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「難波田龍起」(東京オペラシティ アートギャラリー)開幕レポート。21世紀に再発見する、抽象の向こうの人、もの、景色

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 第2章「戦後の新しい一歩:抽象への接近」は、戦後、急速に抽象絵画に接近し、表現力を高めていった難波田の50年代半ばまでの画業を取り上げる。

展示風景より、左から《色彩によるデッサン》(1951)、《庭》(1951)、《原子彫刻》(1951)すべて東京オペラシティ アートギャラリー蔵

 戦後の難波田をとくに刺激したのは、戦後復興によって新たに建てられていく東京のビル群のエネルギーだった。それまでの古典への憧れは薄れ、都市における直線の美しさを取りれた抽象絵画をキュビスム的に描くようになっていく。 

展示風景より、《昇天する詩魂B》(1956)池田20世紀美術館蔵

 第3章「アンフォルメルとの出会い」は、50年代後半、「アンフォルメル」の抽象画が日本でも紹介されるようになって以降、難波田が受けた影響を探る。

 西洋抽象絵画の新たな潮流が「アンフォルメル」の名のもとに紹介されるようになると、難波田もこれに呼応した。会場ではその代表的作家であるジャクソン・ポロックの影響を強く受けているであろうドリッピングによる作品も並ぶ。

展示風景より、左から《青い陽》(1961)東京国立近代美術館蔵、《たたかいの日々》(1963)世田谷美術館蔵

 いっぽうで担当の福士は、この時期の難波田の葛藤について、次のようにも語った。「難波田は、例えば同時期のもの派のように、物質そのものの表情や存在感を強く打ち出す傾向には批判的であり、根本的にはヒューマニズムの側に立っていたいという思いがあった」。実際に、こうした葛藤こそが、次章以降で紹介される、難波田の独自性を構築していったといっていいだろう。

展示風景より、左から《コンポジション》(1965)東京国立近代美術館蔵、《ファンタジー 青》(1966)池田20世紀美術館蔵
展示風景より、《青のコンポジション》(1963)東京国立近代美術館蔵

編集部