岐阜県岐阜市の岐阜県美術館で、日本を含むアジアと、アフリカの両地域をつなぐ交流の足跡を現代美術を通して考える企画展「―モンスーンに吹かれたように― 大移動と交流のアフリカ‐アジアの現代美術」が開催されている。会期は6月14日まで。担当は同館学芸員の西山恒彦。
アフリカとアジアをどのようにつなぎ合わせるのか
なぜ本展ではアフリカとアジアに焦点を当てるのか。担当の西山は次のように語る。「ここ10年ほど、シャルジャ・ビエンナーレを始めとしたアジアとアフリカの結節点で開催されている展覧会に足を運んだ経験から、アフリカとアジアを一体として考える土壌の存在を感じていました。特定の地域のローカルな歴史や、それを背景とした現代美術の動向を取り上げるだけでなく、もっと大きくアフリカからアジアにかけての世界地図を描きたいと考えました」。西山が勤務する同館でこのアイデアを実現する契機として思い付いたのが、岐阜県ゆかりの武将である織田信長に仕えていたアフリカ出身の武士・弥助だったという。

西山のその着想は、会場の冒頭で展示されている堺市博物館所蔵の《相撲遊楽図屏風》(江戸時代、5月6日まで展示)に表れている。武士たちが相撲をしている様子が描かれた六曲一隻の屏風だが、中央で取り組みを行う人物のうち、ひとりの肌は浅黒くまげなしで描かれており、黒人力士ではないかと推測されている。この描かれた人物は、弥助の姿と重ねられて語られることも多かった。
弥助はアフリカ南東、現在のモザンビーク出身で、イエズス会によって連れてこられたとされている。重要なのは、弥助がどのような人物であったかということ以上に、桃山時代にはポルトガル人やスペイン人によって少なくない数のアフリカの人々が日本に連れて来られたと推測できる記録があり、当時の日本の人々の頭のなかに日本からアフリカまでをつなぐ地図が描かれ始めたということだ。なお、後期(5月8日〜)では《相撲遊楽図屏風》に代えて、黒人の従者を連れた「南蛮人」が描かれた堺市博物館所蔵の《南蛮屏風》(桃山時代〜江戸時代初め)が展示される。

同じ文化コードを持つ者だけで成立していた領域の外側にある「世界」。これが発見されたことで、この「世界」を構成する人間を人種によって分類するという思想も色濃くなっていった。こうした分類に対しての批評的視座を感じさせるのが、ワンゲシ・ムトゥの初期作品《子宮腫瘍のさまざまなクラスの組織学》(2004-05)だ。19世紀に書かれたJ.A.ジャンソンによる性病等についての研究書『生殖器官の疾患』の挿絵にある女性の身体のイラストを、ヌード写真やファッション誌のピンナップなどとともにコラージュし、アフリカ系の女性たちの肖像をつくりあげた。ムトゥはこのコラージュによって、アフリカ系女性の身体的特徴を象徴的に表現するとともに、それらがつねに視線にさらされる対象であることも明らかにする。

ムトゥの映像作品《アメイジング・グレイス》(2005)も印象的だ。白い服を着たムトゥ本人は、海の中へと歩んでいき、バックではムトゥの母語であるキクユ語で歌われた讃美歌「アメイジング・グレイス」が流れる。この楽曲の成立時期は諸説あるが、作詞は1772年にイギリス人のジョン・ニュートン(1725〜1807)が手がけたものだ。黒人奴隷貿易で財を成したニュートンは、牧師となりそのことを悔恨するなかでこの詩を書いたという。入水を思わせる映像のイメージ、海をわたり運ばれた黒人奴隷たちの運命、黒人の祈りと白人の欺瞞を折り込みながら、映像は見る者のイメージをふくらませていく。



































