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2020.11.9

高温の熱のように広がる「エピソード」。椹木野衣評 ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」

ラクス・メディア・コレクティブをアーティスティック・ディレクターに迎え、コロナ禍における国際芸術祭としてはいち早く開催されたヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」。前例のない状況のなか、ひとつのテーマではなく複数のソースを重視し、トリエンナーレを長い時間のなかでとらえる試みについて椹木野衣がレビューする。

文=椹木野衣

「ヨコハマトリエンナーレ2020」プレイベント「エピソード00 ソースの共有」より、
イシャム・ベラダ《Présage(予兆)》(2007~)のパフォーマンス風景
撮影=加藤甫 提供=横浜トリエンナーレ組織委員会
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夏の残り火

 いったい誰がこんな夏の訪れを予想しただろうか。予感がなかったわけではない。それにしても2020年という特別な響きを持つ年の夏は、東京にとってはもちろん、日本という国にとって、またとない世紀の祭典=「TOKYO2020」となり、かつてない盛り上がりを見せるはずだった。実際、スポーツにとどまらず文化・芸術の祭典でもあるべきことが五輪憲章に謳われているなら、この夏はアートにとっても格別な機会となるはずだった。それを目の当たりにしようと、世界中から人々が訪れ、観光や飲食、イベント産業も含め、日本は一種の沸騰的な祝祭状態になっていたに違いない。

 それがどうだろう。文字通り降って湧いたような新型コロナウイルス感染症の、またたくまの地球的規模の蔓延=パンデミックにより、私たちは世界を駆け巡ることはおろか、自室の中に閉じ込められることを余儀なくされた。日本では現在(8月7日現在)、第二波とも呼ばれる感染者の増加に見舞われており、新型コロナウイルス感染症を風邪の一種と考えるならば、秋冬以降の未曾有の事態をいまから想定しておかないわけにはいかない。さらに特効薬もワクチンもない以上、このウイルスとの共存はこれから数年にも及ぶ長丁場となる可能性が高い。夏に重症者が減る保証こそないが、呼吸器を潤す適度な湿度があり、紫外線が強い夏はこれまで以上に、私たちにとってかけがえのない特別な季節としての地位──夏の終わり(のちにふれる残り火?)が訪れると多くの人が感じた哀愁を遥かに濃厚に煮詰めたような──を獲得するのかもしれない。それにしても私たちは、グローバル化の極みと称された時代に、国内の都道府県境を越えるにも躊躇が必要となってしまったのだ。

「ヨコハマトリエンナーレ2020」 の展示風景より、オスカー・サンティラン 《チューインガム・コデックス》(2019~20)
(C) Oscar Santillán(digital model by Marijn van Bekkum) 
撮影=大塚敬太 提供=横浜トリエンナーレ組織委員会

 そうなれば、芸術祭の時代と呼ばれたアートの状況も劇的に変わらざるをえない。感染防止対策のため人と人とのソーシャルな距離を取りやすい美術館での展示に比べ、会場が多種多様で、世代や国籍を超えた人と人との接触が、制作や準備の面でも鑑賞上も頻繁に起こり、展覧会というよりもイベントに近い日本での芸術祭=国際現代美術展も、この状況下にあって開催や運営自体が著しく困難になってしまった。事実、今年は芸術祭が年間を通じて各所で計画され、世紀の五輪に花を添える予定だった。だが、それらのほとんどは当初の実施が不可能となり、まったく先の読めない状態となってしまった。先頃発表のあった「札幌国際芸術祭2020」のように、延期だけでなく正式に中止が決定されたものもある。

 むろん、これは日本に限ったことではない。国際現代美術展の代表格、ヴェネチア・ビエンナーレをはじめ、アートフェアで牽引者的な存在であったアート・バーゼルも正式に中止となり、その先行きに暗雲が立ち込めている。そんななか、2001年に始まり、日本での本格的な国際現代美術展の先駆けとなった「ヨコハマトリエンナーレ2020」が、2週間遅れとはいえ開催に漕ぎ着けたのは、評価の分かれる部分もあるかもしれないが、コロナ禍下で開かれる世界でも最初の国際現代美術展として思い切った決断であったと言えるだろう。

「ヨコハマトリエンナーレ2020」の展示風景より、チェン・ズ(陳哲)《パラドックスの窓》(2020)
(C) Chen Zhe 撮影=大塚敬太 提供=横浜トリエンナーレ組織委員会

