生と死のあいだで撮られた「うつくしい日々」
「うつくしい日々」も、本展を理解するうえで欠かせないシリーズだ。2014年に父・蜷川幸雄が倒れてから、16年に亡くなった後までの約1年半にわたり撮影された作品群。蜷川は毎朝のように病院へ通い、その往復や日常のなかで写真を撮り続けた。

家族の死が近づく時間を記録した作品でありながら、そこに映るのは必ずしも直接的な悲しみではない。窓から差し込む光、花、道端の風景。ごくありふれた日常が、失われていく時間のなかで異様なまでの鮮明さをもって立ち現れる。そしてこの時期、蜷川の次男が誕生している。
「(次男が)寝返りが打てるようになる、(父が)寝返りが打てなくなる。(次男が)流動食が食べられるようになる、(父が)流動食も食べられなくなる」。乳児として成長していく息子と、少しずつ身体の機能を失っていく父。その変化が同時進行で「きれいに交差していった」と蜷川は振り返る。
そこで蜷川が圧倒的なリアリティをもって感じたのが、生命がつながっているということだった。父の死が近づくいっぽうで、目の前の風景は妙に明るく、美しく見える。「死ぬってことは、こんなに美しいんだ」と思うほどに、光が鮮烈に感じられる瞬間もあったという。写真を撮ることは、感情が極度に高ぶったその時期に、蜷川が自身を保つための行為でもあった。
こうして見ていくと、本展のタイトルにある「光」という言葉も、たんなる視覚的な美しさ以上の意味を帯びてくる。写真を成立させる光は同時に、失われていく時間や、そこにある生命を強烈に意識させるものでもあるのだ。




















