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「歌う」から「語る」へ。小田原のどか評「彼女たちは歌う Listen to Her Song」展

アート界でもジェンダーバランスや性の多様性に注目が高まるなか、東京藝術大学大学美術館 陳列館では、女性アーティストのみ11名による展覧会「彼女たちは歌う Listen to Her Song」が開催された。会期終了後もウェブマガジンというかたちで続いている本展は、何を訴えるのか? 小田原のどかが論じる。

文=小田原のどか

展示風景より、中央はユゥキユキ《あなたのために、》(2020) 撮影=堀蓮太郎

 2020年9月6日に会期が終了した「彼女たちは歌う Listen to Her Song」は、じつのところまだ終わってはいない。同展公式ウェブサイトでは、全4回にわたって開催された出品作家とキュレーターによるオンライン・ディスカッションの記録をまとめた無料のウェブマガジン「彼女たちは語る」の公開が続いている(*1)。9月末の時点ですでに3号が配信され、今後は会期中に行われたトークイベントの記録なども公開されていくという。ここでの「歌う」から「語る」への移行は何を示しているのだろう。

 本展は、東京藝術大学大学美術館陳列館という東京藝大の歴史を色濃く残した建造物を会場として活用し、この大学の「歴史性」に挑んだ展覧会であった。どういうことか。社会学者・竹田恵子の調査によって、同校常勤教員の著しいジェンダー不均衡の実体が明らかになっている(*2)。これは日本のジェンダーギャップ指数の低さが端的に表出しているというだけではない。

東京藝術大学大学美術館 陳列館 撮影=松本夏生

 あえて極端に話を展開するが、美大・藝大の進学者に女性がこれだけ増えている現状があるなかで、他大学に比べて著しく偏りのある同校のジェンダーの不均衡とは、美術の世界が男性を中心に成立してきたという事実を称揚し、今後もそのような体制を維持していく、という意志表明にもなってしまうのではないだろうか。

 そのようななか、本展キュレーターで同校准教授の荒木夏実は「11人の女性アーティストによる差異を超える試み」として、次のように本展の開催趣旨を述べた。

単純に「男性と女性」ではなくLGBTQを含めた多様な性があり、セクシュアリティへの関わりも人によってさまざまであることが明確になった今、また人間中心主義を超えた環境と共存が意識されるようになった現代において、二項対立ではない関係の重要性をアーティストは鋭敏に感じ取っています。[…]世間の枠組みではなく、自らの身体と思考、体験を通して発せられるアーティストたちの表現からは、切実な思いや痛み、希望を乗せたそれぞれの「歌」が聞こえてくるようです。その声に耳を傾けながら、未来へと向かうオルタナティブな世界を想像することができるのではないでしょうか。

 ここには、キュレーションという枠組みに作品を「部品」として当てはめていこうとするのではなく、作家が存在するということ、作品があるということを尊重し、それを見よう、聴こうとする鑑賞者の態度をこそ重視したいという姿勢があるように思われる。

 さて、同展には、展覧会名や上記の文章にもあるように、「歌」や「歌うこと」が焦点化されている作品が多数ある。乾真裕子《月へは帰らない》(2020)、スプツニ子!《生理マシーン、タカシの場合。》(2010)、山城知佳子《チンビン・ウェスタン『家族の表象』》(2019)などだ。

乾真裕子 月へは帰らない 2020
山城知佳子 チンビン・ウェスタン『家族の表象』 2019

 あるいは、「声」「対話」「声にならない声」などに着目した、百瀬文《Social Dance》(2019)、遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》(2020)、ユゥキユキ《あなたのために、》(2020)、福島しのぶ《人形が悲しみを演じるとき》(2020)、小林エリカの「彼女たちの戦争」シリーズなども出品されている。

展示風景より、左が百瀬文《Social Dance》(2019) 撮影=堀蓮太郎

 また、写真という無声の作品を用いた金仁淑《Between Breads and Noodles: Grandfather and I》(2014)は、ある共同体とそこに流れる複層的な時間をとらえつつ、生きている人々の声を強く感じさせた。いっぽう菅実花《A Bath》(2020)からは、作者と人形の視覚の交わりを通じた、声によらないやりとりが切り取られていたように思われる。

展示風景より、金仁淑《Between Breads and Noodles: Grandfather and I》(2014) 撮影=堀蓮太郎
金仁淑 Between Breads and Noodles: Grandfather and I 2014

 ひとつの展覧会においてこれらの作品を連続して見ることのおもしろさはいくつもある。各作品内においてマスキュリニティがどのように扱われているか、人形のイメージはどのように対象化されているか、「演じる」ということの意味の違いなどを比較するのもいいだろう。それらを細かく検討しながら作品間の響き合いを論じたいが、残念ながらここでは紙幅が足りない。

 ところで、鴻池朋子《インタートラベラー》(2017)と、「異類婚姻譚」を参照した遠藤麻衣《私は蛇に似る》(2020)を見ていて、「歌を聴く」という事柄は、洋の東西を問わず世界各地に存在する人魚伝説を想起させると思い至った。人魚伝説には地域による個別性があるが、その語られ方にはおおむね共通点があり、それは人魚の歌声が船を座礁させるなどの不幸を招く「不吉の象徴」であるというものだ。

展示風景より、遠藤麻衣《私は蛇に似る》(2020) 撮影=堀蓮太郎

 そのような類型を前にするとき、人魚の歌声とは警告ではなかったか、それを聞き取ることができなかったがゆえに人間が不幸になったのではないかととらえることはできないかと私は考えてしまう。ある集団における少数者が声を上げるということが抑圧され、声を上げればむしろ事を荒立てたと忌避される構造と、伝説における人魚の扱いには類似点があるように感じられるのだ。それは、その歌声/訴えを「聞き取る側」の責任が不問に付されているということである。

 さきほど引いたキュレーターの言葉は、そのような歌声を「聴く側」への呼びかけとして読み返すこともできるのではないだろうか。

 同展は会期を終え、展覧会「彼女たちは歌う」からはZINE「彼女たちは語る」というまた別の扉が開かれた。このウェブマガジンには思わず閉口してしまうような「現状」が赤裸々に語られている。これは、いまを生きる作家たちが、考え、問題提起をするという姿勢を通じて、その「歌」をさらに広範に響かせようという試みだ。その声に耳を傾け、いまここにある問題を共有し、そして他者とともにある未来を想像したい。その手がかりこそが、ここに示されている。

 

*1──ウェブマガジン「彼女たちは語る」は「彼女たちは歌う」展公式サイトで無料公開されている。展覧会会期中には社会学者・上野千鶴子などを招き、参加アーティストとゲストによるジェンダーや教育に関する議論の場が設けられた。
*2──統計データから見る日本美術界のジェンダーアンバランス。シリーズ:ジェンダーフリーは可能か?(1)

編集部

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