いま、アイヌについて考えるということ──文化的本質主義の視点から
日本民藝館で開催中の「アイヌの美しき手仕事」展の意義について、同館HPでは「柳がアイヌの工芸から受けた『真実なものへの強い感銘』を本展を通して共有することで、民族の多様性を尊重する社会へと繋ぐこと」と説明される。本展に収められた「イラクサ地切伏刺繍衣裳(テタラぺ)」など染織物を中心とするアイヌの人々の手仕事による工芸品は、細部に至る配慮のなされた精妙な品々である。柳がこれらに「真実なものへの強い感銘」、すなわち独特の力強さと造形美を発見したことにも深く共感できる。では、「民族の多様性を尊重する社会へと繋ぐ」という目的についてはどうか。
本展に「アイヌ」とはどのような人々かや、彼・彼女らがたどってきた近代史を伝える資料・文章がほとんどなかったことは残念であった。また、アイヌだけではなく、沖縄、朝鮮、台湾の文化品も飾られていた理由の説明も欠けていた。そうした歴史・思想的背景を知ることは、柳の美的慧眼が本展に収められた「アイヌの美しき手仕事」に着目し、収集したことの意義とその背後で作動していた問題含みのイデオロギーを理解するために必須である。
そこで、その多くが「和人」(大和民族が現在の北海道を中心とする地域に居住していた先住民族・アイヌと自らを区分するために用いた自称)であろう「私たち」が本展を鑑賞するにあたり知っておくべき歴史・理論的コンテクストを筆者なりに整理したい。
よく知られるように、日本民藝館は民藝運動の創始者・柳宗悦により1936年に開設され、彼が国内外で集めた陶磁器や絵画などが多数収められている。そのなかには、当時日本の植民地であった朝鮮・台湾産の工芸品、あるいは日本が近代化の過程で同化してきたアイヌや琉球民族の文化品が多く存在する。すなわち、柳は当時の帝国日本の「周縁」に生きていた人々の芸術・文化に関心を向け、その価値を広めることを通して、それらの保護・発展に尽力した。事実、石橋湛山(*1)や柏木義円(*2)と並び、彼は日本の朝鮮に対する植民地政策を公に批判した数少ない日本人のひとりであった。中見真理は柳哲学に「複合の美」の平和思想を見出し、その可能性を追求している(*3)。
いっぽう、柳への批判も(特に国外では)大きい。とりわけ彼が朝鮮文化を「悲哀の美」と特徴付けたことは、支配者目線からの「植民地期の朝鮮の苦しみの美学化」としてよく批判される(*4)。
デザイン史家の菊池裕子は、柳が帝国日本の「周縁」文化を見る眼差しは、部分的に本質主義的な文化ナショナリズムに囚われており、「日本のナショナルなアイデンティティの創造」(*5)に対する危機意識に支えられていたと論じた。柳の民藝運動と同時期に書かれた「日本的性格」(1937)のなかで、哲学者の九鬼周造も「西洋文化の浸潤によって醸された国民的自覚の衰退に対して日本文化の特色を強調し日本的性格の構造を解明して国民一般を自覚にもたらさなければならぬという歴史的危機に我々は立たされ」ていると記した(*6)。
そのため、柳が「周縁」文化に内在する豊かな多様性や差異を真に眼差すことができていたかは疑問が残る。事実、彼は「アイヌへの見方」(1941)という小文で、アイヌ文化を劣ったものとして一方的に蔑む見方をしりぞけながらも、「アイヌの文化はたとえ程度のおくれたものであっても、そこには何か本質的なものがある」と書く(*7)。
菊池も指摘する通り、柳の文化ナショナリスト的側面は、沖縄文化に関する彼の議論において特に明白に表出している。菊池は、沖縄戦の勃発に際して、柳がラジオを通じて「沖縄文化は日本にとって重要である」という理由で徹底抗戦を呼びかけたという挿話を紹介している(*8)。そのため筆者は、本展を「琉球弧の写真」展(東京都写真美術館)と併せて観覧することを勧める。紙幅の都合上、詳しく説明することはできないが、本展に出展されている平敷兼七の写真《共通語を使いましょう 伊平屋》(1972)は、(時代は少し前後するが)柳が発端となって巻き起こった1940年以降の「沖縄言語(方言)論争」とも関わる戦後沖縄の証言となっている(*9)。
今年7月に北海道・白老に開館した「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を評した記事(「“私はあなたの『アイヌ』ではない”」)で、彫刻家の小田原のどかは黒人公民権運動を主導したジェイムズ・ボールドウィンの言葉を引用しながら、アイヌの「問題」は本質として、それが問題として現出しうる差別構造をつくり出した和人の問題であると指摘する(*10)。沖縄の「問題」も同様だ。「アイヌの美しき手仕事」展は、この国の少数民族に関する問題を自分ごととして深く考えるための糧を供する。
文化的、ジェンダー的、民族的な多様性が疑いなく重要なものと認識されるようになった現在、日本が近代化に邁進するなかで抑圧・周縁化されてきた民族やその文化に関心を向けた柳の「複合の美」の精神の意義を、その背景に見え隠れする文化ナショナリズムから目をそらすことなく、批判的視点から再考することが要請されている。そのためには、文化的本質主義の罠に陥ることなく、アイヌや琉球の文化に宿る多様性や内的差異を透徹する複眼的な目が求められる。小田原が強調したように、それは徹頭徹尾、和人である「私たち」(当然、筆者を含む)の責務である。そうした目を獲得するためには、日本の帝国主義や植民地支配に関する正確な知識を積み重ねることが不可欠である。そうした知識の必要性を認識することなしに、「善意」や「良心」のみを頼りに「民族の多様性を尊重する社会へと繋ぐ」という本展の目的が達成されうるとは筆者には思われない。
*1──増田弘『石橋湛山 リベラリストの真髄』中央公論新社、1995。
*2──市川浩史『柏木義円と親鸞 近代のキリスト教をめぐる相克』ぺりかん社、2016。
*3──中見真理『柳宗悦 「複合の美」の思想』岩波書店、2013。
*4──Penny Bailey, “The Aestheticization of Korean Suffering in the Colonial Period: A Translation of Yanagi Sōetsu’s Chōsen no Bijutsu”, Monumenta Nipponica, 2018.
*5──Yuko Kikuchi, Japanese Modernisation and Mingei Theory: Cultural Nationalism and Oriental Orientalism, RoutledgrCurzon, 2004, 194.
*6──田中久文編『近代日本思想選 九鬼周造』筑摩書房、2020、311頁。
*7──日本民藝館監修『柳宗悦コレクションI ひと』筑摩書房、2010、400頁、強調は筆者。
*8──Kikuchi, Japanese Modernisation, 163.
*9──「沖縄言語(方言)論争」については、以下の文献が参考になる。谷川健一『〈沖縄〉論 集成 — 叢書 わが沖縄 —』「第2巻『わが沖縄下 方言論争』」日本図書センター、2008。
*10──「“私はあなたの『アイヌ』ではない”」:小田原のどかが見た「ウポポイ(民族共生象徴空間)」