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つくり、残ったものはどこへ行く? 福永信評「青木陵子+伊藤存 変化する自由分子のWORKSHOP」展

個別にアーティストとして活動しながら、共同制作を行ってきた青木陵子+伊藤存。この二人による展覧会「変化する自由分子のWORKSHOP」が、東京・神宮前のワタリウム美術館で開催された。2017年と2019年に参加したリボーン・アートフェスティバルでの滞在制作を経た二人が展開する「ワークショップ」を、小説家の福永信がレビューする。

評=福永信

「青木陵子+伊藤存 変化する自由分子のWORKSHOP」展 会場風景 撮影=今井紀彰

「つくった」後に変化する物

 会場に持ち込まれたすべてを十分に理解するのは難しい。2017年と2019年に開催されたリボーン・アートフェスティバルに二人が参加し、宮城県牡鹿半島の無人の浜で、またその先の網地島で、滞在制作した。そこでの成果は実り豊かなものだった。地元の人と交流するうち、人々の経験や知識、技術などが自然と二人に伝わって、どこかに残った。例えば、教わった魚網の縫い方などのようなかたちでも残ったりした。ワークショップの定義は様々であるが、人との交流によって、なんらかの物をつくるに至る、その一連の場を指すのだとすれば、二人が滞在制作で経験したのはまさに「ワークショップ」そのものだったろう。そのワークショップの結果、二人の手元に「残った」物、身体に「残った」感覚や技術をどうするか。ワークショップのあとに残った物は、どうなるのか。それが本展のねらいだと思うが、そういう説明はほとんどない。

「青木陵子+伊藤存 変化する自由分子のWORKSHOP」展 会場風景 撮影=今井紀彰

 本展の冒頭、あるいは会場の随所に、二人による言葉が掲示されているけれども、書かれているのは展示をどう見てほしいかという説明ではない。ヒントのようでもあるが、むしろ謎を深めているようでもある。二人は言葉を「解説してくれる便利な奴」扱いせず、会場に持ち込まれたすべてが日々変化していくための、栄養というか、呪文とみなしている。そんな気配が、文章の奥から感じられる。二人の言葉を読んで我々は大いに混乱すべきなのだ。

「青木陵子+伊藤存 変化する自由分子のWORKSHOP」展 会場風景 撮影=今井紀彰

 解説的な言葉が、まったく皆無というわけではない。極めてさりげなく提示されており、例えば、乾いた土が、皿の上に小ぶりのチャーハンのように盛られているのだがそこに「土は最初、混沌としてみえる」と書かれている。確かに混沌として見えるのであるが、すぐ隣に「整理すると粘土になる」と書かれ、実際に粘土になって置かれている(「整理すると」という言い方が面白い)。皿に、もとい、さらに「浪田浜に作った煮炊き用の簡単なコンロに入れると低温の焼き物になる」とあり、土器のようなのが置かれている。土が自ら語っているような文章で(三人称だが)、割と膝丈の台座の上で場所を占めている焼き物各種なのであるが、この文章によって「波田浜」由来の物であり、ははあこれが例の「無人の浜」か、と具体的に知ることができるわけである。似たようなことは次の展示室の特設ショップにもあって、そこで売っている例えばサコッシュのタグに「島の裁縫上手のSさんはこの型のバッグを作っては友達にプレゼントしていた」といった説明書きがある。商品のサコッシュ自体は「Sさん」の作ではなく、そのつくり方を習って別途つくられた物である。つくり方が伝授されたわけだ。しかも若干変化しながら伝わっていると思われるのは、ショップロゴが刺繍してあったり、「網地島で焼かれた土のビーズ」がワンポイントとしてぶら下がっているからだ。

展覧会のなかのお店「METAMORPHOSES」 撮影=今井紀彰

 「土のビーズ」は、最初の展示室に飾ってあった刺繍作品にも縫い付けられており、最後の展示室では大きなアニメーション映像に影を落とすインスタレーションの一部としても使われている。美術館の展示室のあちこちに、まるでタネのように、土のビーズは飛んでいっているのである。

 ワークショップの果てに「残った」物が、二人の身体を通して、ドローイングに生まれ変わったり、刺繍に化けたりした。土は、土器のようになり、土のビーズになり、商品や作品にくっついたり垂れさがったりした。9年前の《9才までの境地》が久々に披露されているのは、変容をひたすら繰り返すこの二人のアニメーション連作が、物の変化を見守る本展のねらいと共鳴するからに違いない。《9才までの境地》も当時の面影を残しながら(例えばスポンジに投影するとか)、膝丈の台座の上で、雑多な物と混じり、違う見え方へと変化している。見間違いかもしれないが、若干当時よりスローモーションになっていたアニメーションもある。今後も変化しながら、育っていくことだろう。9年後も見てみたい。

「青木陵子 + 伊藤存 変化する自由分子のWORKSHOP」展 会場風景 撮影=今井紀彰

 しかし、もっとも変化したのは、我々観客かもしれない。展覧会の観客として入場したはずなのに、二人の書く言葉を読む読者となり、いつの間にか特設ショップの客になり、《七夕workshop》や《沈黙交易》と題された「セルフ」のワークショップ(*1)の参加者にもなって、結局、振り返ってみれば、土のビーズを追う旅人だったのだから……と、サコッシュを肩にかけ、帰りの電車の乗客になりながら私は思った。

 

*1──美術館1階の受付の近くに会期中常時設置してある。参加自由。ワークショップ受難のこの時期に、なんとか「中止」を回避すべくひねりだしたアイデアだろう。

編集部

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