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REVIEW - 2019.9.19

妊夫たちが映し出す、未来の性のあり方とは? 内海潤也評「岡田裕子 ダブル・フューチャー」展

女性や夫婦、家族をめぐるジェンダー的問題や社会的なまなざしの歪みを、批判的かつユーモラスに作品へと昇華させてきた作家岡田裕子。この夏ミヅマアートギャラリーで開催された個展では、今年2月に恵比寿映像祭で話題となった《エンゲージド・ボディ》と、15年以上前に制作された「妊娠した男性像」を描いた作品を対比的に見せた。本展から浮かび上がるメッセージをキュレーターの内海潤也が読み解く。

内海潤也=文

エンゲージド・ボディ 2019 ビデオ、3Dスキャン身体型ジュエリー、3Dスキャン身体型ミラーボール 撮影=宮島径  All Works:© OKADA Hiroko Courtesy of Mizuma Art Gallery

妊娠する男性身体へのまなざしと未来

 本展は、今年2月に初めて恵比寿映像祭で発表された岡田裕子の新作インスタレーション《エンゲージド・ボディ》と、2002年に発表され今回改めてBGMをオリジナル曲に変更し、再編集した映像作品《俺の産んだ子》、そして2003年に発表された「妊夫」を写した写真作品「未来図」シリーズで構成されている(*1)。

エンゲージド・ボディ:腎臓のベルト 2019
ナイロン(作家自身の内臓をスキャンし、3D出力)に金箔、ほか 13×7.5×5.5cm
「第11回恵比寿映像祭:トランスポジション 変わる術」(東京都写真美術館、2019)より
撮影=大島健一郎 写真提供=東京都写真美術館

 

 《エンゲージド・ボディ》が描き出す再生医療が発展した未来では、ドナーの細胞株からレシピアントの希望する身体部位を提供できるサービスが存在する。そして、ドナーとレシピアントのあいだで、受け取った内臓をジュエリーに仕立てて贈り物にするビジネスが成り立っている。「エンゲージド・ボディ・ジュエリー」と名付けられたそれは、婚約を意味するエンゲージメントを拡張させ、性別、年齢を超えたエンゲージメントのあり方を示唆するとともに、現代のジェンダー、結婚を頂点に据えた恋愛、家族観に縛られた「婚約」を解体していく。

エンゲージド・ボディ:あなたに会いまショウ 2019
シングルチャンネル・ビデオ 13分40秒

 これは一見、既存のジェンダー規範からの逸脱、女性身体をオブジェのようにみなしてきた家父長制社会からの身体の取り戻しのように見える。だが、通販テレビ番組をパロディ化した《あなたに会いまショウ》では、あくまで女性が女性に対して宣伝を行っているに過ぎず、ホストと専門家であるゲストがもともと交換可能な身体パーツで構成されたAI搭載ロボットであり、奨励している本人たちには細胞株などそもそも必要がないことが明らかにされる。つまり、浮薄なプロモーションの言葉で彩られる既存のジェンダーに則ったビジネスの蔓延と、経済に絡め取られていく身体や欲望の危険性が示唆されているのである。技術革新だけでは社会の構造、経済、規範は変化しない、むしろ強化されてしまうことが、不気味さを伴ったきらびやかな世界のなかに織り込まれているのだ。​

エンゲージド・ボディ   2019
ビデオ、3Dスキャン身体型ジュエリー、3Dスキャン身体型ミラーボール
「第11回恵比寿映像祭:トランスポジション 変わる術」(東京都写真美術館、2019)より
撮影=大島健一郎 写真提供=東京都写真美術館

 また恵比寿映像祭では、ロボット本体とともに機械的な身体のイメージを繰り出していた市原えつこの《都市のナマハゲ》の後に展示されていたので、その後に続く内臓のかたちがジュエリーへと転換されている《エンゲージド・ボディ》は、カーペットが敷き詰められた空間というわかりやすい記号が用いられていることもあり、過去に存在していた習俗儀礼のように感じられた。​

「ダブル・フューチャー」(ミヅマアートギャラリー、2019)より、《エンゲージド・ボディ:
わたしの身体は複雑なパズルでできているの。》(2019)展示風景 撮影=宮島径

 それに比べミヅマアートギャラリーの展示では、無骨なコンクリートの床にポツポツと展示されるジュエリーが、入り口を通り抜けた瞬間に目に入る。《エンゲージド・ボディ:身体のミラーボール》が反射させる三角形の光によって緩やかにジュエリーたちは部分でありつつも身体全体を紡ぎ出し、新作の平面作品《私の身体は複雑なパズルでできているの》のナンバリングされた身体の部分、もしくはプレパラートに広げられた細胞株の三角形と呼応するかたちで、体の部分と全体をつなぎ合わせていた。ゴージャスさは減ったが、そのことで、恵比寿映像祭では部屋全体の印象に回収されて目が行き届かなかった細部まで意識が向けられた。

