いま、絵を描き始めた
CAFAA賞の最終審査のとき、いまこのアーティストに賞をやらなかったらこの女はゴールデン街に埋もれてしまうと思った。
2016年だ。CAFAA賞(前澤友作会長の現代芸術振興財団が主催)ってのは学校なり出て10年くらいキャリアを積んだ、ここらでステップアップしねえとアーティストを続ける金もモチベーションも切れる、ちょうどいちばん金とジャンプ台が必要な次世代アーティストに対して、国際的に活躍するきっかけを提供することが目的のAWARD、賞金300万! 副賞はターナー賞受賞者を多数出しているロンドンのデルフィナ財団での3ヶ月間の滞在制作という豪華な賞だ。
予選に集まったたくさんの応募者の作品データを見ながら俺は、絵はよっぽどじゃなかったらこの賞は難しいな……、と思っていた。単純に絵のいい悪いの問題じゃねえ。いい絵だろうがひどい絵だろうが、絵は基本的にひとりで描けるからさ。答えのない問題だ。徹底的に考えて、必要ならとことんリサーチして展開していく。そんなことは全部自分の問題だ。寝る間も惜しんでやればいい。300万賞金もらってデルフィナ行って描かなきゃいけない絵なんてまずねえと思う。
6名のファイナリストの作品が並んだ最終審査に、絵画がひとりだけ残っていた。血のテラテラした内臓を股から吐き出しているような紅い絵の具。ピンク・クリムゾン、ローズマダー系のやけにエロい色彩の背景には黒! 濃い闇がある。暴力的でバイオレンスなイメージがのたくってる割にはクラシックな画だ。
なんかマリー・アントワネットの肖像画をベラスケスとベーコンがコラボして、そこに犬がしょんべんしたような画だ、と思った。
絵の具は美しかった。
画はすごく魅力的だけど、賞は無理だろう! あまりに個人的だ。厄介な自分を抱えたこういうやつは嫌だろうがなんだろうがとどのつまり“自分”ってやつとやってくしかねえし、むしろなんで応募してきたのか不思議だった。
ファイナリスト6名の作品は誰が賞を獲ってもおかしくなかった。だから最終プレゼンでのパフォーマンスつまり作家の“プレゼンス“存在がすべてを決めた! アートはそれをつくる人間の命あってこそのものだ。
松下まり子が紅い洋服で現れた。剥き出しの両腕は……たぶんさっきまで書いていたんだろう、細かい黒い墨の字で埋まっていた(耳無し芳一かよ!)。プレゼンは英語でやらないといけない。絵の前に立って拙い英語で、間違いなくこの日のために!死に物狂いでまだ血を流しているような言葉を吐き出す、この、きっと未だ無自覚の“パフォーマンス”を見ながら、俺はアートはそれをつくる人間の命あってこそのものだ!と久々に痛感した。(同じく審査員だった)スプツニ子!が「草間さんの若いときみたい……」と呟く。
松下は絵を描かなかったら生きていけない人間だろう。てか絵を身体を通して身体の外に出していかなけりゃ多分彼女の身体は腐った肉になってしまう。でも、これまでまったく自分のためだけに描いてるから人に知られないし、絵で食べていくことはできない、永遠にできっこねえ!
