東京・上野の東京都美術館で、同館の開館100周年を記念した展覧会「この場所の風景―上野・大牟田・ブエノスアイレス」が開幕した。会期は10月7日まで。担当は同館学芸員の大内曜。
東京都美術館は、いまから100年前の1926年に日本初の公立美術館「東京府美術館」として上野公園内に誕生した。この100年という時間の単位は、人間ひとりの生涯とも等しく、社会のあり方や価値観が一巡するには十分な年月だ。そして、その変化の様相は「場所」によっても大きく異なる。
本展は、この「100年」という膨大な時間を、「上野」「大牟田」「ブエノスアイレス」という3つの異なる地で紡がれた創作活動を通じて見つめ直す試みだ。一見すると接点のないように思えるこれらの場所が共鳴しあうとき、東京都美術館の100年はどのような姿として浮かび上がってくるのだろうか。
「上野」で紡がれた東京都美術館の100年
展示は、3つの場所に則した3部構成となっている。第一部「上野—東京都美術館の100年」では、1920年代の誕生から戦中・戦後、そして1975年の新館開館以降の歩みを、当時の上野の風景とともに俯瞰する。


冒頭では、国家事業や公募展の舞台となった開館当初の姿を提示。いっぽうで、戦時下の戦意高揚のために開催された「戦争美術展」や、当時の上野で暮らす人々の日常を、絵画作品やスケッチ、記録写真などによって多角的に照らし出していく。


さらに第一部の後半では、戦後の民主化のなかで広がりを見せた無審査・自由出品の「アンデパンダン展」、とりわけ同館を象徴する「読売アンデパンダン展」の出品作を振り返る。ここで第二部への重要な足がかりとなるのが、前衛美術集団「九州派」の存在だ。反東京・反公募展を掲げ、いわば「東京への殴り込み」を仕掛けた表現活動の背景には、福岡県大牟田市などの三井三池炭鉱で勃発した「三池争議」をはじめとする激しい労働争議があった。
加えて、東京都美術館の開館には実業家・佐藤慶太郎による巨額な寄付があった。その資金源もまた、佐藤の故郷である九州の炭鉱業であったという示唆に富んだ事実も浮かび上がる。


































