• HOME
  • MAGAZINE
  • SERIES
  • 藤嶋咲子(アーティスト)✕吉田寛(美学者・ゲーム研究者)対談…

藤嶋咲子(アーティスト)✕吉田寛(美学者・ゲーム研究者)対談:鑑賞者をプレイヤーへ、沈黙を表現へ。「作動するアート」としてのシリアスゲーム【2/4ページ】

個人の抱えている問題をゲームが可視化する

──いま「シリアスゲーム」という言葉が出てきましたが、これはどういったゲームなのでしょうか。

藤嶋 私が「シリアスゲーム」を意識することになったきっかけは、2020年の最初の緊急事態宣言下での出来事でした。当時は「ハッシュタグ・デモ」の全盛期で、検察官の定年の引き上げと内閣の判断で幹部の定年を延長できる「役職定年特例」を新設する検察庁法改正の動きが高まり、その早急な採決についての議論が、ハッシュタグ「#検察庁法改正の強行採決に反対します」とともに当時のTwitter(現X)で盛り上がっていました。しかし、SNS上では毎日異なる抗議の声が溢れているのですが、一歩外に出れば、表参道ですら誰もいないという異様な沈黙が支配している。私自身、家庭での赤ちゃんの世話に追われ、ほかの大人との会話もままならないまま、都市の中で孤立していくような感覚を抱いていました。

 この「SNSの熱狂」と「物理的な沈黙」のギャップを埋めるために、ある実験的なアクションを思いついたんです。それが、画面上にある国会議事堂を模したモデルの前に、キャラクターが1リツイートにつき1人ずつ増えていくという「バーチャルデモ」の仕組みです。Twitter上で「これだったら参加したい」という人々が一気に集まり、最終的には約4万人もの人々が接続されました。滝のように流れてくる人々の言葉に触れたとき、孤独だった自分が社会と再接続されたような、震えるような感覚がありました。

 後に知ったのですが、まさにそれは「シリアスゲーム」の領域でした。娯楽として消費されるだけのゲームではなく、社会的な課題やメッセージを体験として扱う可能性に気づいたのは、この出来事から数年後のことでした。以降、この「シリアスゲーム」というジャンルに興味を持つようになりました。

吉田 「シリアスゲーム」という言葉は1970年代から提唱されている概念で、教育や企業研修、あるいは社会運営における団結力を高めるためのツールとして議論されてきました。

 ゲームの本質は「身体性と知性の結合」にあります。たんに理論や言葉だけで社会問題を語るのではなく、フィジカルに、あるいはアバターを通じて他者と接しながら「動く」ことで思想を形成していく。こうした要素を取り入れ、教育やリハビリ、社会課題の解決といった、より「真面目な目的」に特化したゲームが「シリアスゲーム」です。

藤嶋 ゲームなので、アバターやローポリゴンを利用することで現実世界の情報量を削ることができ、プレイヤーが想像力で補う余地をつくることもできますよね。

吉田 それは重要な視点です。記号的なアバターを用いることで、特定の属性を払拭し、よりフラットな対話を促すことができる。とくに藤嶋さんの試みで重要なのは、ゲームという「虚構の枠組み」が、現実の息苦しさを緩和する「緩衝材」になっている点です。現在、SNSなどのインターネット空間では、発言に対して過度な倫理や「正しさ」が求められ、生々しい本音を出す場所が失われています。しかし、ゲームのルールという「膜」を一枚被せることで、敵意むき出しではない形で自分の内面を吐露できる場が生まれます。

 ゲームは「遊び」の一種であり、遊びの本質は「現実の利害関係から切り離された空間」にあります。失敗してもやり直せるという「余裕」があるからこそ、人は現実世界では耐えられないような軋轢やジレンマを、ゲーム内で模擬体験し、冷静に向き合うことができるのです。それはテーマを軽くしているのではなく、その深刻さに近づくための「回路」をつくっていますよね。藤嶋さんの実践は、かつてSNSでのアクションで人々と接続されたときのあの感覚を、より丁寧な「対話の設計」としてゲームに落とし込んだものと言えるでしょう。

編集部