ワイダ監督の影響
──展示内容はとても見応えがありますし、セノグラフィもとてもつくり込まれた展示だと感じました。
クラクフ展と比較すると、どうしても当アーカイブ展示室のフロア面積は限られているので、縮小版の展示プランを構築する必要がありましたが、空間づくりには、クラクフ国立美術館の展示デザイナーに来ていただいて、こちらの建物に合わせた空間をデザインしていただきました。本格的な空間のつくり込みは、やはりクラクフ展のチームの協力なくしては実現しなかったと思います。
──展示に携わることで、改めてアンジェイ・ワイダ監督の全貌に触れられたと思うのですが、その全体像をどのようなものだととらえられましたか。
前々から代表作などは見ていましたが、初見の作品も含めて拝見して改めて考えると、とても周到に、近代ポーランドの歴史から現在までを覆い尽くすようなパースペクティブをもっている映画監督だということがわかりました。個々のテーマは、時代ごとに移り変わります。19世紀のポーランド分割と呼ばれる時代から、1930年代のナチがやってくる前の戦間期のポーランドの風景。「抵抗三部作」に描かれるワルシャワ蜂起、それから『コルチャック先生』(1990)では、ワルシャワのゲットーで孤児たちを守る小児科医のナチへの抵抗が描かれました。『カティンの森』(2007)という第二次対戦中のソビエトにおけるポーランド人捕虜の虐殺事件を描いた作品や、『残像』(2016)という遺作で、スターリン主義下に置かれて自分の絵を描けなくなった画家を主人公にするなど、ソビエトからの抑圧も題材としました。そうした晩年の作品も、非常に力強い。そしてグダニスクの造船工場の「連帯」まで、本当にポーランドの近現代史を自分のドラマの糧にしていたことがわかります。
──社会性と芸術性に裏付けられた偉大な映画監督の活動が、包括的に日本で紹介されるのは貴重な機会だと感じました。
ワイダ監督は日本の映画界に対して、とても敬意をもっていたそうです。その筆頭が、1951年に『羅生門』でヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した黒澤明監督。その後、溝口健二監督や成瀬巳喜男監督なども世界の映画祭で評価されました。当時、世界の映画文化の中心は西欧とアメリカでした。そういう状況に対して、西欧とアメリカ以外の国々が世界の映画界に名乗りをあげる先駆けのひとつが、日本映画でした。そういう意味でも、自国のアイデンティティを映画で主張する、世界映画のなかにポーランド映画もあるということを知らしめるために、日本映画は大きな刺激になったのだと思います。
クラクフのキュラトリアル・チームから日本に対して強いコールをかけていただいたのは非常に嬉しかったですし、こうした偉大な映画監督の表現は、つねに顕彰されていかないといけないと考えています。来年はワイダ監督の生誕100周年なので、ポーランドでは色々と事業が展開される予定です。新しい世代に伝える意味でも、今回の展示を実現できたことを有意義だったと感じています。