ノスタルジアと美術史:未来の美術史家への橋渡し
さて、ノスタルジアはいつ美術史に変わるのだろうか? 展示記録の出版が予定されている鈴木の博士研究と展覧会は、遠からず東京の1990年代へとたどりつくはずの(国内外の)未来の美術史家たちに貴重な宝の山を差し出している。しかし、その日はまだ訪れてはいない。筆者は日本美術史界隈の仲間たちに東京芸術大学で行われたこれらの一連のイベントの情報を送ったものの、いまでも1950年代・60年代・70年代を断固として重視している米国の美術史家たちからはほとんど反応がなかった。美術史というものは、調査対象となる人物が亡くなるまでにインタビューできる最後のチャンスを研究者たちが悟ったときにようやく本格的に始まるのだ。
もちろん、作家たちは自ら整理した歴史の流れに自分を書き入れるための努力をつねに重ねている。村上はこのことについて誰よりも意識的である。国際的にいえば、歴史家のあいだに流通しているのは村上の史観だけであり、それは「Superflat」展(2001)、「Little Boy」展(2005)、「The Octopus Eats its Own Leg」展(2017)などを通じて正史化され、ペロタンやBLUM、いまではガゴシアンといったギャラリーにより徹底的に宣伝されてきた。それはひとりの天才の個人的な物語であり、その輝きのすべてが生まれてきたところの集団的な環境の遥か前方をひた走っているのである。未来において、池内や西原の名を記憶するものはいるだろうか? あるいは、会田や小沢さえも忘却されてしまうのだろうか? 現代美術をめぐる国際的な調査のほとんどにおいて、日本のアートはせいぜい1ページか2ページの扱いに単純化されてしまうという悪しき慣例がある。この物語のなかで村上隆と(レントゲン藝術研究所との関わりはない)奈良美智のほかの誰かに居場所が与えられることはありえるだろうか?
より多くのものを記憶していくために、ノスタルジアは文脈を与えられ、その価値を検証されねばならない。レントゲン藝術研究所はそこで起きた出来事のみならず、そのあり方にも同等の重要性がある。現代版のクンストハウスという池内のビジョンは、アーティスト、ライター、ギャラリスト、キュレーター、パーティ好きの人々をまたとないただひとつの空間、時間、場所に集め、爆発を引き起こしたのだ。その目もくらむような爆発的な展開を導いたのは村上の《シーブリーズ》と会田の《巨大フジ隊員VSキングギドラ》だった。
ここでヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)との並行性を強調しておきたい。ロンドンにおけるYBAのアウトサイダー的な戦略と爆発的なインパクトもやはり同じような道をたどっていた。エリート的な主流の美術館やギャラリーから拒否されたYBAの作家たちも使われなくなっていた工場を占拠し、目を見張るような挑発的で大胆不敵なポップ・アートを制作した。また、ダミアン・ハーストやジェイ・ジョプリングと東京のシーンのあいだには、重要な個人的なつながりがあった。
レントゲン藝術研究所は、ギャラリーではなくアートスペースだった。そこで繰り広げられたパーティと書かれたテキストが東京の現代アートシーンを真にクールなものとしていたのだ。京都のシーンとの競争関係という力学ももうひとつ重要な点である。しかし、西原のプロト・フェミニスト的な言語に明瞭に表れていたようなレントゲン藝術研究所を舞台としたアートの批判的な鋭いエッジは、村上隆や小山登美夫、彼らの米国の後援者たちがグローバルなアートシーンでの成功へと導くことのできた遥かに愛想のよい商業的なアピールへと速やかに丸められてしまった。それは1990年代後期と2000年代初期の東アジアの現代アートとともにグローバリゼーションの波にのまれ、ハンス・ウルリッヒ・オブリストやホウ・ハンルのようなキュレーターたちがいかようにも扱えてしまう、文化をめぐるプレイグラウンドのひとつとなっていった。

グローバルな文脈を扱う美術史家たちが過去に遡り、1991〜95年の東京で実際に何が起きていたかをその目で理解するために、いまこそなんらかのきっかけが必要である。たやすく知ることのできる村上の物語はこの関心に応えてはくれるが、そこでは歴史の全体像が犠牲になってしまっている。それはほかの主人公たちの各々の歩みについての深い理解に欠けているが、その複数の道筋こそが日本の現代アートにおける社会的・政治的な系譜のそれぞれに残響しつづけているものなのだ。日本という現地において鈴木がまとめた記録は説明に徹するものであり、何か明確な議論が提示されているわけではない。それはいまのところ、数々の資料と物語の集積である。ここに美術史家たちがたどりつくまさにそのとき、これらの残された断片からどれほどの文脈化と相対化が可能となるかという興味深い問いが立ち上がる。この未来の美術史へと続く扉を開く鍵を収集し、公開することによって、鈴木はこれらの歴史家たちに途方もない貢献を与えているのである。
*1──Favell, Adrian. Before and After Superflat: A Short History of Japanese Contemporary Art 1990-2011, Hong Kong: Blue Kingfisher/DAP, 2012. pp.246; ‘Resources, scale and recognition in Japanese contemporary art: “Tokyo Pop” and the struggle for a page in art history’, Review of Japanese Culture and Society, vol.26, Dec, 2014. pp.135-153.