの年代が別々のコーナーで紹介されていたことを指摘したい。前者においては女性たちのビフォーアフターが端的に示されており、出産、離婚、死別などのプライベートな側面を覗き見るような、「野次馬」的な関心が喚起されやすい。しかし後者においては、展示室の第1室と第2室を頻繁に行ったり来たりしないかぎり、個別の人生の変化を特定することは難しく、20年という時間の厚みや、山あり谷ありの人生そのものをより普遍的な視座から認識することが促され、写真集とは異なる鑑賞体験が立ち上がっていた。​

​ 本シリーズでは、巨大なアメリカ国旗と富士山が描かれた小さな皿の対比や、不意に映り込む屏風絵などの恣意性を滲ませるモチーフ、都はるみが好きだと語るマリアン・ヨシコ・スペリーの法名を記したキャプションなど、ステレオタイプな文化認識を促すディテールが存分に含まれていることも重要である。74年、毎日新聞社のカメラマンからフリーランスへの転身を遂げた江成が、客観性を旨とする報道から離れて「写真をとおして自分の考えを、表現したいという思いがありました(*1)」と当時を振り返るように、一見切実なドキュメントとフィクションのあわいこそ、もっと厳密に議論されるべきものなのではないだろうか。作家の富岡多恵子は、江成作品におけるフィクション性について次のように述べている。

 花嫁たちは、写真をとりにきた江成氏に、どのような喋り方をしたのだろうか。日本語で喋ったのだろうか。英語だったのだろうか。それとも、英語まじりの日本語、日本語まじりの英語だったのだろうか。写真につけられている文章は、みな同じくらいに冷静であるが、それは、江成氏の、語り部としての語り口(文体)なのであろうか。(*2)

 富岡が指摘するように、「花嫁のアメリカ」が『アサヒカメラ』で発表された当初は、写真に「花嫁」たちの長い語りが添えられていたのである。「初めての主人ギルバートは、エアプレーンのクラッシュ(墜落事故)で亡くなり、その後二人のハズバンドと別れ、今四人目の主人と一緒。日本を離れて二十七年になるけど、あんまり辛くって、三回も死のうと……(*3)」といった具合に、不自然に英単語が織り混ぜられた独特の語り口が特徴である。江成の言葉を借りるならば、「写真と文章を拮抗(*4)」させたとき、彼女たちのものかどうかもわからない英語混じりの語り自体が「戦争花嫁」のアイデンティティを補強するものとして機能している。

 ところで、映画『ジュラシック・パーク』(1993)のイアン・マルコム博士のセリフに「Life Finds a Way(生命は道を見つける)」という言葉がある。もちろん彼女たちの人生と進化論はまったく別の問題系であるが、パークの管理者たちに向けられたこの警句は、常識やイデオロギーでは整理できない事柄が生命の原動力となることを思い起こさせてくれる。たとえば本展にポートレイトが展示されたマサコ・コロネルは長崎市に生まれ、45年に原爆で父親を亡くし、自身も被爆した。そしてその12年後に佐世保で出会ったアメリカの軍人テッドと結婚している。原爆を落として父親を殺した国の軍人と結ばれることがありうるのだ。彼女をはじめ「戦争花嫁」たちは、自分自身の人生を選び、ただただ懸命に生きただけであり、そこに横たわっていた様々な社会的軋轢は現在もなお深刻である。「花嫁のアメリカ」は、「私のアメリカ」であり「あなたのアメリカ」であってよいはずだ。「花」の時期にアメリカに渡った「嫁」たち固有の問題ではない。

展示風景より、左から「花嫁のアメリカ 歳月の風景」《ミヨコ・スミス》(3点組)(1997)、「花嫁のアメリカ 歳月の風景」《ヒロコ・カスタグナ》(4点組)(1998)

*1ーー江成常夫「ヒロシマ・ナガサキの原爆禍を視覚化する長い道のり」『図書新聞』3413号(2019年8月)
*2ーー 富岡多恵子「声をあげる術もないひとたちの〈語り〉をひき出す」『アサヒカメラ』1980年12月増刊号、269頁
*3ーー 同上、150頁
*4ーー*1に同じ