月評121回 無国籍・無時間の民藝
現代に「民藝」は可能か
内田鋼一は陶芸の分野を超えて幅広い層に愛される人気作家であるが、その理由を説明するのは難しい。川端健太郎や桑田卓郎のように、すぐにそれとわかる個性は見えない(それがないわけではないが、必ずなんらかの既視感を伴う)。原憲司や梶原靖元のように、原理主義から生まれる独自の素材感を伴っているわけでもない(それへのリスペクトとこだわりは見えるが、原理主義者ではない)。あるいはまた、中村康平や
内田鋼一が設立したBANKO archive design museumの公式図録『知られざる萬古焼の世界 創意工夫から生まれたオリジナリティ』(2015)を、鳥取民藝美術館の『吉田璋也の世界 Shoya YOSHIDA Design Collection』(2015)の隣に置く。さらに『MADE IN JAPAN 素のものたち』(2011)に、坂田和實の『ひとりよがりのものさし』(2003)を添えてみる。読者は自ずとそれらの類似に気がつくはずである。内田鋼一とは、焼き物を焼く吉田璋也なのだろうか? あるいは、欲しいコレクションを自分で制作してしまう坂田和實であると? すなわち、柳宗悦から吉田璋也を経て、戦後の坂田和實に至る「目利きの」の眼と、その眼の下で働いた職人の手を併せ持つ存在としての、21世紀版民藝作家なのか?
民藝とは、まず美意識(「直感」)の運動であり、1920年代に日本に着床したモダニズムの一表現であって、特定のスタイル(土味、素朴な絵付け等)に縛られるものではない。モダニズムは「差異化された文化的システム」vs.「その外部」という大きな二元論を骨格としている。「差異化された」とは対立概念が対になって構造化されていることで、従って「その外部」とは、上下、貴賎、美醜、善悪……の彼岸である。柳宗悦はそれを「二相に囚われぬ自由の美」すなわち「奇数の美」と呼んだが、それは民藝の美が、われわれの社会の通常の価値観の彼岸で、まるで啓示のように見出されることを意味する(浅川
ただし、この「外部」はあくまでも「内部」から見た外部であり彼岸であって、内部から一方的に投影されるものであることに注意しなければならない。二元論の各項を、「文明(宗主国)」vs.「未開(植民地)」、「欧米」vs.「非欧米」と言い換えれば、それが対等な二項によるものではなく、前者が一方的に後者を植民化し、「外部」視するという、基本的にコロニアルな思考フレームであるのは明白であろう。李朝ブームと民藝運動が、日韓併合(1910)と日中戦争(盧溝橋事件、1937)に挟まれた時期に勃興するのは当然なのだ。
この思考フレームに感染した者=モダニストにとって、李朝陶磁は「日本」の「外部=植民地」であるがゆえに美しい。民藝は「上流階級」の「外部=名もない庶民・工人の世界」であるがゆえに美しい。モダニズムが追い求める「外部」としての美は、一方的な(階級的、経済的、軍事的……)差別を前提としているのである。柳宗悦も吉田璋也も、上流階級の人間として、民藝やクラフトのプロデュース業が本業ではなかった。民藝の成功には、階級のオーラが欠かせない。「あるがまま」の美を認定するのは上の者なのだ。
1945年の敗戦とは、日本がアメリカの一種の植民地へと滑落し、この階級のオーラが全面的に無効化したということである。「あるがまま」の日本は奪われ、もはやJAPANの「あるがまま」は、(欧)米人が認定するものになった。従って構造的に、敗戦後の日本社会に「民藝」は存在しえない。かつて、日本化・近代化されていく朝鮮で、日本人が古き良き李朝陶磁を「あるがまま」の本質として愛でたように、今度は(欧)米人やそれに倣う日本人(被植民地には必ずこの階層ー「バナナ」ーが発生する)は、古き良きJAPANを「あるがまま」の本質として愛でたのであった。こうして「ちょっと懐かしい」民藝調の日常陶器が戦後に広く流通したが、それはもはやかつての民藝のシミュラークルにすぎなかった。
逆に、もし敗戦後日本で新たな「民藝」を遂行して「あるがまま」の美を愛でたければ、なんらかの「格差」ないし「上からの眼差し」を捏造しなければならない。戦後日本で濫造されてきたもっともポピュラーな「格差」は、富豪のパトロン(金のオーラ)と、(欧)米人(アメリカのオーラ)であろう。この文脈で、坂田の『ひとりよがりのものさし』は、戦後版「民藝」として、つまり「直下」の不可能性を自覚しつつ、金とアメリカのオーラに屈しない植民地知識人の著作として読める。もはや現在の日本には存在しえない階級的目線のかわりに、坂田は(古陶磁・骨董を含む)「古道具」のオーラを仰ぎ見るのである。もはや存在しない「あるがままの日本」の「素のもの」の美は、古道具のなかにだけ存在するのだ。
先に挙げた著作から見て、内田鋼一がある部分でモダニストであり、「自由の美」を信じていることは明らかである。が、その美を支えていた構造は、現在の日本では不可能であって、捏造するか、あるいは古道具の美を鑑賞するしかない。このとき、新しく作品をつくる陶芸家として「自由の美」を、捏造することなく表現するにはどうするか(これは杉本博司の問いでもあった)。
兵庫陶芸美術館の内田鋼一展は小さいながら何も隠さない回顧展であった。冒頭の既視感の由来が、簡潔に作家の古道具コレクションによって明示されている。それは骨董というよりは、使い込まれた昔の(手)工業製品のコレクションである。つまり『手仕事の日本』(柳)というわけだが、しかし、内田はまず、坂田和實よりも徹底して「古道具のオーラ」から国籍と時代を奪った。かつて地域に根ざしていた(手)工業製品ならば、その質感において、古代であろうと大正期であろうと、アフリカであろうと伊万里であろうと、すべては同列なのである。地球はひとつですよ。無国籍・無時代的な「普遍的人間」のつくり出した「自由の美」を、内田は抽出して作品にする。この抽象性が現代の日本人に受けているならば、それは彼らが抽象的な夢に生きていたいからであろう。辺野古移設も憲法改正も、どうせなるようにしかならないでしょうからね。そんな彼らを内田の器やデザインは癒すであろう。
古道具から、それぞれの地域性と時代性を漂白してつくられた白い作品群は、どこからも距離を取って浮遊している。それは痛ましい光景である。古道具から感受される昔の「あるがまま」は復活するわけではない。どこでもなく、いつでもない人間の白紙状態に置換されるだけなのだ。白紙の絶対的受動性が、内田鋼一の「あるがまま」を支えている。なるほど、戦時下に共産主義、どんなに厳しい条件下でも、必要なら人は何かしらをつくるであろう。その絞り出されたような創意工夫を愛でる人は、しかしそのつくり手ではない。内田作品が、作家自身を癒すことはないだろう。
(『美術手帖』2019年4月号「REVIEWS」より)