 そもそも、今回のヨコハマトリエンナーレのアーティスティック・ディレクターの選考委員会に加わった身としてあらかじめふれておけば、選考委員会でも話題になったとおり、過去のヨコハマトリエンナーレのアーティスティック・ディレクターがみな日本人の男性ばかりで、推薦者たちからもそのことを指摘する声が多かったのは事実で、それがニューデリー在住で男性2人、女性1人による初の外国人ディレクター=ラクス・メディア・コレクティブ(RMC)を起用したことの背景にあったのは確かだ。だが、それはそれで主催者にしてみれば未知の冒険でもあり、ある意味、隣接する横浜で同時期に開かれる「TOKYO2020」の熱狂でかき消されかねない「裏番組」的な位置づけにあったからこそ、そのような賭けに出ることができたのも否定できない。つまり新型コロナウイルス感染症は、そのような冒険や振れ幅を潜在的に備えていた「ヨコハマトリエンナーレ2020」へと降りかかったことになる。しかし言い換えれば、そうでなければ開くことができなかったのかもしれない。

 例えば今回、RMCは国際現代美術展や芸術祭で必須のものとされるテーマをもとより設定していない。かれらが着想源としたのは、「トリエンナーレと次のトリエンナーレとのあいだには1000日ほどある」という物理的な事実だ。限られた開催期間を通じて発信されるにすぎない確定的なテーマを設定するよりも、その期間を超えて継続的に世界各地へと発信し続けられる複数のエピソード──トリエンナーレに関わる者たちが長期間にわたりこれらのエピソード群を共有するための源泉として、彼らが「ソース」と呼ぶ複数のテキストが準備されている──のほうを重視したのだ。その持続性が、ちょうど今回のトリエンナーレのタイトルにもなっている「AFTERGLOW(アフターグロウ=残り火)」のじわじわとした、しかし高温の熱のように時間と空間を超え、1000日というインターバルを通路に、予想もできないかたちで世界へと広がっていく(ウイルスのように?)。むろん、それらは新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延で当初の計画通りには行えなくなってしまった。また会場のスケールや関連プログラムにおいても物足りない部分は残るかもしれない。しかし展示だけにとどまらず、会場の各所に設置された残光や燐光を思わせるしつらえは、今回のトリエンナーレに、元来なら求められるはずの多様性の方便を超えて、一種のメランコリーのような感触を持続的に与えている。なんというか、全体でRMCによるひとつの作品(というか出来事)であるような印象も受けるのだ。

「ヨコハマトリエンナーレ2020」より、竹村京「修復されたXXXシリーズ」(2015〜2020)
(C) Kei Takemura 撮影=大塚敬太 提供=横浜トリエンナーレ組織委員会
「ヨコハマトリエンナーレ2020」より、竹村京「修復されたXXXシリーズ」(2015〜2020)
(C) Kei Takemura 撮影=大塚敬太 提供=横浜トリエンナーレ組織委員会

 ほかに個人的に強く印象付けられたのは、主催者による儀式的な開会の式典のそれこそ裏番組として、参加はしても来日することができない美術家たちのために開かれた非公開のオンラインでのライヴ内覧会のURLが、トリエンナーレの広報からではなくロンドン在住のインディペンデント・キュレーターからLINEで届いたことだ。そこでは、会場を順路に沿って移動しながら紹介するライヴ映像に、やはりニューデリーを離れることができないアーティスティック・ディレクター3人による姿なき声が実況で添えられ、自宅で手にする小さなスマホ画面のなかで、それらのすべてがシャッフルされて、それこそ時空を超えて複合する余韻(残り火?)のような状態でそこにあった。それは昨今話題となるウェビナーや遠隔の展示中継のようなものとも感触がまったく違っていて、いまライヴで起こっている事件を目撃するかのような生々しさがあり、ある意味、これこそがRMCが狙っていた本編のトリエンナーレに対する「エピソード=AFTERGLOW」なのではないかと感じたのだった。

 ところで、この「AFTERGLOW」というタイトルに、イギリスのプログレッシヴ・ロックバンド、ジェネシスの名曲を連想する人は少なくないのではないか。かくいう私もそのひとりなのだが、RMCがこれを隠された「ソース」にしているかどうかはわからないし、このタイトル自体、今回のパンデミック以前に決められたものだからお門違いと言われればそれまでだが、同じタイトルを持つこの曲の歌詞が、まさしく私たちがいまおかれている状況を予示していたように響くので、それを末尾に添えておく。

「ソースブック」より、表紙イメージ 提供=横浜トリエンナーレ組織委員会
横浜の寿町の日雇い労働者にして哲学者であった西川紀光、1912年に日本人の花嫁として来日したベンガル人女性ホリプロバ・ モッリク、スヴェトラーナ・ボイムによる友情を表す言葉、16世紀に南インドを治めていたビージャープル王国のスルタン、アリー・アーディル・シャーの知恵、2008年にノーベル化学賞を受賞した生物学者、下村脩の研究の様子などを掲載

『美術手帖』2020年10月号「REVIEWS」より)

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