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身体の振る舞いを作品化する。松岡剛評 うらあやか「私はそれを“ダンスの素子”と名付ける。」展

パフォーマンスを中心に作品を制作する若手アーティスト、うらあやかの個展が、広島芸術センターで開催された。「ダンス」の概念を応用し、ワークショップをもとにした作品やインスタレーションなどが展開された本展を、広島市現代美術館学芸員の松岡剛がレビューする。

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「肉体の旅」と「心臓の旅」、 2つの旅路をなぞる。飯岡陸評 落合多武展「ショパン、97分間」

落書きのようなドローイングやペインティング、オブジェ、ビデオなど様々な表現方法を用いて、自身の連想のプロセスをかたちにする落合多武。そんな落合の個展「ショパン、97分間」が、日光東照宮のほど近く、安川町に位置するスペース「てつおのガレージ」で開催された。ショパンの死後、彼の心臓だけが故郷へ帰還したという逸話をもとに展開された本展を、キュレーターの飯岡陸が読み解く。

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地域美術史と、美術館の普遍的価値を考える。 鈴木俊晴評「ミュージアム・グローバル」展

ドイツ・デュッセルドルフにある公立美術館、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館(K20)で開催された「ミュージアム・グローバル」展。世界7つの地域における1910〜60年代の作品を紹介する展覧会だ。東京、モスクワ、サンパウロ、メキシコシティ、シムラ、ベイルート、ザリアといったヨーロッパ以外の都市におけるモダニズムの受容について、同館の研究者らが数年にわたって取り組んだプロジェクトの成果として発表された。豊田市美術館学芸員の鈴木俊晴が考察する。

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未知と既知、可知と不可知のあいだ。中尾拓哉評 平川紀道「human property(alien territory)」

日常生活を支えるテクノロジーの計算に注目し、コンピュータ・プログラミングによる数理的処理や、その結果を用いたインスタレーション作品を発表してきた平川紀道。現代社会に絶えず存在する未知の領域との接続のあり方や、既知とのあいだに存在するわずかな値を探求する平川作品を、中尾拓哉がレビューする。

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映像、テキスト、水、構造物ー重層的な空間がおりなす体験とは。福尾匠評 大岩雄典「スローアクター」展

既製品や映像、ものなど、多彩な要素を組み合わせたインスタレーションをてがける大岩雄典が、東京・駒込倉庫にて、美術家で建築家の砂山太一企画による個展を開催した。2階建ての建物全体を用いて大岩の作品が配置された同展は、会場構成に建築家・奥泉理佐子も参加し、重層的な意味構造と空間体験を生み出している。本展について、フランス哲学、芸術学、映像論を専門とする福尾匠がレビューする。

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サミュエル・ベケットから見るボルタンスキーの「生」。多木陽介評「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」展

フランスを代表する現代アーティストのひとり、クリスチャン・ボルタンスキーの国内初となる大型回顧展が大阪・国立国際美術館で開催中だ。作家自身が「展覧会をひとつの作品として見せる」と語るように、インスタレーション作品としても構想されている。初期作品から最新作までを網羅する本展から、ローマ在住の批評家、社会活動家の多木陽介が、ボルタンスキーと劇作家サミュエル・ベケットの交点を読み解く。

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この人生が、誰かの人生を演じなおしているのだとしたら。兼平彦太郎評 マリオ・ガルシア・トレス「ともに時を落ちていく」展

約20年にわたり、アートと大衆文化の隙間を映像、写真、立体を含む多様なメディアを用いて詩的に綴ってきたマリオ・ガルシア・トレス。現在メキシコシティを拠点に活動する作家の個展がタカ・イシイギャラリーで開催された。偶然の一致、記憶、終焉、反復、過渡期の瞬間をテーマとした本展をはじめ、これまでのガルシア・トレスの作品に通底するキーワード「演じなおす」とは。キュレーターの兼平彦太郎が読み解く。

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曖昧で自由な展示空間が喚起するテクスチャー。塚田優評「光るグラフィック展2」

現実空間と仮想空間、それぞれの鑑賞体験を可能にし話題となった「光るグラフィック展2」。リアルとバーチャル、人間と機械など様々な対立項の境界が曖昧になるなかで、現代における「オリジナル」の定義はどこに存在するだろうか。現代に根ざすこういった問いを考察する本展を、視覚文化評論家の塚田優がレビューする。

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私たちの計測器、その手触り。小鷹研理評「フィジーク トス」展

