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「無名な人々」は存在するのか。大下裕司評 大阪人権博物館(リバティおおさか)「35年展」

1985年に大阪人権歴史資料館として開館し、被差別部落問題、在日コリアン、ウチナーンチュ、アイヌ、公害被害者、ハンセン病患者、薬害被害者、LGBTQ、いじめなど様々な人権問題を紹介してきた大阪人権博物館(リバティおおさか)。同館は、2015年の大阪市による提訴と今年3月の和解を受け、5月31日に閉館した。35年の節目として、そして現施設での最後の展覧会として行われた「35年展」を、大阪中之島美術館準備室学芸員の大下裕司がレビューする。

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彼がまたいだその境界線は何か。中村史子評「式場隆三郎:脳室反射鏡」展

民藝運動、ゴッホ論、精神病理学入門、性教育など、広範にわたる分野で活動し健筆をふるった精神科医・式場隆三郎。彼の多分野にわたる啓蒙の軌跡を、約200点の作品と資料でたどる展覧会が広島市現代美術館で開催された。式場が横断した境界線、またその活動の内奥を、愛知県美術館・学芸員の中村史子が考察する。

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ホール中に漂う音楽のフレーム。檜山真有評 中川裕貴『アウト、セーフ、フレーム』

チェロや電気、適当な録音を使用した演奏と演出を行う中川裕貴。ロームシアター京都で上演された『アウト、セーフ、フレーム』は、チェロという楽器の中に潜む「声」を様々な演奏手法で引き出した作曲作品だ。本作を、キュレーターの檜山真有がレビューする。

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天皇制の歴史的考察と表現の自由をめぐって。清水穣評 「天覧美術 御所編」展

京都・KUNST ARZTで、同ギャラリー代表でアーティストの岡本光博が企画する「天覧美術 御所編」展が開催。岡本のほか、木村了子、小泉明郎、鴫剛、藤井健仁が参加した。天皇制をめぐるタブーを中心に、政治や表現の自由などのテーマを扱った作品で構成された本展を、清水穣がレビューする。

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パンデミック下の独り言とその空虚。椹木野衣評 「ダークアンデパンダン」展、「隔離式濃厚接触室」展、大岩雄典「遭難 Getting Lost」展

コロナ禍で増加したオンラインの展覧会や上映。卯城竜太らは鑑賞者を限定したフィジカル展とオンライン展からなる「ダークアンデパンダン」を、布施琳太郎は、ひとりずつしかアクセスできないウェブサイトを会場とした「隔離式濃厚接触室」を、大岩雄典は、真っ白なウェブページのなかで作品を探索するオンライン展示「遭難 Getting Lost」をそれぞれ開催した。現代の遠隔通信が持つ空虚や滑稽さと、それらを批評的に扱った3展について、椹木野衣がレビューする。

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いま問われる、写真とジェンダーの関係性。ダニエル・アビー評「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」

埼玉県立近代美術館で、現代日本のアーティストによる新たな写真・映像表現に焦点を当てた「New Photographic Objects 写真と映像の物質性」展が開催中だ。「物質性」というテーマと背後にあるジェンダー意識について、写真研究者のダニエル・アビーが論じる。

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生態系としてのアートを探る2人展。黒沢聖覇評 渡辺志桜里+渡邊慎二郎「Dyadic Stem」展

渡辺志桜里と渡邊慎二郎、2人のアーティストの作品が入れ子状に展開され、人間や動植物といったあらゆる存在のつながりや関係へと思考を促す「Dyadic Stem」展。新たな世界のヴィジョンを模索する本展について、アーティスト/キュレーターの黒沢聖覇が論じる。

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つくり、残ったものはどこへ行く? 福永信評「青木陵子+伊藤存 変化する自由分子のWORKSHOP」展

個別にアーティストとして活動しながら、共同制作を行ってきた青木陵子+伊藤存。この二人による展覧会「変化する自由分子のWORKSHOP」が、東京・神宮前のワタリウム美術館で開催された。2017年と2019年に参加したリボーン・アートフェスティバルでの滞在制作を経た二人が展開する「ワークショップ」を、小説家の福永信がレビューする。

