歴史に対する個人の想像力。馬定延評 カディスト・アート・ファウンデーションとの共同企画展「もつれるものたち」
世界各地の美術館や文化組織と協働し展覧会などを行うカディスト・アート・ファウンデーションと東京都現代美術館の共同企画展「もつれるものたち」は、新型コロナウイルスの影響を受け、3ヶ月遅れで公開中だ。12組のアーティストによる、ものをめぐる多様な思索を通じて現代社会を新たな視点でとらえようとする試みを、馬定延がレビューする。
世界各地の美術館や文化組織と協働し展覧会などを行うカディスト・アート・ファウンデーションと東京都現代美術館の共同企画展「もつれるものたち」は、新型コロナウイルスの影響を受け、3ヶ月遅れで公開中だ。12組のアーティストによる、ものをめぐる多様な思索を通じて現代社会を新たな視点でとらえようとする試みを、馬定延がレビューする。
「美術作品としての唯一性は作品の所有権のみに委ねられる」。この定義をもとに制作された、故フェリックス・ゴンザレス=トレスによる《無題(角のフォーチューン・クッキー)》(1990)。最初の発表から約30年を経た今日、本作はアフターコロナの世界に対するアート界からの提案として、個人宅を中心とした世界中の1000ヶ所で同時に展示されている。本展をキュレーターの檜山真有はどう見ただろうか。
1980年代におこった台湾ニューシネマを代表する映画監督、エドワード・ヤン。『ヤンヤン 夏の想い出』は2000年に公開され、カンヌ国際映画祭監督賞を受賞するも、ヤンの遺作となった作品である。台湾の社会を見つめ続けてきたヤン監督が本作に込めた問いに、現代の私たちはどう応答できるか。キュレーターの飯岡陸がレビューする。
1990年代より家具や日用品などの廃棄物を補完し新たな形態を生み出してきた青野文昭。昨年末から今年にかけて、せんだいメディアテークにて開催された展覧会「ものの, ねむり, 越路⼭, こえ」では、東日本大震災以降に制作された大型作品と新作を中心に、1000平方メートルの会場全体を作品化し、震災の記憶を立ち上がらせた。本展をキュレーターの熊倉晴子がレビューする。
美術手帖では、批評家や学芸員らによる展覧会レビューを毎月掲載。そのなかから、5月に公開された全12本をお届けする。各レビューの詳細はリンクから全文をチェックしてほしい。
SNOW Contemporary(東京・六本木)にて、近未来の芸術について考えるプロジェクトの一環として、布施琳太郎のキュレーションによるグループ展「余白/Marginalia」が開催された。東京に緊急事態宣言が出される前、最後に見た展覧会が本展であったという、アーティストのAKI INOMATAがレビューする。
明治時代に図案制作を始め、1907年に安井曾太郎とともに渡仏。帰国後の14年には二科会の創立メンバーになるなど洋画の世界で活躍するが、その後は洋画を離れ文人画風の作品世界を展開した画家・津田青楓。練馬区立美術館「生誕140年記念 背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和」は、作品や関連資料を通してその生涯を振り返る大規模な回顧展となった。同展を、金沢21世紀美術館学芸員・横山由季子が論じる。
詩人として多彩な活動で注目を集める最果タヒとグラフィックデザイナーの佐々木俊が、京都にあるホテル「HOTEL SHE, KYOTO」内の3室で「詩のホテル」を展開している。部屋のそこここに最果の詩が散りばめられたこの一室に東北芸術工科大学専任講師・小金沢智が宿泊。その体験を通じてレビューする。
広告媒体としての存在意義を担うものとして、瞬く間に消費されては姿を消してゆくポスター。メディアの多様化とデジタル化が進む現代において、かつての重要性は失われつつあるだろう。イラストレーター山本悠による企画展「9 Posters」では、ポスターが持つ物語や形式、ポスターそのもの物質性などに焦点を当てる。ポスターの存在は、いったい何に支えられているのだろうか。本展を、視覚文化評論家の塚田優が論じる。
