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ノスタルジアが美術史になるとき。エイドリアン・ファベル評「レントゲン藝術研究所とその周縁−1990年代前半の東京における現代美術−」

1990年代初期の先駆的なアートスペース「レントゲン藝術研究所」とその周辺をインタビューや様々なアーカイヴ調査で掘り下げる展覧会「レントゲン藝術研究所とその周縁−1990年代前半の東京における現代美術−」が、昨年12月に東京藝術大学学生会館で開催された。レントゲン藝術研究所の影響や1990年代の東京の現代アートシーンについて、社会学者/現代美術の批評家であるエイドリアン・ファベルが論じるエッセイをお届けする。

文=エイドリアン・ファベル 翻訳=田村将理

「Fo(u)rtunes」展(1993年1月)のオープニングにて。左から西原珉(キュレーター)、小沢剛、鳴海暢平、池内務、会田誠、中野渡尉隆 撮影=黒川未来夫

ノスタルジアが美術史になるとき

 去る2024年の12月、東京藝術大学で博士研究を仕上げたばかりの鈴木萌夏の研究を扱う展覧会「レントゲン藝術研究所とその周縁−1990年代前半の東京における現代美術−」が、同校学生会館にて1週間にわたり開催された。現在は女子美術大学で講師を務めるZ世代の若き現代美術研究者の鈴木は、池内務による1990年代初期の先駆的なアートスペース「レントゲン藝術研究所」周辺の深まりつつある神話に強く関心を惹かれていた(レントゲンはドイツ語でX線を意味する)。

 当時の東京のアート界は古臭い貸し画廊と西洋から輸入されたアートトレンドに支配されており、やがて1990年代をひとつのシーンとして確立することになる新たなギャラリーや現代美術館の相互のつながりもまだ生まれてはいなかった。そんな時代に、ドイツのクンストハウスというモデルに基づき、池内が反旗を翻すように始めた前代未聞のスペースは、芸大出身の新人作家たちに、主要な初期作品を発表し、アートのメディアや関係者からの最初の注目を浴びる機会を与えた。1991年6月から95年12月までに約40の展覧会を開催することになるレントゲン藝術研究所は、池内が家業の古物商に関わることをきっかけに入手した、東京23区南部の大田区という目立たない立地ながらも広大な3階建ての工場建築であった。 

 鈴木の博士研究とそれに基づく1週間の展覧会は、初代レントゲン藝術研究所(「レントゲンクンストラウム」として青山で再開する以前)の5年間(正確には4年半)の記録を体系的かつ決定的なかたちで提示した。多くの重要人物が携わるインタビューやアーカイヴ調査とともに、鈴木はこのシーンがつくり出したフライヤー、ポスター、写真、いくつかの映像、DIYでつくられた希少なZINEやパーカー、CD、カセットテープなどこの時代を記念する多種多様な品々、そして収集された当時の出版物からなる素晴らしいコレクションをまとめて展示した。そこにさらなる活気を与えた大盛況のトークイベントには、池内だけではなく、先駆的なギャラリストの小山登美夫、このシーンの守護者のような女性キュレーターの西原珉、そして当時『美術手帖』の編集者を務めていた楠見清など、向こう見ずな興奮に彩られていた日々の重要人物たちが登壇した。

「レントゲン藝術研究所とその周縁−1990年代前半の東京における現代美術−」展の展示風景より 撮影=澤田詩園

編集部

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