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丸裸にされた「美術なるもの」の実態とは何か。成相肇評「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展

共同体パープルームを主宰するアーティスト、梅津庸一のキュレーションによる企画展が、日本橋三越本店内のギャラリーで開催された。ステートメントによれば、「造形」の変遷を軸として、日本における「美術なるもの」にまつわる魔術性や禍々しさに言及することが本展の狙いとされている。はたして会場で剥き出しにされたものとは何か。東京ステーションギャラリー学芸員の成相肇が分析する。

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わかりやすい文脈への回収を避ける意図とは? 平芳幸浩評「ヤン・ヴォー ーォヴ・ンヤ」展

ベトナムからの難民という背景を持つヤン・ヴォー。歴史や記憶をまとった彫刻や物を、切断・再構成するスタイルで世界的に注目を集めてきた。その一見不親切で、鑑賞者に「戸惑い」を感じさせる作品の意図とはなんであろうか。日本では初となる美術館での個展について、マルセル・デュシャンを専門に近現代の美術史研究を続ける、平芳幸浩が読み解く。

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たぐりよせ・編み直し・ひらかれた糸からみえるもの 若山満大評「いのちの裂け目―布が描き出す近代、青森から」展

青森公立大学国際芸術センター青森(ACAC)にて、3名のアーティストが青森市教育委員会が所蔵する民俗資料や文化財を用いたインスタレーションを展観する本展。新型コロナウイルスの影響による開催延期に際して、動画公開などウェブコンテンツを充実させるなどの展開をみせた。それに対し、「観られない立場」から、インディペンデント・キュレーターの若山満大がレビューする。

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女性器が「選ばれない」世界で。小田原のどか評「遠藤麻衣×百瀬文 新水晶宮」

身体と演じること、眼差しと欲望、セクシャリティとジェンダーについて、多様な角度からアプローチを重ねてきたふたりのアーティスト、遠藤麻衣と百瀬文が、男と女、自然物と人工物などに二分されることのない、新たな性のあり方を探る展覧会「遠藤麻衣×百瀬文 新水晶宮」(TALION GALLERY)。本展を、依然として強い性差別やジェンダーギャップが残る世界の現状を踏まえ、小田原のどかがレビューする。

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動画記録が創出する特異な世界像。中島水緒評「青木野枝展 微塵」

4月に開催予定だった青木野枝の個展「微塵」は、緊急事態宣言を受け開催を延期。その後、gallery21yo-jのウェブサイトにて、本展の展示風景を記録した中川周による動画が公開された。「記録」であると同時に、中川の「作品」といった両義的な性質をもつこの記録動画に着目し、中島水緒がレビューする。

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両者の「記号性」をめぐる緊張関係と相互作用。調文明評「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」

東京都写真美術館の「写真とファッション」展は、新型コロナウイルス感染症の影響による休館を経て、7月19日まで開催。長年にわたり文化誌『花椿』の編集者を務めた林央子を監修に迎え、アンダース・エドストローム、髙橋恭司、エレン・フライス×前田征紀、PUGMENT、ホンマタカシが参加した。1990年代以降の写真とファッションの関係を再検証する本展を、写真批評家/写真史研究者の調文明がレビューする。

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足元が揺らぐいま「路上」から風景を見る。はがみちこ評《BEACON 2020》+「目を凝らそ」

京都文化博物館で今年1月から展示された、現代美術のユニットKOSUGI+ANDO(小杉美穂子・安藤泰彦)と映像作家の伊藤高志、稲垣貴士、哲学者の吉岡洋による映像インスタレーション作品《BEACON 2020》と、オンライン上で展開されるプロジェクト「目を凝らそ」。コロナ禍によって世界の見え方が大きく変わるいま、京都の路上に焦点を当てた両展を、アートメディエーターのはがみちこが論じる。

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