人間の労働、機械の労働
普段は多目的ホールとして使われている施設の、空調システムをハックする。本展で今尾拓真が行っているのは、煎じ詰めればそれだけのことである。会場である金沢市民芸術村アート工房(以下、「PIT5」)は、古いレンガづくりの倉庫を改装した500㎡におよぶ広大な空間だ。その全権を委ねられた作家はしかし、天井から伸びるダクトすべてにリコーダーを取りつけ、それぞれの空調が「弱・中・強」の3段階に随時切り替わるプログラムを仕掛けたところで手を止める。展示の基本情報を伝える壁面のカッティングシートを除けば、ほかに外から持ち込まれたものは何もない。
本作は今尾拓真による「work with」シリーズの6作目にあたる。最後に( )を伴うそのタイトルが直截的に示すように、同シリーズは会場に備え付けられた機器(おもに空調)を利用するサイトスペシフィックな作品だ。旧作はこれまで京都・広島・大阪の3都市で発表されているが、記録映像を見るかぎり、その構造に大きな変化はない。いつも冷気/暖気を排出するだけの空調が、前述の仕掛けにより、たちまち楽器の奏者へと転じる──大学のホールであれ(#1)、旧銀行の店内であれ(#2)、アートフェアの会場となったホテルであれ(#3)、どこかに空調を備えた建物の中であれば、原則的にこの作品は同じように成立するはずだ。
ゆえに各作品の具体的な様相はまず、その選ばれた空間との関係にこそかかってくる。今回の会場であるPIT5は、もともと紡績倉庫であった時代の遺構を天井部分に残しつつ、それ以外を白で統一したホワイトキューブに近い空間だ。ただし展示壁のすぐ上に目をやると、同じく白に塗られた配管がむき出しになっており、類似するリノベーション建築と比べてもかなり特異な印象を与える(*1)。同時に、公演やワークショップでの用途を想定しているためか、この種の空間にはいささか不似合いな階段席やスロープが据えつけられていることも、あわせて特筆しておくべきだろう。要するに、ここはあらゆる意味で「普通の空間」ではないのだ。
おそらくそれゆえであろう。本作では、過去の「work with」におけるこれ見よがしのパイプは影を潜め、空間と調和するよう白く塗装された部品が、リコーダーを無理なくダクトに固定していた。どういうことか。記録を見ると一目瞭然だが、過去の同シリーズではおもに既成品の(readymade)パイプが用いられ、本来の用途とは異なるものへと転じた空調の姿が、時にユーモラスに、時にグロテスクに可視化されていた(パイプのもつ「触角」ないし「触手」的な造形性)。ひるがえって、本作にはそのような視覚的な操作がほとんど見られない。空調を純粋な音響装置へと変える慎ましやかなインスタレーションは、この空間自体のクィアネスを浮き立たせるべく選ばれた「引き算」の産物であろう。
はじめにも述べたように、今尾拓真の作品は、特定の建物/設備を利用した仮設的なインスタレーションと形容しうるものだ。それはこの「work with」(2015〜)に限ったことでなく、ある窓枠をフレームに見立てて撮影された映像を同じ空間に投影した《windows #1》(2017)にも共通する特徴である(*2)。だが、彫刻を出自とするこの作家にとって、これらの作品の本体はあくまで「音」のようである。空間そのものに対する視覚的な配慮もさることながら、この作家の本領はむしろ、音響面の設計において存分に発揮されている。本作においても、エアコンのダクトが「演奏」する17本のリコーダーにはそれぞれ固有の音階が与えられ、来場者の動線にも鑑みて、広大な空間中に複数の異なる音像を結ぶべく調律されていた。
ところで、本作のタイトルに含まれる「work」は名詞、動詞のどちらなのだろう。普通に考えれば名詞と言いたいところだが、かりに動詞であるならこのタイトルは「……と協働せよ」という(不完全な)命令文をなす。その場合、この命法はいったいどこへと向かうのか。誰と誰が、いや何と何が「協働する」のか。それは明らかに「空調」と「リコーダー」であろう。実際、私たちがそこで目の当たりにするのは、通常ならば出合うべくもない二者による協働の光景である。作家である今尾の介入(=労働)は、あらかじめ入念な清掃を行い、両者の適切な出合いをセッティングする、という間接的なものにとどまる。結果、そこでは日々寡黙な労働を強いられている空調たちの、つかの間のアンサンブルが成立することになるだろう。
これら17のリコーダーは、会場のすぐ上を走る電車の音ともあいまって、あたかも蒸気機関のごとき轟音を不規則に出来させる。機械のみが響かせることのできる、その大いなる息吹。ところで、この「芸術村」の上を走る北陸本線が金沢駅まで延伸したのは、今から1世紀以上前の1898年のことであるという。かつての紡績倉庫を舞台に奏でられた本作の音響が呼び起こすのも、かつてこの付近に鳴り響いていたはずの蒸気機関の音にほかなるまい。
かつてジャ・ジャンクーは映画『プラットホーム』(2000)において、汽笛の音に媒介された登場人物の過去の記憶を、あるひとつの場面に凝縮するための類稀な方法を発明した。本作の鑑賞中、ちょうど列車がこの建物の上を横切ったとき、わたしの脳裏に浮かんだのは、ひとりダイニングでまどろむ人物のそばで沸騰するその「ヤカン」の音であった。その動因の違いこそあれ、ある高エネルギーによって圧縮された空気の音は、かように特定の歴史や出来事との特異な回路(circuit)を形成する。これまで複数の空調設備をハックしてきた「work with」もまた──おそらく作家の意図せぬ仕方で──ここでそうした唯一無二の回路を形成した。そのような連想を、人はしばしば短絡(short-circuit)と呼ぶだろう。しかしそれもまた、人間の労働と、機械の労働が織りなす、ひとつのアレンジメントであることに変わりはない。
*1──水野一郎+金沢計画研究所がリノベーションを手がけた金沢市民芸術村は、竣工(1996)の翌年、グッドデザイン賞をはじめとする複数の賞を受賞している。
*2──同作は今尾拓真・岡本孝介「so close, yet so far」展(芸宿、石川県金沢市、2017)において発表された。展示会場(旧・芸宿)が取り壊された現在、《windows #1》の再展示は原理的に不可能である。