デルフィナ財団のディレクター、アーロン・セザーはやはり彼女が画家で、応募作が個人的な絵であることに難色を示した。わかる。そして、アーロンが 「絵が自分から離れる、他人の手に渡ることをどう思いますか?」と聞いたとき、彼女は「初めは辛くてしかたなかった。でも、いまは与えたいと思っている」、与えるという言葉を使った。
そのとき俺は賞を彼女に決めた! ロンドンに行かせたい! いましかない! NOW OR NEVER!! と感じた。
彼女の将来に期待して賞をあげるんじゃない。松下まり子はこの30分で自分の未来を変えたのだ!(*1)
で、未来はどうなったか?っていうと…。
「『物事は変われば変わるほど、ますます同じものである(アルフォンス・カー)』、という言葉があるように、あちこち渡航して色々なものを見、表面的には変化もありましたが、自分の核になる部分は変わっていません。絵を描くことは実は二次的なことで、核の周りを回っていて、本当はどんな手段でも構わないんです」(松下まり子 *2)。
松下まり子はいわゆる絵描き=ペインターじゃなかったのさ。
デルフィナでアーロンにパフォーマンスを勧められたマリコは絵以外のいろんな表現方法を試していく。各地で集めてきた赤い布で部屋の窓を覆うインスタレーション《赤い部屋》、ロンドンの街中に生息するキツネの獣臭、足跡を追いかけて制作した映像作品《Little Fox in London》、これいいよな。写真、詩、立体……。
「自分の考えや心を知ることができるなら、他の方法でも構いません。心の中に世界が複雑にあるんだけど、それを通して他者を見たり世の中の様々な動きを見ようとしているんです。(…)心の世界と、物の世界があります。心の世界に自分は入っていって、物の世界を見つめなおす。そのとき、現実に肉体のある自分はただ停止していられないし、手を動かして考えてる。変な言い方ですが、すごく真面目にやっているんです」(松下まり子 *3)。
2020年10月25日、新宿のKEN NAKAHASHI で個展「居住不可能として追放された土地」を見に行った。世界堂の裏の新宿ビル、汚ねえ階段を上がっていった上の小さいけど、なんとも言えない空みたいな明るさがあふれてるギャラリーだ。ドアを開けると白い空間からピンクやミドリやキイロが目に飛び込んできた。
この瞬間、俺は松下はここに居ないけど、松下が居るように感じた。っつーか、いまの松下まり子だ。1年前でもない、もちろん4年前じゃねえ、いまだ。いまの松下は絵を描き始めてる初心者に見えた。“初心者かよ!”(でもギターの神様クラプトンはいまだに毎回、最初の音を探すんだってさ)。
もしかしたらこのコロナ禍で、いろんな場所性、意味や記憶がちゃらになって、ゴールデン街もロンドンもアウシュビッツの髪の山、靴の山、その荒涼とした広さも、それらの意味はみーんなちゃらんなって、四角い世界に絵を描いてる。
……4年前に見た絵の背景の黒はピンクに浸透して色はたくさんの痛みとか意味と混ざりあって殺しあっていた。小さいマリコ(*4)を持て余してたんだろう。
いま目の前にある絵は背景が、いや背景じゃねえか、、地だな、下地に黒は塗ってるけど、その上の色と混ざってない! 色は闇に紛れこんでいない。ピンクはピンク、キイロはキイロ! そうやって絵を描き始めたとこだ。この絵についていまどうこう言っても始まらねえよ。
広さ、大きさ、ってなんだろう?
人の大きさ、松下まり子の絵のサイズ……、この雑居ビルの5階のギャラリーは、もとは「マッチ箱(matchbaco)」と言っていたくらいすごく小さいはずなんだけど、少しも狭く感じなかった。絵を見たあとその小さなドアを出て食い物屋を探して東京の通りを歩きながら俺は松下の絵をまだ見ている。
小林正人
11月7日、鞆の浦のアトリエで
*1──テキストの一部は「第2回CAFAA賞」の「審査員からのコメント」を下敷きにしている。
http://gendai-art.org/cafaa2/award/index.html
*2──「Artists #8 松下まり子」
https://gendai-art.org/news_single/artists_marikomatsushita/
*3──前掲「Artists #8 松下まり子」
*4──松下は「小さいマリコちゃん」という小さい自分が側につねにいると語っている。「小さい自分は、いつも私の左側にいます。最初に話した『変われば変わるほど変わらない』の、変わらない部分が小さい自分のことです。彼女は、ボロ切れのようになりつつも私の核エネルギーです。彼女を幸福にするためだけに私は生きているし、私は盾であり、工場をやっているんです。彼女が炉心で、私は絵画を生み出す原子力発電所です。みんなは小さい自分なしでどうやって生きているのか不思議です。私にも聞き取ることができませんが、彼女が喋っているのは夜の言葉です。私は深い意識の底へもぐって、彼女と遊び、何が本当に必要なのか探しています」。(前掲「Artists #8 松下まり子」)