個人名を出さない風潮
発端はひとつのtweetだった。岐阜県現代陶芸美術館館長・高橋秀治が、三重県立美術館の「担当学芸員によるギャラリートークを開催します」という投稿に対し「外部講師だけでなく担当学芸員も名前を出して欲しい。自分が勤務する美術館でもそうだけど、学芸員は名前を出したがらない人が多いと思う。美術館の財産でもある学芸員を各美術館がもっと売り出しましょうよ。学芸員の顔が見える美術館に」と引用RTしたのだ(なお三重県立美術館は、「学芸室だより」というリレー形式のエッセイで、早くから各学芸員の名前を掲載してきたことは明らかにしておきたい)。
外部講師だけでなく担当学芸員も名前を出して欲しい。自分が勤務する美術館でもそうだけど、学芸員は名前を出したがらない人が多いと思う。美術館の財産でもある学芸員を各美術館がもっと売り出しましょうよ。学芸員の顔が見える美術館に。 https://t.co/YrhiaPvFVI
— MoMCA館長 (@WanderHytew) May 10, 2019
これについて、和歌山県立近代美術館学芸員の青木加苗はこう反応する。「学芸員が名前を出さないのは、出さないのじゃなくて、出せないということなんですよ。『ただの一般行政職の一公務員が、なんでえらそうに名前なんて出すんだ』っていう。図録の論考に著者名を載せることさえ未だ許されない館があるという現実」(このtweetは2000以上「いいね」されている)。
学芸員が名前を出さないのは、出さないのじゃなくて、出せないということなんですよ。「ただの一般行政職の一公務員が、なんでえらそうに名前なんて出すんだ」っていう。図録の論考に著者名を載せることさえ未だ許されない館があるという現実。 https://t.co/XPT3vcSOo5
— Aoki Kanae (@enakakioa) May 10, 2019
日本の美術館では、学芸員個人の名前が出る機会はそこまで多くはない。もちろん、展覧会の図録や紀要、あるいは新聞や雑誌、ウェブメディアなど外部媒体で執筆した文章にはその名前が載ることは一般的だ。しかし、上述のギャラリートークの告知などでは「担当学芸員」とされ、個人名が出ることはむしろ珍しい。
都内の公立美術館に勤務するある学芸員はこう語る。「(学芸員の名前は)出したくないのではなく、日本の美術館では個人が前に出ないような風潮があると思います。私自身内覧会の挨拶で学芸員が前に立たないのは変だなあと思っていて、館内で発言したこともありますが、真に受け取られずスルーでした」。
こうした状況に対し、栃木県立美術館の学芸員・志田康宏は「(学芸員の名前は)どんどん出すべき。チラシの隅にでも『監修=〇〇』くらいの表記をしていいと思っています」と主張する。「その理由は、現状の名前を出さない慣習は『責任を取りたくない』ように見えてしまうところにあるからです。展覧会に欠点があるのなら学芸員が表立って批判を受けるべきです。大学教員のように、研究者としての責任の所在を明確にすべきだと思います」。
名前を出すことでのメリットについて、このような意見もある。
展覧会の企画者の名前は明確にしたらいい。一般の来館者にとっても、「自分の好きなタイプの企画をする学芸員」を追っかけることができるのはメリットになるだろうし。
— 雪りん (@ykkykym) May 11, 2019
「担当学芸員」の名前が出ないのは、こうしたギャラリートークなどの場だけではない。美術館のウェブサイトでも館自体の「About」や、展覧会紹介ページに担当学芸員の個人名が掲載されることは稀だ。実際、担当学芸員を検索しようとしてもどこにも名前出てこない、というケースは多々ある。「顔」が見えにくいのだ。
太田市美術館・図書館の学芸員・小金沢智は、「展覧会担当学芸員の名前くらい自館ホームページや展示会場に出したほうがいいんじゃないかと思うこともある」としながら、いっぽうで「特定の個人が前に出ることを良しとしない役所的発想がある」という現実を語る。