月評第122回 泡と砂のなかの80年代
重複と反復の80年代美術展
このところ、1980年代の日本の現代美術をめぐる企画が目白押しだ。昨年の夏に金沢21世紀美術館で始まった「起点としての80年代」展(以下、起点)を皮切りに、秋には大阪の国立国際美術館で「ニュー・ウェイブ 現代美術の80年代」展(以下、ニュー・ウェイブ)が、さらに熊本市現代美術館でも村上隆を招き、日本のバブル期を骨子に据えた「バブルラップ」展が開催されている。
ほかに国内を扱ったものではないが、高知県立美術館では80年代に国内外を席巻した「ニュー・ペインティングの時代」展が開催中だし、海外でもロサンゼルスのギャラリー、ブラム&ポーで「もの派」のキュレーションで知られる吉竹美香企画の「パレルゴン 1980年代と90年代の日本の美術」展が始まったばかりだ。タイトルは、80年代初頭に神田で東京でのニュー・ウェイブ的な動向を束ねた画廊パレルゴン(設立・運営=藤井雅実)から着想されている。ちなみに昨年、品川にオープンしたギャラリスト・コレクティヴ「アノマリー」が90年代初頭にレントゲン藝術研究所で筆者が企画した展覧会に由来することといい、五輪と万博によって60年代から70年代初頭が再現されるいっぽうで、アート界では80年代以降の現代美術をめぐり、やはり既視感を含んだ重複と反復が繰り返されている。
いま既視感と書いたが、私などは同時代で作品を見ているのでそう感じても当然だし、若い世代にとっては反復どころか、まったく未知の時代だろうから、参考までに国内での三つの80年代展で、実際にどれくらいの作家が重複しているか見ておく。まず、3館を通じて取り上げられているのは、川俣正、中原浩大、中村一美、日比野克彦、森村泰昌の5人(このうち中原と中村はLAでの「パレルゴン」でも重複)で、これを見るかぎり、世代とは関係なく、80年代に特有の未視感はまったくない(当時のフェミニズム台頭の機運に反して、ここに女性がひとりもいないのは意外だ)。さらにこれを2館に絞ると、石原友明、大竹伸朗、岡﨑乾二郎、小林正人、杉山知子、諏訪直樹、辰野登恵子、舟越桂、松井智惠、横尾忠則、吉澤美香が加わる。人にもよるだろうが、現代美術に親しみを持つ者にとって、やはり未知な印象はほとんどない。
こうして俯瞰的に見てみたとき、これらの人選からは、80年代をめぐる新たな歴史的発掘がそもそも目指されていないことがうかがえる。むしろ、すでに歴史的な評価の確立された作家たちを、改めて「80年代を起点」に束ね直す試みととらえたほうが近い(例外は「バブルラップ」展で、ここでの会場後半の展示は、80年代の美術の括り方としては、過去にまったく例を見ないものになっている)。
この点でもっとも典型的なのは、全国で3館を巡回中の大規模な「起点」展で、私が見たのは静岡市美術館での展示だったが、印象として強く受けたのは、80年代と言っても、すでに90年代の声が聞こえ始めた89年と90年に国内外で企画された80年代の日本現代美術をめぐる(「起点」ではなく)「集約」展、「アゲインスト・ネイチャー」(うち既出の大竹伸朗、舟越桂、森村泰昌が重複)と「プライマルスピリット」(同、川俣正、ほかに戸谷成雄、遠藤利克ら)との相似であった。
つまり、80年代と言っても、その視点は限りなく「出口」に近く、その意味では80年代美術の「起点」を、かえって見えにくくしてしまっているように思われる(例えば、あくまでいますぐ、机上で念頭に浮かぶかぎりだが、80年代としたときに、あれほど旺盛な発表を繰り広げた吉原悠博、三上晴子、大村益三、前本彰子、コンプレッソ・プラスティコ、宮前正樹らが取り上げられず、ほとんどまったく言及もされないのはなぜなのだろう)。
東日本大震災以降の目でとらえた80年代
これに対して、その「集約」の「動機」について、もっとも端的に伝えていたのは、現時点では図録もなく、会場での展示にまつわる文脈も明示的でないことが一部で批判されているようだが、それらの声に反して、むしろ圧倒的に村上隆の「バブルラップ」展のほうである。なにせこの展覧会は、あまりに長いので省略してしまったが、展覧会タイトルに、その趣旨がこれ以上なく説明的に組み込まれている。つまり、そのあとに続く「「もの派」があって、その後のアートムーブメントはいきなり「スーパーフラット」になっちゃうのだが、その間、つまりバブルの頃って、まだネーミングされてなくて、其処を「バブルラップ」って呼称するといろいろしっくりくると思います。特に陶芸の世界も合体するとわかりやすいので、その辺を村上隆のコレクションを展示したりして考察します。」も含んで、正式タイトルは初めて成り立つ(チラシや会場のバナーもすべてそうなっている)。
「スーパーフラット」を「輸出」した村上の射程は当然、海外にも及んでいるはずだから、そこで述べられているとおり、「バブルラップ」展の関心は、日本の現代美術史のうち80年代を世界の文脈のなかでどう「括る」かに向けられており、同時にそれは、かつての「アゲインスト」や「プライマル」が、80年代の終わりに日本の現代美術を海外に「輸出」しようとした「欲望」
大震災以降の発掘ということで言えば、私はそれを静岡市美での同時開催企画「アーカイヴ/1980年代─静岡」展に強く感じた。なかでも、1980年から87年にかけて遠州灘に面した主に中田島砂丘で開かれた「浜松野外美術展」は、塩分を含んだ強風、刻々とかたちを変える砂という悪環境のもと、美術はどのようにありうるかについて挑み、おのずと、まさしく砂上の堅牢な造形が不可能であったように一度は完全に埋もれ、忘れられもした。だが、自然災害が多発し、80年代をめぐる思惑が渦巻くなか、風前の砂のなかから同展が発掘されたことの持つ意味は大きい。
(『美術手帖』2019年4月号「REVIEWS」より)