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身体はどのようにジェンダーを演じるのか。アイザック・チョン・ワイが大館「An Intimate Surrender」で問うもの

香港出身のアーティスト、アイザック・チョン・ワイが、大館コンテンポラリーで個展「An Intimate Surrender」を開催した。映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を起点に身体とジェンダー、「演じること」を問い直した本展。その背景をひもとく、本展キュレーターのルイザ・ホーとの対談を届ける。※9月19日24時まで、すべての方に全文お読みいただけます。

聞き手=ルイザ・ホー 構成・翻訳=編集部

アイザック・チョン・ワイ《An Intimate Surrender》(2026)ライブ・パフォーマンス Photo by Tai Ngai
Lung. Courtesy of Tai Kwun

 ベルリンを拠点に活動する香港出身のアーティスト、アイザック・チョン・ワイ(莊偉)が、香港の大館コンテンポラリー(Tai Kwun Contemporary)で初の大規模個展「An Intimate Surrender(親密的歸順)」(7月10日〜8月9日)を開催した。本展では、20点におよぶ新たな委嘱作品を発表。ライブ・パフォーマンス、ダンス、サウンド、サイトスペシフィックなインスタレーションを組み合わせながら、ジェンダー・パフォーマティヴィティの流動性や、文化的遺産をいかに現代へと翻訳しうるのかを問いかけた。

 本インタビューでは、展覧会を企画した大館コンテンポラリーのアソシエイト・キュレーター、ルイザ・ホー(何苑瑜)とチョン・ワイが対談。中国語圏を代表する映画のひとつである『さらば、わが愛/覇王別姫』(チェン・カイコー監督、1993)を起点に、視覚芸術とパフォーマンスを通じて、ジェンダーの流動性をめぐる社会的な問題にいかに応答したのか。新作の制作過程とともに、これまでの実践や思考を振り返る。

アイザック・チョン・ワイ(下) Photo by Tai Ngai
Lung. Courtesy of Tai Kwun

『さらば、わが愛/覇王別姫』から始まった展覧会

──まずはおめでとうございます。ついに香港で初となる大規模個展を実現することができました。会期はわずか1ヶ月でしたが、心を動かされるような好意的な反響を数多くいただき、チームにとっても大きな励みとなりました。

 今回の展覧会は大館コンテンポラリーの3階展示室を使い、空間を大きく3つに分けて構成しました。入り口ではスポットライトが観客を照らし、メイン展示室に入ると、新たに委嘱制作された大型インスタレーション「Touched」シリーズ(2026)が現れます。金属製のフレーム、エッチングを施したガラス、鏡面などから構成され、舞台や映画の撮影セットを思わせる空間です。第2展示室では、垂れ下がるシルクの幕によって舞台裏やリハーサル室を思わせる空間をつくり、中国伝統演劇の鳳冠(ほうかん、*1)を用いたコラージュ彫刻シリーズ「Staged」(2026)を展示しました。

 これらの空間全体を貫いているのが、「ジェンダー・パフォーマティヴィティ」という考え方です。まずは「An Intimate Surrender」という展覧会タイトルがどのように生まれたのか、そしてその出発点となったアイデアについて聞かせてください。

アイザック・チョン・ワイ(以下、チョン・ワイ) 大館からコミッションの依頼をいただき、私が育った街である香港で、ライブ・パフォーマンスを軸とした個展を構想できたことをとてもうれしく思っています。

 この機会をきっかけに考え始めたのは、もし香港でひとつのパフォーマンスを見るとしたら、自分はいったい何を見たいのか。そして、いま改めて呼び起こすべき文化的記憶とはなんなのか、ということでした。

アイザック・チョン・ワイ「An Intimate Surrender」展より Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 そこで自然と、自分自身の経験に立ち返ることになりました。自分がどのように育ち、どのような過程を経て、現在の自分になったのか。そのなかで、香港で育った私にとって非常に大きな存在だったのが、レスリー・チャン(張國榮、1956〜2003)です。香港では親しみを込めて「哥哥(ゴーゴー/兄)」と呼ばれ、まるで家族のように身近な存在でした。とりわけ彼の演技にはずっと惹かれてきましたし、そこから、長年にわたって私の心に残り続けていた一本の映画──『さらば、わが愛/覇王別姫』(1993)へと改めて立ち返ることになりました。

 この映画は、本質的には「演じること」をめぐる作品です。レスリー・チャンが演じる程蝶衣(チェン・ティエイー)は、演技と現実の境界を曖昧にしていきます。公開から30年以上が経ったいまも、映画が投げかける問いはなお切実なものとして響きます。演じることは、私たちを自由にしうるのか。それとも、社会から期待される役割のなかに私たちを閉じ込めてしまうのか。香港との関係も含め、この作品の物語や「哥哥」の演技を改めて考えるなかで、『さらば、わが愛/覇王別姫』を今回の展覧会の出発点にしようという思いがより明確になっていきました。

 展覧会タイトルにある「surrender(降伏、屈服)」は、私にとって受動的に何かを諦めることではありません。むしろ、能動的で、優しく、感情に満ちたかたちで身を委ねることを意味しています。それは、固定化された社会規範や期待、とりわけジェンダーロールをめぐる束縛を手放すことでもあります。

