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女性器が「選ばれない」世界で。小田原のどか評「遠藤麻衣×百瀬文 新水晶宮」

身体と演じること、眼差しと欲望、セクシャリティとジェンダーについて、多様な角度からアプローチを重ねてきたふたりのアーティスト、遠藤麻衣と百瀬文が、男と女、自然物と人工物などに二分されることのない、新たな性のあり方を探る展覧会「遠藤麻衣×百瀬文 新水晶宮」(TALION GALLERY)。本展を、依然として強い性差別やジェンダーギャップが残る世界の現状を踏まえ、小田原のどかがレビューする。

文=小田原のどか

展示風景より、手前から遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》(2020)、《Love Condition Ⅱ》(2020) 撮影=木奥恵三 Courtesy of Talion Gallery

 1978年からUNFPA(国連人口基金)が毎年公開している報告書「世界人口白書」の2020年版が6月30日に世界同時発表された。「世界人口白書」は毎年テーマを設けて特定の問題を焦点化するが、今年のテーマは「有害な慣習」であった。すなわち、男児選好、児童婚、女性性器切除などである。

 ここにおいて衝撃的な内容が明らかになる。UNFPAは次のように声明を出している。「いくつかの国では、娘よりも息子を極端に好む男児選好により、出産時の偏った性選択や極端なネグレクトによる育児放棄につながり、その結果1億4000万人もの少女が『消失』している」(*1)。この発表を受け、新聞記事やニュースサイトは「女児 1億4千万人が『消失』」などの見出しで本件を報じた。

 UNFPAの調査によれば、このような男児選好によって失われた女児は1970年の時点で6100万人、2020年までで累計約1億4000万人にのぼる。中国、インドでこの傾向が顕著に見られるという(*2)。ここでの命の選別は、ネグレクト、中絶などによって行われるが、とくに中絶に注目したい。胎児の染色体の性は受精時に決定されるが、胎児が男であるか女であるかという「判別」とは、ある程度胎児が成長したのち、超音波検査を介した陰茎の視認によっていることがほとんどだ。

 このような「判別」が大きな問題をはらんでいることは明からだ。なぜか。「遺伝子の性」「性腺の性」「ホルモンの性・性器の性」「脳の性」、端的に言えば、心、体、指向、様々な要素がからみあって「性」はある。つまり、中絶における男児選好とはペニス崇拝であり、「ペニスのない者」を抹消しようということにほかならない。

 さて、「世界人口白書2020」が発表された数日後から、東京・目白で始まった遠藤麻衣と百瀬文による展覧会「新水晶宮」では「理想の性器」が思考されている。本展の核を担うのは75分の映像作品《Love Condition》(2020)だ。

 《Love Condition》は、発話者と行為者が一致しているかは明らかではないものの、遠藤と百瀬とおぼしきふたりの人物の4本の手が水粘土をこねて様々な性器の形状を考察しながら、性差と身体、二次創作におけるオメガバース、性器の整形、射精至上主義、コロナ禍での新たな性交渉についてなどがざっくばらんに話し合われる。ここでの粘土による身体創造行為は、旧約聖書『創世記』におけるアダムという男性器の創造が土を用いて行われたことを下敷きとしているのだろう。

展示風景より、遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》(2020) 撮影=木奥恵三 Courtesy of Talion Gallery

 本展のタイトル表記の「遠藤麻衣×百瀬文」は「二次創作におけるカップリング表記」を指しているというが、《Love Condition》は共同制作における攻守、ひいては人が複数で行為する際の関係性の規範としての「攻め」「受け」とは何によって規定されるのかという問いをも内包している。4本の手による交接とおしゃべりは75分でエンディングを迎えるが、映像内で射精偏向の性交への疑問が呈されているように、「クライマックス」は用意されていない。

 しかし本映像内で最後に形づくられた「性器」は樹脂粘土で再制作され、《新水晶宮》という本展のタイトルを冠されて「作品」として会場に展示されている。とはいえこの《新水晶宮》は、理想の固定化ではなく、水粘土や樹脂粘土の可塑性を媒介とした、変幻自在な未来の提示のように思われる。

展示風景より、遠藤麻衣×百瀬文《新水晶宮》(2020) 撮影=木奥恵三 Courtesy of Talion Gallery

 《Love Condition》の背景には、発毛の生命体が海辺で出会い、生殖的な行為を行い、すれちがって去って行く様子をとらえた15分ほどの映像《Love Condition Ⅱ》(2020)が展示されている。脊椎動物の目を思わせる眼状紋を有するこの生物は、肛門のような二対の瞳を持ち、ほふく前進をするように砂地を進む。

展示風景より、遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition Ⅱ》(2020) 撮影=木奥恵三 Courtesy of Talion Gallery

 二者は別個体を認めると、勃起の明喩のように立ち上がり、内部器官を伸ばしてふれあう。いったいここで何が成されているのか、鑑賞者は十全に理解することはできない。言語も体内の構成も異なる異形の生物に「愛」はあるのか。性差も判然としない生物の交接をとらえた本作は、Love Condition、愛の信念について、不思議な感慨を覚えさせる。

展示風景より 撮影=木奥恵三 Courtesy of Talion Gallery

 ところで、本展のタイトルである新水晶宮の「水晶宮」とは、世界で最初の万国博覧会であった第1回ロンドン万博の会場建築の愛称を指している。この建築物は30万枚ものガラス板が用いられ、内部は赤、青、白、黄色で塗り分けられていたという。本展にもその色彩は踏襲されている。ライティングと映像作品内部の背景の黄色、会場壁面の白色、そして《Love Condition》内の登場人物たちのネイルカラーとしてである。

 水晶宮を会場としたロンドン万博は大成功を収め、ここでの利益をもとにヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムや科学博物館、ロイヤル・アルバート・ホールなどの英国の人文知の礎をなす文化施設がつくられた。

 遠藤と百瀬がそのような文化の端緒としての「水晶宮」に重ねたのは、子宮のイメージだ。「新水晶宮」、つまり子宮という性器を再考するための展示をかたちづくり、ふたりはいくつもの問いを投げかける。とはいえ、ここで行われているのは討議ではない。《Love Condition》で映された創造行為が、対象を慰撫するような「マッサージ」としても意図されていたように、「ケア」の思想に基づくものである。

 男性器が優位に選別される世界、男性器を持たない者が抹殺される世界にわれわれは生きている。このような「選別」が行われる背景にある交接器にまつわる「理想」への疑義は、絶えず喚起されることが必要だ。遠藤と百瀬によるおしゃべりは決して終わらない。会場に足を運び鑑賞すること、こうして書くこと、いまあなたに読まれることで、何度でもそこに加わろう。

展示風景より、遠藤麻衣×百瀬文《Love Condition》(2020) 撮影=木奥恵三 Courtesy of Talion Gallery

*1──「世界人口白書2020  自分の意に反して:女性や少女を傷つけ平等を奪う有害な慣習に立ち向かう」
*2──「朝日新聞」2020年6月30日付

編集部

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