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ノスタルジアが美術史になるとき。エイドリアン・ファベル評「レントゲン藝術研究所とその周縁−1990年代前半の東京における現代美術−」【3/5ページ】

1990年代の東京の奇跡的なアートシーン

 もちろん、ここには記念すべきものがある。この過ぎ去りし日々にレントゲン藝術研究所を始めたときの池内はまだ25歳だった。会場の壁にかけられた数々の写真には、爆発的な勢いで動いていたポストバブルの東京という場所と時代そのものといえる、もっとも刺激的で、若々しく、美しく、それでいてまったく冷静沈着な自信に満ちたアンダーグラウンドのアートムーブメントがそこにあったことを教えてくれる。アートや文化の歴史がつくられる場の中心にいることがいかに奇跡的なことであるか、そして、自分たちがいままさにそれを体験していることを誰もが自覚していたのだ。

「レントゲン藝術研究所とその周縁−1990年代前半の東京における現代美術−」展の展示風景より 撮影=澤田詩園

 展示物のなかでも、もっとも刺激的なものには村上隆の初個展「Wild Wild」(1992年2月)のカタログ原本がある。生意気で才気にあふれる村上は同年、この個展のあとに開催された「Anomaly」展(1992年9月)を《シーブリーズ》の衝撃で独り占めすることになる。当時、村上はやがて東京藝術大学で初めての日本画の博士号授与論文となるものを書き進めていた。村上は自身のコンセプチュアル・アーティストとしての最高潮に達しており、西洋のオーディエンスに日本の大衆文化を様式化したものを売り返すというアンディ・ウォーホル的なビジョンにまで椹木の思想を押し広げていた。それによって村上は、より正攻法の、技術的にはさらなる高みにあった中原浩大ヤノベケンジなどの関西で活動するライバルたちの作品さえも凌駕する注目をあつめることができたのである。

 椹木野衣のキュレーションによる「Anomaly」展とそのオープニング・パーティは、池内とレントゲン藝術研究所ならではのキュートで、レトロ・フューチャリスト風で、どこかドイツ民族的な雰囲気をたたえたスタイルを確立した。それは当時スタッフとして関わっており、椹木のパートナーでもある山本裕子が現在、共同で運営する東京有数のギャラリー「ANOMALY」の名前として、いまも誇らしく継承されている。レントゲン藝術研究所はいわば日本版のクラフトワーク(坂本龍一とYMOの影響もじつに明らかである)だった。それは1990年代と2000年代にかけたクールジャパンの盛衰のすべての過程を貫くひとつのイディオムを確立したのである。今日でさえ、昨年のクリスマスに東京を訪れた観光客たちは、GINZA SIXの吹き抜けにヤノベケンジが展示した猫たちの宇宙船のインスタレーション《Big Cat Bang》に魅了されたことだろう。

 当時アーティストたちがつくり出した数々のパーティや、Tシャツや手づくりの「ZINE」のような記念すべき品々は、すべてこの展覧会に見事に記録されていた。これは生の姿の文化史であり、新宿二丁目などのバブル期のアンダーグラウンド文化の現場から生まれてきた東京のロックやクラブ、ファッションといったシーンと、アーティストたちはこのときばかりは張り合えていたのだ。

 これらの藝大卒の若き作家たちはDIYスタイルの文章とマーケティングを通じて、自分たちのための歴史を自らつくりあげ、FAXで東京中にフライヤーを送りお互いにつながっていた。パーティでは、作品は酒のグラスを手にした人々やダンスする人々の陰に度々隠れてしまい、あちこちをさまようたばこやワインに台無しにされてしまう危機につねに晒されていた。

 このシーンはまったくのローコストで、高い会場使用料などもなく、作家やキュレーターたちは作品の制作期間には上の3階で寝泊まりしていたのである。スリリングなことに、このパーティの美学は1980年代とイギリスの美学に別のかたちで呼応したものとなっている。それはまるで1981年頃のロンドンのクラブ「ブリッツ」からそのまま出てきたかのようであり、誰もが(ヴィサージの)スティーブ・ストレンジやデュラン・デュランのメンバーのようないでたちだった。黒衣に身を包み漂白されたブロンドの長髪で圧倒的な存在感を放つ西原は、まるでデヴィッド・ボウイの「アッシュズ・トゥ・アッシュズ」の映像にエキストラ出演していたスーパーモデルのようだ。東京のアート界においていまでは年配の世代として何かしらの存在となる誰もが、まだ何者でもないころにその現場に立ち会い、あるいは少なくともその場に居合わせた記憶を持つことになる(なかには、正確に年を数えたらそれには若すぎるようなことがあったとしても)。

「Fo(u)rtunes」展(1993年1月)のオープニング 撮影=黒川未来夫

編集部

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