2020.10.6

「unlearning」が導く、オルタナティブな共生のかたちとは。山本浩貴評 「道草展:未知とともに歩む」

水戸芸術館 現代美術ギャラリーにて、人と環境のつながりを考える 「道草展:未知とともに歩む」開催されている。植物や自然をテーマとする6組が参加する本展について、文化研究者の山本浩貴がレビューする。

文=山本浩貴

ロイス・ワインバーガー ワイルド・エンクロージャー 2020 Courtesy of Studio Lois Weinberger and Krinzinger Gallery, Vienna 撮影=根本譲
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既知から未知へ

 イギリス経験論哲学の祖、フランシス・ベーコンが『ノヴム・オルガヌム』(1620)のなかにそのあまりにも有名な箴言「知識は力なり」を刻んだとき、人類は「未知から既知へ」向かう大きな一歩を踏み出した。ベーコンや大陸合理論の父、ルネ・デカルトらの思想に代表される近代的自然観では、実験や観察の繰り返しによる知識の蓄積を通じて、人間は自然を制御・支配することができるようになると考えられた。そこには次のような前提が介在していた:自然の力を理解し、それを最大限に引き出すことで、人間の生活は改善され、ひいては人類全体の「幸福」を増す。

ロイス・ワインバーガーの展示風景 Courtesy of Studio Lois Weinberger and Krinzinger Gallery, Vienna 撮影=根本譲

 しかし、現在、私たちはこの前提を根本的に再考する必要に迫られている。世界各地で頻発する異常気象や年々深刻さを増す地球温暖化は、そうした必要性を喚起する指標のほんの一端である。「人新世」は、特に第2次世界大戦以降、人間の活動が地球に直接的な影響を及ぼすようになったことを含意する。この用語が、近年、様々な学問領域において取り入れられてきたという事実も、そうした必要性に後押しされた結果である。水戸芸術館 現代美術ギャラリーで開催中の「道草展:未知とともに歩む」は、私たちがこうした困難な状況と向き合っていくためのひとつの大切な指針を指し示しているように筆者には思われた。

 その指針とは、これまで「未知から既知へ」邁進してきた道のりを、もう一度「既知から未知へ」向かって丁寧に歩み戻るという作業である。ガヤトリ・スピヴァクの表現を借りれば、その作業は「unlearning」のプロセスを伴うだろう。そのインド出身の高名なポストコロニアル思想家は、何かを知ることによって不可避的に獲得してしまう特権をあえて捨て去ることの重要性をこの言葉に託した。unlearningは、自分たちが知っていると思い込んでいることで阻害されている、外界との新しい関係を切り開く。「道草展」の試みは、筆者の目にはこう映った。すなわち、アーティストたちが実践する様々なunlearningのプロセスを開示することを通じて、この展覧会は、自然、とりわけ植物との共生におけるオルタナティブな可能性を探求している。

露口啓二「地名」シリーズの展示風景 撮影=根本譲

 ロイス・ワインバーガーと露口啓二は、ともに写真を主なメディウムとする作品を展示している。膨大な数のスライドから構成されるワインバーガーの《ガーデンアーカイヴ》(1988〜99)では、10年以上をかけて記録した雑草の写真が次々と映し出される。ここには、人間が植物を既知の領域に押し込めるために発明した分類や名称から逃れる「何か」が姿を見せている。いっぽう、北海道を拠点に活動する露口の「自然史」(2011〜)や「地名」(1999〜2017)などと題されたシリーズ作品にも、人知を凌駕した自然の様相が刻印されている。例えば、震災後の福島をとらえた数点の写真は、人間のいなくなったその場所に繁茂する植物の様子を映し出す。それらの写真は、人間の管理から免れた自然が湛える崇高さと不気味さを同時に示しているように思われた。

ウリエル・オルロー《ムティ(薬)》(2016-18)より

 香港生まれのロー・ヨクムイとロンドンとリスボンを拠点に活動するウリエル・オルローの出展作品──ヨクムイの《殖物》(2019)やオルローの《ムティ(薬)》(2016〜18)など──は、いずれもその独特な映像構成によって、人間と自然の関係性の考察に帝国主義や植民地支配の歴史やその遺産の影響を巧みに挿入している。その意味で、それらの作品は重要な、しかし忘れがちな論点を提出している。

 また、韓国人アーティストのコレクティブ、ミックスライス(チョ・ジウン、キム・ジョンウォン、コ・ギョル)と上村洋一の作品制作においては、ともにフィールドワークが肝要な役割を果たしている。ミックスライスの《つたのクロニクル》(2016)は、韓国内で進む土地開発のために移植を余儀なくされた植物をめぐる現地調査を素材として、映像、写真、鑑賞者が持ち帰ることのできる印刷物などの組み合わせからなるインスタレーションとして結実している。いっぽう、上村の《息吹のなかで》(2020)は、調査先の知床半島でかつて見られた「流氷鳴り」という自然現象を扱った、サウンドスケープと体験によるインスタレーションである。いずれの作品も、作家自身の身体感覚を通じてなされたフィールドワークが、人間と自然のまだ見ぬ関係を想像/創造するための作品制作におけるカギとなっている。

上村洋一 息吹のなかで 2020 撮影=根本譲

 道草展の作品群は、人間の認識や理解の外部に存在する自然の姿、あるいはこれまであまり顧みられてこなかった自然の様相を様々な仕方で可視化・可聴化する。そうした鑑賞体験を通じて、私たちは自分たちが知っていると思い込んでいる「自然」が未知のものへと変貌していく、不思議な感覚を味わうだろう。冒頭で述べたように、近代的自然観は未知を既知へと変えていくことで人類の「幸福」を増大させていくことを目指した。地球環境が直面している現在の状況を鑑みると、ここでの「幸福」があくまで人間中心的な価値観であったことは反省を要する。加えて、チェルノブイリや福島をはじめ世界各地で発生した原発事故において、科学的合理性や発展史観に支えられたそうした自然観と、真の意味での人類の幸福との大きな齟齬も露呈した。道草展は、既知を未知へともう一度ゆっくりと巻き戻していくプロセスを通じて、人類にとっての別のかたちの「幸福」を模索するたくさんのヒントを私たちに示してくれている。それが真の意味での幸福と呼べるものになるためには、様々な種類の他生物との共生を視野に入れる必要があることは間違いない。