俺の産んだ子 2002 / 2019 2チャンネル・ビデオ 17分48秒

 いっぽうで《俺の産んだ子》と「未来図」シリーズが映し出す妊娠する男性の姿は単純に「楽しそう」にみえる。SEXや女性との関係に興味を持たない男性S.K.氏が宝くじに当たったお金で最先端医療の「男性の妊娠」のドキュメンタリー風映像と、この事例を淡々と医学の専門家として解説する映像が同時進行していく《俺の産んだ子》。岡田自身の出産前夜のセルフポートレイトと合成させてつくり出した、若い男性たちが妊娠によりお腹を膨らませた「妊夫」のポートレイト写真「未来図」シリーズ。これらは「女性である私が女性のストーリーを伝えるより、むしろ性を転換し、男性にその立場を肩代わりさせることでより広く多角的に考えられないだろうかという試み」(*2)と岡田本人が述べるように、男性が自身の身体変化を通して、ジェンダーに対して意識を促す作品である。 

未来図 #1 2003 ラムダプリント 102×140.5cm

​ 男性が妊娠による身体変化を視覚的に体験し、妊娠する可能性を感じつつ妊夫にまつわる仕事・出産・育児といったライフキャリアを改めて考え直させる。もちろん同時に、いままで考えなくても生きてこられた女性の身体的・社会的境遇に、男性が無関係ではないことを照射していることは言うまでもない。

 「マタニティ・フォト」の系譜をまとめた小林美香は、広告写真を通してつくり上げられてきたマタニティ・フォトの様式や記号性が社会に浸透していること、セレブリティのグラマラスな妊婦、母、女であり、妊娠にもかかわらず仕事もこなせるプロフェッショナルであることを示すためのマタニティ・フォトのトレンドが存在することも明らかにする(*3)。しかし、2003年に制作された「未来図」シリーズに写る男性たちはどうだろうか?

「ダブル・フューチャー」(ミヅマアートギャラリー、2019)より、
「未来図」シリーズ(2003)展示風景 撮影=宮島径

 「未来図」内の妊夫たちは、マタニティ・フォトの系譜とは明らかに異なるポージングを取っている。上半身をさらけ出し、胎児が包まれているお腹を支えようともせず、腹部の妊娠線や肌の黒ずみは修正をせずにそのまま見せている。広告で見られるマタニティ・フォトとの比較によって、男性が妊娠することと女性が妊娠することでは表象のされ方、立ち振る舞い、そしてライフキャリアの違いがあることが浮かび上がってくる。商業的でもなく、社会的役割を負わされているのでもなく、産後の仕事復帰や育児の不安もなく、もはや陣痛すらないのではないかと思わせるほど快活に笑顔を見せている男性たちは、膨らんだお腹を抱えることなく「自立」し、ただ身体の変化と生命の誕生を喜んでいるように見える。だが、朗らかな笑顔とは裏腹に、「『母親になること』が、従来の意味での妊娠(性交による自然妊娠)だけではなく、人工受精や体外受精、卵子提供、代理出産のような生殖医療によって可能になった様々な選択肢のうえに成り立つことが広く認識されるようになった」(*4)時代においても、女性への「清らかな母性を持った存在」という画一的・規範的イメージは存在する。その一方的なイメージが持つ暴力性を「妊夫」の存在は暴き出す。

 本展では、部分→全体→部分という動きを絶えず起こすことで、「エンゲージド・ボディ・ジュエリー」が持つ、男性の所有から抜け出た女性たちの身体の操作や更新といった側面、そして処女性やピュアさを求める男性の欲求から逃れる身体のあり方までをつむぎ出すことができていたように思える。さらに、17年前に作家が想像した架空の未来がいまだリアリティを持って現在の課題を反映している事実によって、新作が持つ近未来性、潜在性はより強まっていた。過去作と織りなされることで、変化のないジェンダー規範や社会構造の先には、経済にただ回収されてしまう未来が訪れることを予見させる。男性が変わらないことには変わらない現在の社会制度の存在を、妊娠する身体の可能性を通して「あなた」につきつける。この「ダブル・フューチャー」で示されているのは、過去から見たときの変わらぬ現在(=未来)とその先にある不気味な未来なのであり、ユーモアの裏に隠された「いまこそ変わるときなのだ!」という切迫した訴えが感じとられるのだ。

*1──会期中には、上記作品群を中心に岡田のこれまでを振り返る初の作品集『DOUBLE FUTURE – エンゲージド・ボディ/俺の産んだ子』(求龍堂)が出版された。ここには、これまで作家活動を追ってきた笠原美智子(ブリヂストン美術館副館長)による、過去作と近作を結びつける素晴らしいテキスト「岡田裕子の愛と孤独、そして笑い」が収録されているので、作家の全体像に関してはこちらを参照していただきたい。
*2──『DOUBLE FUTURE』、41頁。
*3──小林美香は「マタニティ・フォトが妊娠という力関係や暴力に関わる態度表明の仕方、人種にまつわる価値観を浮かび上がらせている。マタニティ・フォトが妊娠という個人的な経験を記録した写真としてだけではなく、女性が社会のなかで置かれている状況や、女性の身体にまつわる価値観を反映して形作られてきた表現であることを[…]明るみに出している」(「マタニティ・フォトをめぐる四半世紀−メディアの中の妊婦像」『〈妊婦〉アート論 孕む身体を奪取する』山崎明子・藤木直実編著、青弓社、64頁)と指摘する。
*4──『DOUBLE FUTURE』、61〜62頁。