現在まで継続され、加藤翼の代表作として知られる「Pull and Raise」シリーズは、2011年3月11日を境にある転換を経験した。当初、本シリーズは「引き倒し」と呼ばれていたが、東日本大震災を機に「引き興し」へと変わったのだ。
そのような加藤作品の「読み」の変容は昨年も起きている。《言葉が通じない/They Do Not Understand Each Other》(2014)だ。作家本人と韓国人男性との「協働」をとらえた映像と写真からなる本作は対馬を舞台に制作されたものだが、昨年夏、国立国際美術館で開催されたコレクション特集展示「ジャコメッティと Ⅱ」で紹介された。言葉が通じない、They Do Not Understand Each Otherと題されてはいるが、本作で重きが置かれているのはコミュニケーションの不可能性ではなく、可能性である。
それゆえ同展における本作の展示が、同時期に大きな騒動となっていた「あいちトリエンナーレ2019」で可視化された「分断」への同館からの「励まし」としても取れるということは、同展の評論に筆者が寄せた通りである(*1)。ある状況下で作品がもともと内包していた問題が社会情勢と接続され、作品に新たな「読み」が加わるということが、とくに加藤の作品においては顕著に起こっている。
さて、本展「Superstring Secrets」は、加藤が香港で立ち上げたプロジェクトの報告展という性格を有している。このシリーズは香港で企図されたのち、シンガポールと台北でも展示が予定されていたが、新型コロナウイルスのパンデミックによって延期された。しかし同時期に開催された韓国での展覧会では実施され、今後も継続されていくことが明らかになっている(*2)。
この「Superstring Secrets」は、加藤が設置した仮設の投票所と、そこに投じられたある情報をめぐるプロジェクトである。この仮設の投票所は香港の地下歩行者トンネルに設置にされ、道行く人々の「秘密や本音」を集める装置となった。ここで加藤が参加を促したのは、以下のような内容である。
・あなたの秘密を告白してください ・あなたが属するグループ、国や街、職場、学校への本音を打ち明けてください ・誰かの秘密を暴露してください
このような呼びかけに応え、秘匿されていた情報が集められた。そうして集められた情報はシュレッダーでバラバラにされ、大きな綱へと姿を変える。本展の会場には、そのようにつくられた綱本体と、日本と香港の二箇所でその縄を整える映像、収集された情報をひとつひとつ記録した映像や、仮説の投票所のある風景写真、仮設の投票所などが展示され、実際に開票された秘密や本音がシュレッダーで細切れになる様子を見ることもできる。また、投票所は会期中も機能しており、来場者が秘密や本音をこっそりと投票することができた。
会場に入ると、写真の連作が二段組みで展示されている。これは仮設の投票所が置かれた様子を記録したもので、上段には地上の、下段には地下の風景が並ぶ。ここでの展示方法から強調される「線」は、来場者に「境界」や「線を引くこと」、そして「規準をつくること」などを想起させる。そしてまた、ここで収集された秘密や本音とは、スキャンダリズムに与するものというよりも、「個」と「公」を仲立ちするもの、その境界をあらわにするものとして扱われていることもわかる。
そして奥のスペースでは綱という、あちらとこちらをつなぐ線そのものが展示されているが、これは「Pull and Raise」シリーズにおいて重要な要素であったロープが展開されたものとして理解することができる。加藤の過去作におけるロープは文字通り紐帯となり、参加を促し、事象に作用し、結果を誘引し、ときに制約や負荷を与えるためのファクターであった。本プロジェクトにおいては、そのようなロープそれ自体の歴史性や社会的な意味合いが焦点化されている。
ロープと人類の関わりは古い。4万年以上前の洞窟壁画に縄を持った人が描かれているなど、洋の東西を問わずロープと人の逸話には事欠かない。そのような縄の文化史に照らして本展における巨大な綱は、「注連縄(しめなわ)」として見ることができると筆者は考える。縄を結うという行為は自然界を治めようとする行為を象徴するともいわれるが、このパンデミックの状況下で、個と公をつなぐ情報を媒介・素材に、制御できない自然と人との関わりを示唆することの意義は大きい。
とはいえ本プロジェクトは、ただちに神道の文脈に回収されるものではもちろんない。会場には、映像が投影された仮設壁に映された綱がそのまま現実に飛び出てきたかのように配置されているが、「Pull and Raise」シリーズの構造に鑑みれば、映像にとらえられているこの現状を引き倒す/引き興す/たぐり寄せるためにこそ、綱は用意されているとも言えるだろう。
また、本展の特徴のひとつは、傘を差して作品を見なければならないということだ。これは香港を舞台とした2014年の「雨傘革命」へのオマージュであると同時に、社会的距離が保たれた観賞を来場者に保証する。14年の香港では、警察によって放たれた催涙スプレーに対抗するために傘は差された。本展では傘の上に、砕かれた秘密や本音が雪のようにふりそそぐ。その残骸を踏みしめ傘を差して会場を歩くとき、おのずと香港の困難な状況に思いを馳せることになる。
本展のために制作された映像にも、社会的距離の保持という「新たな日常」における規範が視覚化されている。レインボーカラーのヘルメットに固定された棒によって、パフォーマンスを行う者たちは互いに近づくことはできず、大きく身振りを制約される。しかしそのような不自由さが、ある種のおかしみとともに映像に収められている。ところで、この映像のひとつはなぜ公立の競技場で撮られているのか。ここで登場する外国人とおぼしき人々は誰なのか。彼らこそ2020年の東京の見えない「立役者」だと作家は言う(*3)。
このように、本プロジェクトの射程はじつに広い。これまで加藤の作品が経験したような転機を「Superstring Secrets」が迎えるとすれば、それはどのような社会状況においてであろうか。注目したいのは本プロジェクトにおいて、「個」と「公」を仲立ちする情報を収集する行為が「投票」に擬態しているということである。「Superstring Secrets」がいくつもの国や地域で広がりを見せるなか、とくに日本においてその「読み」が上書きされるのは、この国で初めての国民投票が行われるときかもしれない。
*1──ジャコメッティを起点に美術史をとらえなおす。小田原のどか評「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」(美術手帖)
*2──加藤翼による本展ステイトメント
*3──同上