規定や約束事としてのフォーマットを「使ってみる」をテーマとしたグループ展「フィジーク トス」が、アキバタマビ21で行われた。参加作家はucnv、小林椋、時里充、本山ゆかりの4名。絵画から映像インスタレーションまで、表現領域の異なる作品を貫く「計測」とは? 「からだの錯覚」を研究する小鷹研理がレビューする。

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異国の地で生き抜くための覚悟。長谷川新評 小圃千浦「カリフォルニアに生きる。」展

太平洋戦争中の強制収容といった過酷な体験を耐えながら、アメリカでその生涯を全うした画家の小圃千浦(おばた・ちうら)。そんな小圃の初回顧展が昨年アメリカで開催され、今年に入ってその巡回展が岡山県立美術館で開催された。東洋と西洋の美的感覚が混在する小圃作品約140点を紹介した本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

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民藝なき時代に「自由の美」が慰撫するもの。清水穣評「内田鋼一展 時代をデザインする」

無国籍性、素材の質感を重視したスタイルが特徴の陶芸作品を手がけ、古陶磁、古道具の蒐集家でもある内田鋼一の個展が兵庫陶芸美術館で行われた。白をテーマとした作品と自身のコレクションが並置された本展から見えてくる、「民藝」なき戦後の日本社会の「自由の美」とは。美術評論家・清水穣がレビューする。

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1980年代をどう「括る」か。椹木野衣評 「起点としての80年代」、「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」、「バブルラップ」、「アーカイヴ/1980年代│静岡」展

1980年代をテーマとした展覧会が、静岡市美術館、国立国際美術館、熊本市現代美術館をはじめとする各地の美術館で立て続けに開催されている。1980年代日本の現代美術はどう括られるべきなのか? 各展に見られる重複と反復、思惑を椹木野衣が読み解く。

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粒子が交流し、はじめて成立する底なき世界。沢山遼評「特別展示:瑛九の部屋」

コラージュ、ガラス絵、フォトデッサン、版画、抽象絵画などの多面的な仕事を残し、周囲の作家たちからは天才と呼ばれながらも、日本の画壇の無理解に苦しみ続けた画家、瑛九。その最重要作品とも言える《田園》(1959)のみを暗室に展示し、鑑賞者が照明をコントロールしながら鑑賞できるという実験的な展示「特別展示:瑛九の部屋」が埼玉県立近代美術館で4月14日まで開催中だ。フォトデッサンから《田園》まで、瑛九の作品に通底する世界とは。美術批評家の沢山遼が読み解く。

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ハックされた空調設備が奏でるものとは。星野太評 今尾拓真展「work with #6(金沢市民芸術村アート工房空調設備)」

旧大和紡績の倉庫をリノベーションした石川県の金沢市民芸術村PIT5アート工房で、同市を拠点に活動する若手アーティスト・今尾拓真による「work with」シリーズの新作が発表された。彫刻や音響を用いて空間に介入する作品を制作してきた今尾の試みについて、星野太がレビューする。

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村上隆は戦後美術から何を引き継ぐのか。 長谷川新評 「バブルラップ」展

現代美術家・村上隆のコレクションとキュレーションによる展覧会が、熊本市現代美術館で開催された。本展には、長文タイトルがついており、その冒頭には、戦後の現代美術を新しい視点で解釈する際の全体像を包括するものとして、村上が生み出したアートワード「バブルラップ」が掲げられた。つねに「芸術とは何か」を問い続けてきた村上の最新アイデアが凝縮された本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

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アーティスト・中谷芙二子のふたつの顔。飯田豊評「霧の抵抗 中谷芙二子」

「霧のアーティスト」として世界的に知られるいっぽう、社会を鋭く見つめたビデオアートの制作や、ビデオを用いた表現を行う若手作家の発掘と支援に尽力した中谷芙二子。水戸芸術館現代美術ギャラリーで行われた日本初となる大規模個展を、社会学者の飯田豊がレビューする。

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「レクチャーパフォーマンス」を逆照射する試み。長谷川新評 佐藤朋子展「103系統のケンタウロス」

1月19日と20日の2日間限定で横浜で開催された佐藤朋子展「103系統のケンタウロス」。本展の来場者は、それぞれ会場から数分歩いたバス停から103系統のバスに乗り、作家によるレクチャー音声を聴きながら終点まで向かうよう指示された。「レクチャーパフォーマンスとは何か」を問いかけ、さらにその欠点を露わにした本展を、インディペンデント・キュレーターの長谷川新がレビューする。

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