• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「難波田龍起」(東京オペラシティ アートギャラリー)開幕レポ…

「難波田龍起」(東京オペラシティ アートギャラリー)開幕レポート。21世紀に再発見する、抽象の向こうの人、もの、景色

【4/5ページ】

 第4章「形象とポエジー:独自の『抽象』へ」では、ドリッピングの波が過ぎたあとの難波田がたどり着いた、垂直線と水平線が拮抗しながらも混ざり合い、そこに色彩が複雑に絡み合うことで生まれる表情豊かな絵画群を紹介する。

展示風景より、左から《不思議な国(C)》(1984)世田谷美術館蔵、《原始的風景 A》(1987)東京国立近代美術館蔵

 福士は難波田の抽象画を次のように評価している。「たしかに、難波田の絵画は物質としての強度が弱いように思われることが多い。しかし、本展を準備するにあたって強く感じたことだが、難波田はマチエールの作家といえるのではないか。絵画の表面に現れるイメージの重なりは詩情豊かであり、見るものに様々なことを語りかけてくる。ぜひ、こうした観点で作品を見てもらいたい」。

 また、この時期の難波田の作品を見ていくと、たんなる抽象を超えた表現がしばし現出しているようにも感じられる。作品と対峙していると、線や色の重なりが、さながら人々や植物のように見えてくることがあり、そこはかとない具象性が感じられる。

 例えば難波田が長男と次男を相次いで亡くした時期の作品《昇天》においては「どこか人物の面影が見てとれる」と福士は語る。それが世を去った人々の姿と短絡的に結びつけることはできないが、難波田の絵画にはその人生が複雑に織り込まれていた可能性を汲み取ることもできるだろう。

展示風景より、左から《昇天》(1976)東京国立近代美術館蔵、《曙》(1978)世田谷美術館蔵

編集部