SPAC(静岡県舞台芸術センター)がゴールデンウィーク期間に開催を予定していた「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」が新型コロナウイルスの影響で中止となり、代わってオンラインを中心とした企画「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」が立ち上がった。本演劇祭のなかからライブ配信された『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』を中心に取り上げ、人々が集まることができなくなった現在における演劇のあり方について、哲学研究・演劇批評の田中綾乃が論じる。
多治見市文化財保護センターで開催中の「尼ヶ根古窯─瀬戸黒のはじまり─」は、安土桃山時代に操業されていた「尼ヶ根古窯」でつくられた「瀬戸黒」に焦点を当てた展覧会(現在は休館中)。本展にみる瀬戸黒の変遷と「陶芸の前衛」について、清水穣が論じる。
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、多くの美術館で展覧会を「見に行くことができない」状態が続いている。アーティスト・三上晴子のコンセプトであった「被膜(皮膜)世界」は、防護服やマスクの意味も一変した現在の生活と、その奇妙さを示すものだった。三上の作品を手がかりとして、こうした状況を椹木野衣が論じる。
新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、イベントが次第に自粛されつつあった3月にいち早く企画されたオンライン映像祭。映像作家の佐々木友輔が発案し、荒木悠とともに映像作家たちに呼びかけ、9作家が参加し、3週間にわたって開催された。アーティストの大岩雄典が、コロナ禍の身体的な影響に触れながら作品群を分析する。
大衆社会による全体主義の生成メカニズムを詳細に分析した『全体主義の起源』(1951)などで知られるドイツ出身のユダヤ人思想家、ハンナ・アーレント。現在ドイツ歴史博物館では、「ハンナ・アーレントと20世紀」と題し、アーレントの活動を通じて、アイヒマン裁判やシオニズム、アウシュビッツにおける全体主義などを振り返る展覧会をウェブで公開中だ。キュレーターの檜山真有が、本展と照らし合わせながら世界各地で定着しつつあるオンライン展覧会の性質について論じる。
沖縄の地で、フィリピン人の父と奄美大島の母とのあいだに生まれ、ボクサーを経て写真家となった砂守勝巳(1951〜2009)。そのドラマチックな生涯ゆえか、作品そのものの評価が必ずしも正当になされてこなかった。広島や雲仙といった被災の地や、沖縄、釜ヶ崎をテーマとした写真シリーズで構成された同展について、東松照明の研究を沖縄で続ける、批評家の北澤周也がレビューする。
最先端のテクノロジーによって変化しうる、近未来の世界のすがたを都市や建築、ライフスタイル、身体の拡張、そして倫理など、様々な視点から照射する100点以上のプロジェクトや作品を見せた「未来と芸術展」。コロナ禍に直面しているいま、本展で提示された未来は私たちにどのように映るのか? 批評家のきりとりめでるがレビューする。
美術手帖では、批評家や学芸員らによる展覧会レビューを毎月掲載。そのなかから、4月に公開された全8本をお届けする。各レビューの詳細はリンクから全文をチェックしてほしい。
東日本大震災で発生した福島第一原発事故。これによって発生した帰還困難区域で、2015年3月11日から開催されている展覧会「Don't Follow the Wind」を現在のパンデミックと照らし合わせ、小田原のどかが論じる。
2020年2月26日に開幕しながらも、新型コロナウイルスの感染拡大によりわずか3日で休館し、5月6日現在も再開していない東京国立近代美術館の「ピーター・ドイグ展」。横浜美術館・館長の蔵屋美香が、3月までの勤務先である同館で見た展示を手がかりに、鑑賞体験における「絵画の物理的なサイズ」の意味と、それを再現するためのVR技術の可能性を考える。
『ハッピーアワー』(2015)や『寝ても覚めても』(2018)などを手がけた、映画監督・濱口竜介の短編作品『天国はまだ遠い』が3月29日から1ヶ月間限定でVimeoにて無料配信された。本作が配信というかたちで外出自粛期間に公開されたことに、どのような意味を見出すことができるのか。愛知県美術館学芸員・中村史子が、物語の構造を読み解きつつ、本作を見る現在へと接続させる。 ※本レビューは作品内容の記述を含みます。