環境へのまなざし ―実験から広場へ
よく知られているように、中谷芙二子という作家には、大きく分けてふたつの顔がある。ひとつは、1970年の日本万国博覧会(以下、大阪万博)を端緒として、約半世紀にわたって世界各地で「霧の彫刻」に取り組んできた美術作家としての顔。もうひとつは、1970年代に「ビデオひろば」のメンバーとして活動したのち、1980年から92年まで「ビデオギャラリーSCAN」の運営に尽力した、日本におけるビデオアートの開拓者という顔である。
本展の白眉は、このふたつのあいだの分かちがたい関わりを、はっきりと示すことに成功している点にある。
第一に、企画者が的確に補助線を引いている通り、このふたつの活動領域は「環境(environment)」あるいは「生態系(ecology)」という概念によって架橋できる。
1960年代、いわゆる「環境芸術」をめぐる世界的な潮流を代表していたのが、ニューヨークを拠点とする E.A.T.(Experiments in Art and Technology)にほかならなかった。アーティストのロバート・ラウシェンバーグと、ベル電話研究所のエンジニアだったビリー・クルーヴァーによって1966年に設立され、60年代末までに世界各地にローカルグループが相次いで生まれた。
E.A.T.は大阪万博において、ペプシ館のデザインおよび館内プログラムを手がけ、中谷はその一員として「霧の彫刻」を初めて発表することになる。「環境」に対する中谷のアプローチが、実験物理学者であった父・中谷宇吉郎から受け継いだ生来の関心に、E.A.T.での創作活動が交差するなかで具体化していったことを、本展は豊富な資料展示によって跡づけている。
付け加えておくと、日本国内でも60年代半ば以降、大阪万博に戦後日本の芸術が向き合うなかで、「環境」が重要なキーワードとして浮上していた(*1)。その象徴として知られているのが、1966年に「エンバイラメントの会」が銀座松屋で開催した「空間から環境へ」展であり、総勢38名のメンバーの中心にいたのが、後年「ビデオひろば」の命名者になる東野芳明、そして建築家の磯崎新であった。もっとも、このような歴史的経緯を踏まえるまでもなく、磯崎が手がけた水戸芸術館の広場と一体化した「霧の彫刻」を体験するだけで、ここが中谷の活動を回顧する絶好の舞台であることは明らかだった。
そして第2に、中谷芙二子は一貫して、多くの美術家や科学者たちとの協働を通じた集団創作、あるいはオープンなコミュニケーションに媒介されたネットワーキングに取り組んできた。
ペプシ館に関する展示室では、共同研究者の実験ノートなどを含む貴重な資料によって、「霧の彫刻」が誕生するまでの試行錯誤が垣間見られた。「霧の彫刻」が現在まで、数多くの作家との共同制作によって可能性の幅を広げてきたことは、改めて言うまでもない。
大阪万博の翌年にE.A.T.が企画した、世界4都市をテレックスでつないだ《ユートピアQ&A 1981》(1971)は、各国の市民が国境を越えて参加した壮大な実験であると同時に、通信技術に媒介された広場をつくる試みでもあった。本展では、当時やりとりされた400以上の質問と回答の抜粋が展示され、このプロジェクトの全貌を理解できる。
クルーヴァーはE.A.T.の活動目標として、「産業界に資金面の援助ばかりでなく、制作に必要な素材や設備、さらにエンジニアや科学者の提供を求めて、現代芸術作成のプロセスへの援助を呼びかけること」と、「科学技術分野と芸術分野間における個人レベルでの緊密な共同作業を可能にするということ」を掲げていた(*2)。支援の対象をビデオアートの制作や流通に置き換えれば、中谷がビデオギャラリーSCANを通じて取り組んでいた活動と理念的に通底していることが、SCANに関する資料展示によって浮き彫りになる。
ところで、環境芸術という概念は、60年代に一世を風靡したマーシャル・マクルーハンと深い関わりがあるいっぽう、中谷が1974年に翻訳した『ゲリラ・テレビジョン』(マイケル・シャンバーグ+レインダンス・コーポレーション、原著は1971年)もまた、マクルーハンから強い影響を受けている。さらに言えば、日本では大阪万博に関わっていた美術家や建築家のあいだで、環境芸術に関する理論的関心と相まって、マクルーハンの思想がいち早く受容されていた(*3)。したがって中谷自身、芸術分野におけるマクルーハニズムの渦中にいたことは間違いない。
もともと、60年代の北米で注目を集めた「ハプニング」「エンバイラメント」「インターメディア」といった概念は、総じてマクルーハンの議論と親和性が高かった(*4)。これら一連の趨勢は、芸術分野にエレクトロニクスという技術的手段が導入されたこと、とくに映画やテレビなどに関する装置が採用されたことが決定的に重要だったからである。
そして60年代末、ビデオアートが本格的に花開くことになる。ビデオアートは、その起源を実験音楽や前衛映画に求めることもできる反面、テレビの分権化(脱中心化)を志向する政治的運動として、初めてその輪郭が浮き彫りになった。レインダンス・コーポレーションは、抽象画家からメディア・アクティヴィストに転身したフランク・ジレットが1969年、シャンバーグととともに創設したオルタナティヴ・メディアのシンクタンクである。
