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「絵と編物でみる 加藤博子の作品世界」(国立ハンセン病資料館)開幕レポート。隔離を超えて紡がれた創造の軌跡

東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で、ギャラリー展「絵と編物でみる 加藤博子の作品世界」が開幕した。会期は6月7日まで。展覧会場の様子をレポートする。

文・撮影=大橋ひな子(編集部)

展示風景。絵画作品と編物作品が並ぶ

 東京都東村山市の国立ハンセン病資料館で、ギャラリー展「絵と編物でみる 加藤博子の作品世界」が開幕した。会期は6月7日まで。担当は同館学芸員の吉國元。

 国立ハンセン病資料館とは、患者・回復者とその家族の名誉回復を図るために、ハンセン病に関する正しい知識の普及や理解の促進による、偏見や差別、排除の解消を目指す施設だ。今回のギャラリー展「絵と編物でみる 加藤博子の作品世界」は、ハンセン病回復者であり、ひとりの画家でもある加藤博子の活動に焦点を当てた同館初の試みだ。

 加藤は1943年生まれ。12歳で静岡県御殿場市の駿河療養所に入所。岡山県にある長島愛生園の邑久高等学校新良田教室に進学後、好きだった絵画制作に熱中し、美術展などへの入選を重ねた。駿河療養所内での結婚を経て、夫との社会復帰、そして同施設への再入所を経験。社会復帰にあたっては絵画制作を中断し、編物の技術を習得した。2025年12月2日に82歳で逝去。

 本展は、国家による強制的な隔離政策や社会からの偏見によって人生を制約されながらも、生涯を通じて表現活動を続けた加藤博子の歩みを、絵画と編物を中心とした18点の作品で辿るものである。

左:加藤博子《自画像》(1972)石膏ボードに油彩 41×31cm、右:加藤博子《海》(1962頃)板に油彩、砂 60.6×92.2cm

 会場は5つのセクションで構成されている。第1章「入所」では、加藤の初期作品とともに画業の原点に関する資料が展示されている。加藤がハンセン病と診断されたのは10歳の頃。戦争による物資不足による栄養状態の悪化が原因のひとつと考えられているが、当時の社会における病への風当たりは極めて厳しかった。娘の発症を知った父親が一家心中を考えたというエピソードからは、社会の偏見が、いかにハンセン病患者の家族を追い詰めていたかがうかがえる。

《画材収納カバン》(1959)木材、アルミニウム、油絵具、紙 40.3×39×5.5cm

 1955年、12歳で駿河療養所に入所した加藤は、やがて岡山県の長島愛生園内にあった邑久高等学校新良田教室に進学する。会場では、高校1年生のときに加藤が母親にねだって買ってもらったという油絵具一式が展示されている。使い込まれたその道具からは、加藤がこの道具を使って一心に制作に打ち込んでいたことが伝わってくる。

 最初期の作品《海》(1962)は、療養所から見える夜の海を描いたと思われるものだ。砂を素材に混ぜるなどの技法からは新しい表現への意欲が感じられる。本作は第13回岡山県展(1962)に入選。作家自身は療養所に隔離されながらも、その表現は隔離の境界線を越え、社会へと届いていた。

 また、高校卒業時のエッセイにも注目したい。「入学当時、単に『好き』それのみだった美術が、私の中に大きい存在を示してくるようになった。深く追求したい。それを通して、人生の姿、人間の本質、虚飾の虚しさを知りたい。追えば追う程に深淵な世界。一生懸命になればなるほど不条理に逢い、療養所の古い観念や制度にあう。らいに始りらいに押し返される」(『全患協ニュース』1963年4月1日号より抜粋)(*1)との語りからは、加藤の美術への情熱と当時の葛藤が凝縮されている。

*1──引用した文献には、現代の社会通念や人権意識に照らして不適切な表現や語句、差別的表現が見られるが、執筆当時の時代的背景と原典の資料的意義を考慮し、原文のままとした

編集部

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