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87年前の一歩目より紡がれるコレクション。 若山満大評「京都の美術 250年の夢 最初の一歩:コレクションの原点」

2020年のリニューアルオープンにあわせ、京都市京セラ美術館にて開催された開館記念展「京都の美術 250年の夢 最初の一歩:コレクションの原点」と題した本展では、同館の歩みを振り返るとともに、コレクションの原点となる所蔵作品47点を一挙に展示した。「最初の一歩」はいかに踏み出されたのか? インディペンデント・キュレーター若山満大がレビューする。

文=若山満大

「京都の美術 250年の夢 最初の一歩:コレクションの原点」展展示風景。大礼奉祝会より寄贈された4品が展示 撮影=福永一夫

未来は振り返った先にある

 京都市京セラ美術館(京都市美術館)では、2020年5月のリニューアルオープンを記念して、10月10日から「京都の美術 250年の夢 第1部~第3部 総集編」が開催される。本稿で紹介する「最初の一歩:コレクションの原点」は、この開館記念展のプロローグにあたる展覧会である。

 京都市京セラ美術館は、昭和天皇即位を記念した「大礼記念京都美術館」として1933(昭和8)年に開館した。日本の公立美術館としては、1926(大正15)年開館の東京府美術館に次ぐ、2番目に早い開館である。以来収集したコレクションは公称3758点。本展はこのコレクションの原点、最初の収蔵作品に注目する展覧会である。つまり「いつ、誰が、どのような目的で、何を、なぜ」収集したのか、そうした観点から最初期の収蔵作品を紹介している。

「京都の美術 250年の夢 最初の一歩:コレクションの原点」展展示風景より。最初の所蔵品となった作品。左から、榊原紫峰《獅子》(1927)、岡田三郎助《満州記念》(1933)
撮影=福永一夫

 展覧会は全5章で構成されており、第1章から第4章では最初期の収蔵品を、最終章では「京都市美術館 開館の記録(1928-)」と題して開館前後の資料を紹介した。展示作品47点はいずれも、大礼記念京都美術館時代に開催された初めての所蔵品展示「本館所蔵品陳列」(1935[昭和10]年)に出展されたものである(「最初の一歩」展は「本館所蔵品陳列」の再現ということになる)。記念すべき最初の収蔵となったのは、榊原紫峰の《獅子》(1927)と(五代)清水六兵衞(六和)《大礼磁仙果文花瓶》(1926)の2点の寄贈品である。また購入による収蔵第1号は、満州国建国1周年を記念して描かれた岡田三郎助の《満州記念》(1933)だった。1934年に開催された3つの展覧会(開館記念展「大礼記念京都美術展」、第15回帝展、再興第21回院展)の出品作のなかから、主に30代から40代の中堅・若手作家の優品を積極的に購入または寄贈を受けることで、本館所蔵品の「原点」ができあがっている。

五代清水六兵衞 大礼磁仙果文花瓶 1926 京都市美術館蔵
「第四章 第21回院展と第15回帝展」の展示風景。
左は、第15回帝展で特選となった菊池契月《散策》(1934) 撮影=福永一夫

 優品揃いでそれぞれ興味深いのだが、筆者にとっての本展のハイライトは、展示の最後で紹介された資料の数々だった。なかでも『京都市美術館開館前史』と題された冊子は、大礼記念美術館評議員会(*1)の議事録を翻刻したもので、当時の館運営の中枢においていかなる議論・意思決定がなされたか、その一端がうかがえた(*2)。

 1934(昭和9)年11月の議事録のなかで、大森吉五郎京都市長は「美術館としては常設陳列をして、京都へ行けば何時でも誰かの名作が見られるというようにしたいと思う」とビジョンを語っている。しかし予算の関係上、常設するにふさわしい「名作傑作」を直ちに集めることができないため、ひとまず「斯道奨励」の意味も込めて中堅・若手の作品を買上げている現状を評議員らに伝えている。とはいえ「もっともこれらの作品は本美術館の常設陳列品としてふさわしくないかもしれぬが、ともかく一部を公開し、後、名作傑作が集まるに従って陳列替えをしてゆく」とも述べている。

「第五章 京都市美術館 開館時の記録(1928-)」の展示風景。
左が、大礼記念京都美術館『評議員会議記録』 撮影=福永一夫

 要するに1935年の「本館所蔵品展示」(=「最初の一歩」展)の展示作品は常設展示すべき「名作傑作」とは認識されておらず、あくまで中堅・若手の優品という位置付けだった。この認識は評議のなかでもおよそ一致していたようで、日本画家の菊池契月も翌月の評議会の席において「骨になる作品が何もない、余りに寂しい」とコレクションの現状を憂いている。

 これは議論のほんの一部分に過ぎないが、コレクションの「原点」が形成されていく過程をいくらか知ることができる。それらはあえて露悪的に言えば「名作傑作の不在を代替する作品」であったわけだが、その「価値」を私たちはいかに判断すべきだろうか。

 美術館のコレクションは、ある時代特有の価値観に基づいた収集の積み重ねによって形成される。私たちの世代がどのような作品を後世に遺すべきか、その答えを知る方法の一つは、過去の収蔵においてどのような価値判断がなされていたかを知ることである。「いつ、誰が、どのような目的で、何を、なぜ」収集したのか。その判断は果たして妥当だったのか。妥当ではないとすれば、異なる判断基準が自ずと求められるだろう。

 京都市京セラ美術館が「原点=過去」に立ち返ることから始めたことは、再出発の門出にあって極めて意義深いことであると思われる。コレクションの過去を真摯に振り返り、明らかにする。さすれば未来が見えてくる。再出発の「最初の一歩」は、かくして着実に踏み出された。
 

*1──市長、市会議長、高島屋社長および美術工芸家6名と学者1名によって構成された、館運営に関する諮問機関。
*2──翻刻の一部は壁にプロジェクションされていて、冊子を開いて小さな活字を読まずとも資料の内容にアクセスできるようになっていた。ともすると不親切になりがちな資料展示において、アクセシビリティを最大化しようとする努力は非常に好感が持てるものだった。

編集部

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