両名ともマクルーハンの思想に啓発されており、ビデオ作品を制作・販売・配給する活動に加え、雑誌『ラディカル・ソフトウェア』の発行を通じて、マクルーハンをはじめ、グレゴリー・ベイトソン、バックミンスター・フラーなどの思想を踏まえたメディア生態学を展開した。『ラディカル・ソフトウェア』は、国家やメディア企業体に迎合することなく、地域や地方自治体の複数的な利害関心を反映する「コミュニティ・ビデオ」を啓発したが、マクルーハンのメディア楽観主義こそが、ビデオアーティストと地域活動家とのあいだを架橋していた(*5)。
『ゲリラ・テレビジョン』に示された理念や実践(*6)は、ビデオという技術に固有の美学を追究する実験精神こそを重視するビデオアート史の中では、必ずしも高く評価されていない(*7)。もっとも、初期のコンピュータやインターネットに内在していた対抗文化とは明らかに地続きで、メディア史の視座からこそ深く考察されるべきであろう。
岡﨑乾二郎が鋭く指摘しているように、中谷がビデオを通じて見出した知見のひとつは、「メディウムは表現ジャンルという流通、展示=上演形式によって規定されるのではなく、それを溢出、越境する力である。が、その溢出、越境がその反動として、それを概念として固定しようとする形式を要請――生起させる」という特性だったのだから(*8)。
また、日本ではマクルーハンの思想に代わって、中谷芙二子の実践こそが、ビデオアーティストと地域活動家のあいだを架橋していたとも言える。《水俣病を告発する会 ―テント村ビデオ日記》(1972)の先進性は言うまでもないが、70年代は全国各地のケーブルテレビ局で草の根的な自主放送(コミュニティ・チャンネル)が相次いで始まった時期でもあり、多くの制作者が中谷の活動に触発され、励まされていたことは強調しておきたい。
そして現在、先端的なデジタル技術を駆使して集団創作をおこなうアーティストやエンジニアが存在感を増しているなかで、E.A.T.は憧憬の対象として熱いまなざしを浴びている(*9)。2025年に大阪・関西万博を控えている日本では、科学技術分野と芸術分野との共同作業のあり方について、歴史的な検証を含めた考察や実践がますます活性化していくに違いない。
本展自体がその一助になっている反面、あらゆる権威や権力に抵抗するレジスタンスとしての中谷の軌跡を踏まえると、既定路線の先を急がず、少し立ち止まって考えることの大切さにも気づかされる。
*1ーー椹木野衣『戦争と万博』(美術出版社、2005)に詳しい。
*2ーービリー・クルーヴァー「新しいテクノロジーと芸術家 ─E.A.Tの活動にみる」(中谷芙二子訳、『美術手帖』1969年4月号)。
*3ーー拙稿「マクルーハン、環境芸術、大阪万博 ―60年代日本の美術評論におけるマクルーハン受容」(『立命館産業社会論集』第48巻4号、2013)に詳しい。
*4ーーマクルーハンによれば、メディアが環境化することによって、ある時代の現実が形成されるようになると、その影響は不可視なものになる。新しい環境が登場することで相対的に古くなり、目に見えるようになった前の時代の環境(=「反環境」)を作品として意識化させるのが、芸術の役割に他ならない。そして、エレクトロニクスという新しいテクノロジーの環境が登場してきた現在、環境そのものが芸術として扱われる段階(=「環境芸術」)に初めて達したのではないかと指摘した。
*5ーークリス・メイ=アンドリュース『ヴィデオ・アートの歴史 ―その形式と機能の変遷』(伊奈新祐訳、三元社、2013[原著は2006])などに詳しい。
*6ーー『ゲリラ・テレビジョン』は、ビデオに関する技術的かつ実践的な情報を掲載したマニュアルと、『ラディカル・ソフトウェア』の思想を抽出したメタマニュアルによって構成されている。同書によれば、「フィードバック」が欠如した「広域放送(マスコミ)テレビジョンに対する根源的な不信」に根ざした、個人的で素人的なビデオテープの交換を通じて、「ビデオ・コミュニケーション」という文化が台頭しているという。それはモノを所有する「プロダクト文化」から、コトを体験する「プロセス文化」への移行とされる。映像に対する所有意識や物神崇拝を否定し、表現のためのメディアではなく、コミュニケーションの道具としてのビデオの意義が強調されている。
*7ーー「ここ(=ゲリラ・テレビジョン:引用者注)にあるのは、技術的完璧さの断念を意図的な〈様式手段〉として含むような考え方である。あらゆる強調にもかかわらず、このグループのメディア理解は一般的なものにとどまっている。すなわち、このメディア理解は、美的手段や技術的に可能なエフェクトを開発しつくそうとはしないのである。[…]ヴィデオの独自性をさらに分化させ、確立するのに貢献するような技術的、美学的基準は打ち立てられない」(イヴォンヌ・シュピールマン『ヴィデオ ―再帰的メディアの美学』海老根剛監訳、柳橋大輔+遠藤浩介訳、三元社、2011[原著は2005])。
*8ーー岡崎乾二郎「あふるるもの」水戸芸術館現代美術センター監修『霧の抵抗 ―中谷芙二子展』(フィルムアート社、2019)。初出は「グリーンランド ―中谷芙二子+宇吉郎」展(銀座メゾンエルメスフォーラム、2017-18)の記録冊子。
*9ーー例えば、ライゾマティクスリサーチの真鍋大度は2018年、評者が行ったインタビューの中で、E.A.T.に対する関心を表明したうえで、「万博やオリンピック・パラリンピックのような巨大なプロジェクトで、今どうやってアーティストが関わり、組んでいくのがよいのかというのがすごく気になります」と述べている。NTT InterCommunication Centerで配布された小冊子『TECHNOLOGY×MEDIA EVENT』に収録(非売品)。