展覧会タイトルにある「surrender(降伏、屈服)」は、能動的で、優しく、感情に満ちたかたちで身を委ねることを意味している。「intimate(親密な)」という言葉にはある種の温かさがあり、身体や感情のあり方を直接的に想起させる Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 そして「intimate(親密な)」という言葉にはある種の温かさがあり、身体や感情のあり方を直接的に想起させます。現在の世界の状況を考えても、私たちは皆、何か寄る辺となるもの、あるいはほんのわずかでも親密さを感じられるものを探しているのではないでしょうか。

*1──中国伝統演劇において、皇后や妃、王女などの高貴な女性や、婚礼時の女性を表現する際に用いられる豪華な装飾を施した冠。

──本展では『さらば、わが愛/覇王別姫』をコンセプトの起点としながら、身体とジェンダー・パフォーマンスをめぐるひとつの「翻訳」を試みています。それは同時に、私たちがこの時代にいかに応答するのか、その姿勢を探る試みでもあったのかもしれません。

 『さらば、わが愛/覇王別姫』は、香港の作家リリアン・リー(李碧華)による同名小説を、チェン・カイコー(陳凱歌)が映画化した作品です。20世紀の中国を舞台に、ふたりの京劇俳優が激動の時代に翻弄されながらたどる運命を描いています。政治的・経済的な混乱のなかで登場人物たちの人生は大きく揺さぶられ、舞台上の虚構と苛烈な現実との境界も次第に曖昧になっていきます。

 歴史的な制度や社会的規範に翻弄されながら、主人公の程蝶衣は自らの身体をもってそれに抗い、消えゆこうとする伝統芸能を執拗なまでに、そして悲劇的な美しさを伴いながら受け継ごうとします。その姿は、いまなお切迫したひとつのステートメントとして見ることができるでしょう。

 近年のあなたの「Touched」シリーズでは、Blindspot Galleryで発表した《Touched: Rouge》(2025)や、台北ビエンナーレで発表した《Touched: A Better Tomorrow》(2025)など、レスリー・チャンが出演した『ルージュ』(原題:胭脂扣/スタンリー・クワン監督、1988)や『男たちの挽歌』(原題:英雄本色/ジョン・ウー監督、1986)といった映画を題材にしています。それらをひとつのリサーチ手法として、人と人との関係、アイデンティティ、制度が抱える矛盾、人間の脆弱性などを掘り下げてきました。

 そして今回、そのリサーチが『さらば、わが愛/覇王別姫』へと展開していった。レスリー・チャンはまさに象徴的なクィア・カルチャーのアイコンであり、あなたに大きな影響を与えた存在だと言えます。

チョン・ワイ 彼の存在はすでに映画の物語そのものを超え、ジェンダー表現や脆弱性、さらには「可視性の政治」といった問題にまでつながっています。私が関心をもっているのは、彼が演じた役柄だけではありません。そのパフォーマンスが、異なる世代や文化的文脈を越えながら、いかに共鳴し続けているのかということです。

 『さらば、わが愛/覇王別姫』は、演劇と人生、虚構と現実が入り混じる関係を描いています。レスリー・チャン演じる程蝶衣は、生涯にわたって虞姫の死を繰り返し演じ続けます。異なる歴史的局面、異なる人生の段階で、その死が何度も反復されるのです。

『さらば、わが愛/覇王別姫』の主人公・程蝶衣は幼少期に、「我本是男兒郎,又不是女嬌娥(私はもともと男であって、女ではない)」という台詞を強制的に矯正され、成長すると今度は、演技と人生の境界そのものが失われていくような状態へと入っていく Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

 程蝶衣は幼少期に、「我本是男兒郎,又不是女嬌娥(私はもともと男であって、女ではない)」という台詞を強制的に矯正され、成長すると今度は、演技と人生の境界そのものが失われていくような状態へと入っていく。私には、舞台上で演じているときの程蝶衣だけが、本当の自由を見出しているように思えるのです。

──文学や映画の古典をライブ・パフォーマンスへと改めて翻訳することは、決して簡単ではありません。展覧会を準備するなかで、私たちは物語の解釈や身体の政治性と脆弱性、そしてパフォーマンスという表現について何度も意見を交わしました。

 コラボレーションの初期から、私たちのあいだにはひとつの明確な共通認識がありました。それは、文化的伝統をただ「再演」する展覧会にはしない、ということです。むしろ物語の核心を抽出し、身体、ジェンダー、アイデンティティの流動性をめぐる表現として提示する。この考えが、その後の素材や空間、音響、照明、振付、さらにはパフォーマーの選定に至るまで、様々な判断を方向づけていきました。

チョン・ワイ そうですね。観客は展示室に入る前から、一列に並んだスポットライトによって自分自身を照らされます。まるで舞台へと上がっていくように、観客自身もまたパフォーマーのひとりになるのです。

 私たちは当初から、観客とパフォーマーのあいだに障壁を設けないことにしました。展示室には明確な舞台の境界がありません。パフォーマーは観客のすぐ目の前にいて、観客は自由に近づくことができます。すべての人を同じ高さ、同じ空間に置くことで、観客にも自分自身をひとりのパフォーマーとして意識してもらい、日常生活のなかで自分がどのような役割を「演じて」いるのかを考えてほしかった。

 それは先ほど話したような、『さらば、わが愛/覇王別姫』における現実と演技のあいだを行き来する状態とも呼応しています。

観客は、パフォーマーに近づくことができ、自分自身をひとりのパフォーマーとして意識することもできる Photo by Tai Ngai Lung. Courtesy of Tai Kwun Contemporary

編集部