時代を穿つ被写体を捉えた、ふたつの美学
1939年に日本工房を去り、戦後はリアリズム運動を牽引した土門。このおよそ10年の間に、彼はどのような思想を胸にカメラを構えていたのか。第6章「戦後肉体群像」ではその足跡を追う。
戦時中は戦意高揚のための国策写真を手掛けた土門だったが、雑誌『広告界』1941年1月号の表紙を飾った《女人目玉》や、1946年に復刊した写真雑誌『カメラ』で発表した、まだ乳飲み子だった実娘を写した《真魚子》などを世に送り出していく。

いっぽう、1947年に新生社から創刊された雑誌『東京』や『女性』には、敗戦後の解放感と欧米化を謳歌する都市の若者やダンサーの姿が捉えられている。これらは雑誌側の企画意図を反映した側面も強いと見られるが、第5章から続く「肉体」への並々ならぬ関心がそのまま息づいていることがわかる。土門が戦時中に捉えた肉体とは、明らかに異なる意味合いを帯び始めた「戦後の肉体」。この時期の作品群はこれまで目にする機会が限られていたが、本展のために新たにプリントされた貴重な作品も出品されている。

1965年頃になると、細江は知人の肖像を継続的に撮影し、『アサヒカメラ』や『中央公論』の連載で発表していく。第8章「芸術家たちの肖像」では、細江のレンズが捉えた多彩な芸術家たちのポートレートが一堂に会する。

そして、この2人の写真家にとってきわめて重要な被写体となったのが小説家の三島由紀夫(1925〜1970)だ。第9章「被寫體(被写体)・三島由紀夫」では、2人が三島という稀代の表現者をいかに捉えたかを対比しながら鑑賞できる。細江は「おとこと女」を高く評価した三島本人からの依頼を受けて撮影を開始。本展のメインビジュアルでもある裸体写真集『薔薇刑』(1963)は、その耽美でドラマチックな世界観が国内外に大きな衝撃を与えた。

このおよそ10年前、土門もまた三島を撮影していた。「三島由紀夫の衣・食・住」(1955)に収められた20代半ばの三島は、プライベートな佇まいや日常の柔らかな表情を見せており、素顔の人物像が透けて見えるようだ。会場には一般に知られる「イメージとしての三島」とは異なるアナザーカットも並び、非常に興味深い。キャプションに記された「写真の選ばれ方や使われ方によってその被写体が与える印象は大きく変化することを示している」という言葉が、この章の魅力を見事に物語っている。



















