回顧展の開催経緯
──アンジェイ・ワイダ監督といえば、コロナ禍で残念ながら閉館してしまった東京・神保町の岩波ホールで作品が上映され、ヨーロッパ映画ファンにはよく知られた存在です。今回の回顧展「映画監督 アンジェイ・ワイダ」の開催の経緯をお聞かせください。
アンジェイ・ワイダ監督が亡くなったのは2016年で、没後に色々な顕彰活動が進みました。そして、彼の功績を語り継ぐために、19年にポーランド・クラクフの国立美術館で大回顧展が開催されました。その主催者の意向として、ワイダ監督作品は日本でずっと上映されてきましたし、監督本人がとても日本文化に傾倒していたので、巡回展はまず日本で行いたいと考えていたそうです。
──展覧会の主催が、国立映画アーカイブ、日本美術技術博物館Manggha(マンガ)、アダム・ミツキェヴィチ・インスティテュート、協力がクラクフ国立美術館、ポーランド広報文化センターとなっています。
まずアダム・ミツキェヴィチ・インスティテュートというのは、日本でいう国際交流基金のような、海外との文化交流を行う団体です。そちらから当アーカイブにお声がけいただいたのが始まりです。回顧展が開催されたのがクラクフ国立美術館で、日本美術技術博物館Mangghaというのは、日本の美術と技術にフォーカスしたポーランドの国立美術館なのですが、この創設に尽力されたのがアンジェイ・ワイダで、アンジェイ・ワイダ・アーカイブもここに収蔵されています。
──「Manggha」というのは、日本語の「漫画」ですか?
そうですが、 現代の漫画ではなくて葛飾北斎の「北斎漫画」から来ています。この美術館は、ワイダ監督が日本で京都賞を受賞し、その賞金をベースに、さらに日本側で資金を集めて創設した念願の施設です。背景をたどると、1944年にまだ18歳だったワイダ監督は、ドイツ占領下のクラクフで日本美術展を見たそうです。浮世絵などは大収集家フェリクス・ヤシェンスキのコレクションで、そこに「北斎漫画」が含まれており、そのヤシェンスキは自らを「マンガ」と名乗っていたそうです。それで美術館の愛称として、「Manggha」と名付けられました。ヴィスワ川のほとりに立ち、磯崎新さんのプランに基づいてポーランドの建設家クシシュトフ・インガルデンが設計に携わった、建築も美しい美術館です。