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「―モンスーンに吹かれたように― 大移動と交流のアフリカ‐アジアの現代美術」(岐阜県美術館)会場レポート。境界を越えるために必要なものとは【2/3ページ】

越境しながら紡ぐ一人ひとりの歴史の重層

 マフディ・エシャーエイは、1989年にドイツ・ミュンスターでイラン移民の両親のもとに生まれたアーティストだ。デザインと写真を大学で学んだエシャーエイは、卒業時に「アフロ─イラン:知られざるマイノリティ」と名づけられたプロジェクトを開始。エシャーエイの両親の故郷であるイランのシーラーズは、イスラム教成立以前の歴史も長く、アフリカとの交易的な結びつきが強かったため、いまでもアフリカにルーツを持つ人々が暮らしている。

マフディ・エシャーエイ「アフロ─イラン:知られざるマイノリティ」(2014)より、ホルムズ海峡沿いの地域に住む人々が被写体となっている

 エシャーエイが本プロジェクトにおいて被写体にしたのは、2026年現在アメリカ/イスラエルとイランとの紛争により混迷を極めるホルムズ海峡に面したホルモズガーン州だ。サファヴィー朝ペルシャでは、ポルトガルとの奴隷貿易も盛んであったため、ここに住む人々のなかには奴隷の末裔にあたると推測される人もいる。会場では同地の歴史や文化についてのエシャーエイによる研究論文とともに、そこで生きる人々の姿を見ることができる。報道では簡易的な地図とともに戦禍の現場として伝えられるこの地で、収奪の歴史がその血に流れる人々が生きているという事実に鑑賞者は向き合うことになる。

石川真生「アカバナー」(1975-77)より、沖縄の黒人米軍兵士たちと生きる沖縄の女性たちが撮影されている

 石川真生は1953年琉球政府(現沖縄県)大宜味村に生まれた写真家だ。1972年、アメリカから沖縄が返還される頃から、沖縄に関わる人物たちを被写体に作品を撮影し続けている。本展で紹介されているのは、米兵相手のバーで働く沖縄の女性たちをとらえた「アカバナー」シリーズ(1975-77)と、沖縄の庶民の歴史を描く創作写真シリーズ「大琉球写真絵巻」(2014-)からの、ミックスルーツの家族を被写体とした1枚だ。戦後沖縄の複雑な歴史のなかで生まれた様々な文化のルーツを持つ人々の交流が生んだ人々の、力のこもった息遣いが写し取られている。

チェ・ウォンジュン《ノー・ペイン・ノー・ゲイン》(2022-23)。イグウェ・オシナチが日々の労働をする様子と、スーツを着てブランドのブティックが並ぶ通りを闊歩する様子がアフロ・ビートの楽曲に合わせて交互に映し出されていく

 1979年、韓国・ソウルで生まれたチェ・ウォンジュンは、韓国におけるアフリカ系コミュニティとのコラボレーションプロジェクト「キャピタル・ブラック」(2020-)を行なっているアーティスト。研究者としても活動しており、アフロアジア・コレクティブのメンバーで、スペース・アフロアジアの設立者でもある。チェはこのプロジェクトの一環として、米軍のキャンプタウンで生まれたアフリカ系移民とその第二世代子供たち、あるいはアフリカ出身の移民労働者たちの生きる姿や文化を写真や映像にしてきた。

 会場では、ナイジェリア出身の移民労働者でありミュージシャンであるイグウェ・オシナチとともに監督したミュージックビデオ《ノー・ペイン・ノー・ゲイン》(2022-23)が目を引く。アフリカから遠く離れた韓国での労働と生活を故郷のリズムとともに表現することで、韓国におけるアフリカ系移民たちが担っている役割や、70年代の韓国における民衆による労働運動を編み合わせるようにして表現。彼らの存在をその背景にある社会構造も含めて可視化している。

吉國元「来者たち」(2018-)。褐色の肌の人々とともに、鮮やかな色彩の植物の描写も印象的だ

 吉國元は1986年にジンバブエ・ハラレ生まれの画家だ。日本人の両親とともに10歳のときに帰国したものの、吉國は慣れ親しんだジンバブエから日本に「移住した」という感覚を抱き、故郷で没頭していた絵画に表現の道を見出すようになった。

 会場では、吉國がジンバブエで出会った人々、父と母、妹とその家族、日本で出会ったアフリカ人らを描いた肖像画と、自身の自画像を組み合わせた連作「来者たち」(2018-)の73点が展示されている。写し取られた人々の姿からは、日本という枠組みを超えて形成された「親しみ」が伝わってくる。鑑賞者一人ひとりが本作を前にするとき、人それぞれが持つ「親しみ」のルーツは本質的に多様であり、越境的であることに気づかされることになる。

なみちえ「Kigroom」シリーズのぬいぐるみ。右端が「なみちえの中身」と説明される《何ちえ》(2016)

 1997年、ガーナ人の父と日本人の母のあいだに生まれたなみちえは、日本で生きるなかで、自身の外見に投げかけられる視線をつねに意識させられてきた。他人に外見で判断され、差別的な言葉を投げかけられるといった環境のなかで、なみちえは中学生のころから着ぐるみを制作していたという。視線や会話を遮断しつつコミュニケーションを行えるという着ぐるみに着目し制作された「Kigroom」シリーズ。以降、なみちえは多くの着ぐるみを制作したが、なかでも虹色の着ぐるみは作家の名前を模した《何ちえ》(2016)と名づけられており、「なみちえの中身」という説明が添えられている。多様な色を持つ作家自身が、着ぐるみのなかから表面へとにじみ出てきているかのような印象を受ける。

 また、なみちえは大学時代から音楽活動を行ない、典型を押し付けられる自身の立場をメッセージとして発信してもきた。外国人として扱われ、からかわれる状況へのレジストを込めて「国人ラップ」(2020)を制作。以降、ソロのミュージシャンとして、またはユニットとしても多岐にわたる活動をしている。会場では、なみちえの音楽活動も紹介されており、着ぐるみとともに様々な側面を持つアーティスト・なみちえの姿を教えてくれる。

編集部