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「宮坂了作 ART 75歳」(越後妻有里山現代美術館 MonET)会場レポート。「農業」が美術の前衛性を加速させる【2/3ページ】

《A・ファイヤー・フェスティバル》の衝撃

 宮坂はカリフォルニア芸術大学で特待生となり飛び級、さらにニューヨークのクーパー・ユニオン・アートスクールへの交換留学生に選ばれるなど、非常に優秀な成績を収めた。その契機となった作品が《A・ファイヤー・フェスティバル》(1972)だ。宮坂は京都の五山の送り火の大文字焼きに着想を得て、「ART」、自身のアイデンティティである「Agriculture(農業)」、さらに「America(アメリカ)」の頭文字である「A」の形状を、学校の敷地内にある丘の斜面で燃やすパフォーマンスを思い立つ。

宮坂了作《A・ファイヤー・フェスティバル》(1972)のパフォーマンス写真。大学構内の丘に「A」の文字を掘り、火を点ける様子が記録されている

 宮坂は斜面に縦30メートル、横10メートル、深さ50センチメートルの溝を数日かけて掘り、その穴の中に可燃ゴミを入れて燃やし、夜のカリフォルニアに「A」の文字を浮かび上がらせた。宮坂は当時のことを次のように振り返る。「カリフォルニア芸術大学のあるロサンゼルスは非常に乾いた気候の土地で、山火事も多く発生するため、屋外で火を点けるということは非常に危険な行為とされていた。『A』の文字を燃やすときも消防車が待機するなど、結果的に大がかりなことになって驚いたが、それも現地の人々に作品を強く印象づける要因となったのではないだろうか」。会場では、当時のパフォーマンスの様子を記録した写真が展示されている。巨大な「A」の文字は、大学構内のみならず遠くの街からも見えたという。

 本作はただ文字を燃やすつだけでは終わらず、燃えかすの残る溝に土を埋め戻して花の種をまき、それを肥やしに花を咲かせることで完成とした。生活ゴミを燃やし、それを肥料にし、さらに植物が生えるという循環。宮坂が自身のアイデンティティとして見出した「農業」の要素がここに表れている。

宮坂了作 《植物文字(春菊)》(2023-)。23日をかけて春菊が育ち葉をつける様子が記録された

  会場で展示されている《植物文字》(2022)も、本作の系譜にある作品と言えるだろう。「A」から「Z」までの文字のかたちに肥料と春菊の種を撒く。春菊は20日あまりで葉をつけるほどに成長し、これを収穫して食べることで、循環を体現するという作品だ。

 1974年、宮坂は大学を卒業し帰国。以降、実家の農業と不動産業を生業としながら、作品制作を続けることとなる。帰国後の宮坂の活動を象徴するシリーズが「地図」だ。《地図(始まり)》(1975)は、このシリーズの出発点となる作品で、インドを中心とした色別標高地図に、日本列島のシルエットが青で描かれた。前述したパフォーマンスとは大きく異なる、伝統的な絵画の性格を強く帯びた作品と言えるだろう。

宮坂了作《地図(始まり)》(1975)。「地図」シリーズの始まりとなる作品

 以降、宮坂は色別標高地図をモチーフに「地図」シリーズを描き続ける。土地の高低により白から茶、茶から緑と色分けされ、また海はその深さによって水色から青へと変わっていく色別標高に、宮坂は人間が農業を営んで生活できる環境を平面上で可視化する機能を見出した。

オブジェを消さない

 しかし、宮坂の創作が、「ハプニング」の系譜に位置づけられるパフォーマティブな作品から、筆で描かれた精緻な平面作品へと移行した理由はなんだったのだろうか。宮坂はそこに、地元・諏訪において大きな存在感を示していた芸術家・松澤宥の存在があったと語る。「松澤さんとは私的な交流もあり、影響を強く受けている。『オブジェを消せ』(*1)という彼の宣言には、同じ芸術家として太刀打ちできないインパクトがあった。だからこそ、私は逆の方向、つまり『絵画』というオブジェにあえてこだわり、逆張りのように精緻な作品をつくっていこうと考えました」。

宮坂に送られた松澤宥の筆による「量子芸術」について書かれた書面

 会場には、松澤より宮坂に送られたという「量子芸術の根本中柱は賣れることを恥じる解かることを恥じる(後略)」と書かれた、直筆の言葉が展示されている。松澤への敬意ともに、その思想の逆を行くかたちで変化した宮坂の作風は、タッチを極力表に出さない、細心の神経を使って行われるペインティングとなっていく。繰り返し塗ることでムラが消され、色面の境界がはっきりと浮き上がるように表現されている様が、会場の作品を見るとよくわかる。

宮坂了作《仏の道》(1998-1999)。色別標高のスケールをモチーフとしたグラデーションが、平面に奥行きを与える存在として機能する
宮坂了作《仏の道》(1998-1999)。住宅で使われていたドアの廃材を支持体にしており、地の木目が活かされている

 以降、「地図」シリーズは宮坂のライフワークとなり、支持体やサイズを変えながら、農業や不動産業とともに、宮坂の生活のなかでつくり続けられることとなる。

*1──1964年6月1日の夜、松澤宥は「オブジェを消せ」という啓示を受けたとされる。以降、松澤は物質性を消去し、言葉や動きを提示することを重視する観念美術を提唱していった。

編集部