魂の旅、あるいは落合多武のドローイング
白い霧を抜け、日光東照宮にほど近い建物のドアをくぐる。もともと薬局だったという年季の入った板張りの床に、それぞれに色彩が重ねられた木の板が並ぶ。その上には古びた時計や使い道のわからない民芸品、金属の器具などが絵画の一部のように配置され、鈍い光沢を放つ。
フレデリック・ショパンは、ロシア帝国の支配下にあったポーランド・ワルシャワ近郊の街、ジェラゾヴァヴァラからパリへと活動の拠点を移し、故国に戻ることはなかった。彼は1849年に心臓だけでも故郷に持ち帰るよう言い残して息を引き取り、死後、実際に彼の心臓だけがワルシャワに移された。このショパンの逸話を「楽譜」とする落合多武による展覧会「ショパン、97分間」は、アーティスト自身がジェラゾヴァヴァラからパリへと移動する「肉体の旅」、ショパンの心臓がパリからワルシャワへ2ヶ月かけて帰還する「心臓の旅」という2本の罫線からなる。
車窓から見える往路の景色は長いビデオとして、復路で撮影したスナップ写真は12分ほどの短いスライドショーとして上映され、旅の最中に蚤の市で購入したという蒐集物は、もともと会場にあった品々や落合の作品に混ぜ込んで展示される。古い白黒写真が陳列棚に並び、もとから日光の山脈をとらえた油彩画が飾られていたという応接室には、ビリヤードなどの余暇を示す言葉が印刷されたポスターが掲げられている。
展示室の壁にかけられた6枚の額では、ノートから抜き出された紙片が古い雑誌のページとともに装丁され、旅の最中に印象深く出会ったというものたちが忘れゆく記憶のように朧げにドローイングされている。その隣にかけられた乳白色のキャンバスの中では、褐色のスペルがバラバラに解け、滲みをつくっている。「Ze La Zo Wa Wa La Pa r is ...ジェ・ラ・ゾ・ヴァ・ヴァ・ラ、パ・リ」。
展示室に緑色のワイヤーが絡まっていることに気づく。天井に張りめぐらされた照明用の赤い電線から伸びたその線は陳列棚を通り抜け、空中で回転しながら捻れ、建物の奥へと続く。ワイヤーは落合の旅路をなぞるように「肉体の旅」を投影する部屋から「心臓の旅」を上映する2階を抜け、鑑賞者とは異なる順路で天窓へと上っていく。ドローイングのようなこのワイヤーは実際、フリーハンドで描かれた会場図の中でくっきりとした線で描かれ、空間全体をドローイング化している。それはこれまで息を潜めていた歴史に命を吹き込み、血液のように建築空間を巡る。
「ドローイングとしての旅」という主題は、これまでの落合の作品でも見ることができる。たとえば熱帯雨林で迷った経験を紙と鉛筆を見ないで描く《熱帯雨林のドローイング》(2008〜09)や、落合が「究極な場所の風景画」と呼ぶ、地球の極点を描いた2枚組の絵画作品《北極点、南極点》(2010)は、目的地で結ばれた中間のない感覚を呼び起こす(*1)。アートブックにおいても、歴史的な出来事が起きた建築物や彫刻、品物を、それらの持つ逸話によって一連につなぐ『Architecture Sculpture & Something』(2010)、メキシコシティにあるポーランドレストランなど世界中の都市と料理の由来が乖離するレストランの地図を描いた『Medow traveler’s restaurant guide』(2012)においてこうした主題が扱われてきた。
また、本展のために制作された『Variations, scene』では、旅中で撮影した各地の風景画の写真を1冊にまとめている。そして2019年1月に行われた個展「旅行程、ノン?」(小山登美夫ギャラリー)では、様々な祝日をつなぐ架空の旅程を絵画として発表した。ここではやはり、世界各国の様々な休日がつながりをつくることで頭の中にだけ立ち上がる、現実との摩擦によって掠れた架空の軌跡がドローイングとなっていた。
展示室を2階に上がると、こうしたドローイングと建築、歴史の絡まり合いはより鮮明に姿を見せる。蚤の市で大量に売られていたという「ある建築家」の即興的なアイデア、スケッチや図面が、落合によるドローイングとともに襖に貼られている。棚や壁には、落合が住むニューヨークからポーランドのクラコウに送られた「返事を待っている」とだけ書かれた古い電報や、ポーランドの重要な人物を描いた少女のノートブック、隠し撮りされたような写真が展示されている。毛細血管のように細かな線に覆われた地図は、第一次世界大戦のときにパリでの進攻を示すために使われたものだという。
「ある建築家」の即興的なスケッチに基づき制作された構造体は《ある建築家のドローイング(ミュージアム)》と呼ばれ、美術館に見立てられる。木箱を積んだこの仮設の陳列台はたれ下がった紙をめくることで、落合が旅行中にとったと思われるメモと、「心臓の旅」で見つけた品々を見ることができる。床には貝殻の皿とインク、筆が置かれ、大きく広げられた紙にはショパンの生家と最後に住んだ家が重ねて描かれている。窓には2枚の紙が吊り下げられ、ショパンと、ある時期の恋人であったジョルジュ・サンドのポートレートが描かれている。紫外線に弱いインクによるその描線は、太陽の光で消えかかっている。
ところでこの展覧会にショパンの音楽は登場しない。応接室のデッキの横に積まれたCDの中にショパンのものはなく、展示室の陳列棚には1978年に発表されたケイト・ブッシュの『嵐が丘』(原題:Wuthering Heights)のレコード・ジャケットが置かれている。当時19歳であったこのシンガーソングライターは、エミリー・ブロンデによる同名小説(1874)を原作としたテレビドラマに着想を得てこの曲を作曲し、女性の亡霊が現世に呼びかけるため嵐となって窓を揺らす様を高らかに歌い上げる。
こうして落合多武は、この展覧会を通じて、歴史に息を潜めていた様々な亡霊たちを浮かび上がらせていく。そして亡霊は、発見されたときだけ登場する世界中のスパイのように、私たちには見えないまま、あらゆる土地に身を潜めているだろう(*2)。ドローイングに描き込まれた宙に浮かぶこちらを見る目、隠し撮り、守り神のようにワルシャワや日光のあらゆるところを巡る猫のように。落合の即興的な行為は、もはやショパンの魂の旅のように単線的であることをやめて、血流のように分岐し、毛細血管のように広がっていく。それは不可視の亡霊に姿を与え、地図を沸き立たせ、歴史に血を通わせる。そして即興的なドローイングは世界に満ちたまま、再び霧の中へ、乳白色のキャンバスへ、天窓へと、降り注ぐ太陽やそよぐ風とともに消えゆくだろう。
*1ーー大崎晴地はこういった「ここ」と「あそこ」が重なり合う落合の作品について「不在の中心」という概念を通して論じている。大崎晴地「傾注とポイエーシス(3)落合多武――不在の中心としての生成装置」(『流砂』2010年第3号、批評社)
*2ーー落合は清水穰によるインタビューの中で、10年にワタリウム美術館で開催された展覧会のタイトル「スパイと失敗とその登場について」について次のように話している。「スパイってきっと世界中に大勢いるのだろうけど、普段は顕在化しない。その人が捕まったときに初めて現れますよね。見えなかったけれど事実存在している何かが、あるきっかけによって見えてきたり、見えなくなったりすることに関心があるんです」。(『美術手帖』2010年8月号、170頁、美術出版社)