ポーランド映画の巨星、アンジェイ・ワイダ。国立映画アーカイブ主任研究員が語るその軌跡と日本とのつながり

「ポーランド派」の筆頭的な存在として、世界にポーランド映画を知らしめた巨匠、アンジェイ・ワイダ(1926〜2016)の大回顧展が国立映画アーカイブで3月23日まで開催されている。展覧会を担当する国立映画アーカイブの岡田秀則主任研究員にその魅力と日本とのつながりについて話を聞いた。

聞き手・撮影=中島良平

『蝿取り紙』撮影中のアンジェイ・ワイダ(1969年) 日本美術技術博物館Manggha所蔵

回顧展の開催経緯

──アンジェイ・ワイダ監督といえば、コロナ禍で残念ながら閉館してしまった東京・神保町の岩波ホールで作品が上映され、ヨーロッパ映画ファンにはよく知られた存在です。今回の回顧展「映画監督 アンジェイ・ワイダ」の開催の経緯をお聞かせください。

 アンジェイ・ワイダ監督が亡くなったのは2016年で、没後に色々な顕彰活動が進みました。そして、彼の功績を語り継ぐために、19年にポーランド・クラクフの国立美術館で大回顧展が開催されました。その主催者の意向として、ワイダ監督作品は日本でずっと上映されてきましたし、監督本人がとても日本文化に傾倒していたので、巡回展はまず日本で行いたいと考えていたそうです。

展示風景より

──展覧会の主催が、国立映画アーカイブ、日本美術技術博物館Manggha(マンガ)、アダム・ミツキェヴィチ・インスティテュート、協力がクラクフ国立美術館、ポーランド広報文化センターとなっています。 

 まずアダム・ミツキェヴィチ・インスティテュートというのは、日本でいう国際交流基金のような、海外との文化交流を行う団体です。そちらから当アーカイブにお声がけいただいたのが始まりです。回顧展が開催されたのがクラクフ国立美術館で、日本美術技術博物館Mangghaというのは、日本の美術と技術にフォーカスしたポーランドの国立美術館なのですが、この創設に尽力されたのがアンジェイ・ワイダで、アンジェイ・ワイダ・アーカイブもここに収蔵されています。

──「Manggha」というのは、日本語の「漫画」ですか? 

 そうですが、 現代の漫画ではなくて葛飾北斎の「北斎漫画」から来ています。この美術館は、ワイダ監督が日本で京都賞を受賞し、その賞金をベースに、さらに日本側で資金を集めて創設した念願の施設です。背景をたどると、1944年にまだ18歳だったワイダ監督は、ドイツ占領下のクラクフで日本美術展を見たそうです。浮世絵などは大収集家フェリクス・ヤシェンスキのコレクションで、そこに「北斎漫画」が含まれており、そのヤシェンスキは自らを「マンガ」と名乗っていたそうです。それで美術館の愛称として、「Manggha」と名付けられました。ヴィスワ川のほとりに立ち、磯崎新さんのプランに基づいてポーランドの建設家クシシュトフ・インガルデンが設計に携わった、建築も美しい美術館です。

編集部

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