2020年4月7日、関東、近畿、九州の7都府県に新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大防止を目的とした緊急事態宣言が発令され、多くの美術館やギャラリーが閉鎖された。それにともない、本来開催されるはずだった展示の代替として、YouTubeなどの動画配信サービスを利用した擬似的な展示ツアーやウェブサイト上の作品販売、図録の無料公開などが相次いで行われた。
この出来事はまた、美術館が持つコレクションのデータや展示記録のアーカイブの重要性についての議論を活発化させた。その究極のかたちは、おそらくアンドレ・マルローが1947年に出版した『芸術の心理』第1巻(*1)で提示した「空想美術館」のコンセプトに近いネット上のデータベースだろう。マルローが考えたとおり、作品のコピー同士を物理的、距離的な制限なく無限に相互参照できる「空想美術館」が実現できれば、美術史上の新発見がしやすくなるのは間違いない。また、その発見が従来とは違う美術の価値基準をもたらすことも容易に想像できる。けれども、結局のところ美術作品はモノである。どんなにすぐれたデータベースが作られたところで、そのモノが展示されている場所に足を運んで鑑賞する行為の代替になるわけではない。画家の梅津庸一が主宰するパープルームの「常設展」(2020年4月28日〜5月5日)と「常設展II」(2020年5月23〜30日)は、上記のような議論がSNS上で活発にやり取りされた「外出自粛」期間中に、相模原市のパープルームギャラリーで開催された。
第1回の「常設展」は、2018年11月に開業した同ギャラリーにとって初めての「常設展」である。そこにはパープルームのメンバーである梅津庸一、アラン、安藤裕美、シエニーチュアン、わきもとさきの作品と、「概念芸術」で知られる松澤宥の初期ドローイングが展示された(*2)。
「常設展」図録の巻頭言には、「オンライン上の様々なサービスは、展覧会という形式を代替できるのだろうか。また、展覧会とはコンテンツの器に過ぎないのだろうか。」(*3)という疑問が書かれている。とはいえ同展の目的は、そのようなサービスを声高に批判することではない。その趣旨は、あくまでも「制作と生活、そして美術という営み」についての展覧会を「静かにひっそりと」開くことにある(*4)。ただし、静かな怒りや、ある種のやるせなさが同展の展示空間を支配していたことは否めない。その雰囲気をつくり出していたのは、まちがいなくコロナ禍であった。同展図録によると、わきもとが勤めていた近隣のファミリーレストランが疫病の影響で深夜営業をやめ、それによって彼女の収入が途絶えたのだという(*5)。その店舗が閑散としている様子を描いた安藤の油彩画《誰もいなくなった相模原のジョナサン》(2020)はこの苦境をとらえた一種のレアリスム絵画である。と、こう言葉で説明するのは簡単だ。だが、首都圏郊外の交通と物流の要路である国道16号と並行する「抜け道」沿いに建ち、平常時であればけっして交通量が少なくないはずのギャラリー近辺が疫病の影響でしんと静まりかえっているという、あの特殊な状況下で鑑賞するか否かで、このエピソードと絵画の印象は大きく異なるだろう。皮肉なことに、経済活動の麻痺によって、相模原の空気は今まで誰も経験したことがないほどに澄み渡っていたからである。
そのやるせない雰囲気が街に蔓延するなかで、パープルームがギャラリーの観客に近隣の寿司店「みどり寿司」を紹介し、その様子をSNSで伝え始めたことは注目に値する。「外出自粛」の影響で客足が遠のいていた飲食店に客を誘導する彼らの行動は、展示と飲食店の相乗効果を生んだ。筆者はこれを「地域アート」的なできごととする見地には立たないが、アート・コレクティブが主宰する小さなギャラリーやオルタナティブ・スペースが街の人びとに受け入れられるためのモデルケースとして、この事例から学べることは多いだろう。
つづいて開催された「常設展II」は、「静かにひっそりと」美術展のあり方について考察したという「常設展」とは打って変わって、オンライン上のサービスとしてのデータベースに対する物理的なアーカイブとしての展覧会——すなわち、展覧会そのものを物理的な記録として保存し、必要に応じて再現できる仕組みをあらかじめそなえた展示——の実現可能性を積極的に提示した展覧会であると筆者は考えている。そのアイデアを象徴するのが、会場のファサードに設置され、同展のアイコンとなっているピンクの格子状の構造物だ。
ギャラリー正面のガラス窓と作品が展示されている空間の間に格子を設置し、展覧会を「入れ子状の室内画」(*6)に仕立て上げたという同展は、2015年7月にARATANIURANOで開催された「パープルーム大学」の複雑な会場構成が抱えていた「再展示が不可能」という問題点を解消するべく設計されたとパープルームは説明している(*7)。つまり、展覧会の構成要素をコンパクト化し、再現可能性を考慮したシンプルな枠組を持たせることが「常設展II」の展示構成のひとつの目的であったのだという。そして、このパープルームの説明に筆者が付け加えるならば、同ギャラリーが目標とする枠組の確立には美術展の模型(モデル)化が必要である。
同展には、模型にまつわる作品が複数展示されている。すなわち、2×4(ツーバイフォー)工法の建物を模したという梅津の陶芸作品《密室》(2019-2020)。東京の日本橋三越本店で開かれた「フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」展(2020年6月10〜29日)の模型を囲んでいる梅津らの姿を描いた安藤の《フル・フロンタル展の模型を見る梅津庸一としー没と星川あさこ》(2020)、そして立体的なゲーム盤のモデルであるアランの《渡り鳥のゲーム》(2020)。これらの模型もしくは模型を主なモチーフとする絵画がピンクの格子の内側に配置され、外側には家の模型を半透明の樹脂でできた箱で覆った播磨みどりの立体作品《婚約(実家)》(2004)が設置されている。
播磨の立体作品《婚約(実家)》は、「常設展II」が目指すシンプルで再展示可能な会場構成のイメージをもっとも雄弁に物語っている。すなわち、会場構成全体をコンパクトに収納、持ち運び可能な一種のキットとして設計し、必要があれば展示をまるごと保管することも別の場所で再現することも可能な状態にしておくこと。ピンクの格子は、その運用を実現するためのモジュールとして機能している。
この格子のつくりは単純だが、多機能である。まず、「常設展II」において、格子は展示の内と外を分けるファサードの役割を持つ。また、キャンバスの粗い目がまるで網戸のように風景を透過するシエニーチュアンのタブロー《浸透圧のせいで、メディアケーキの中に住む場所がありません》(2020)がここに設置されていることからわかるように、作品展示のための仮設壁としても機能する。通常、美術館などで「壁を立てる(仮設壁を設置する)」場合は骨組みの上に板を張って構造を隠すものだが、パープルームの格子はあえてその化粧を省いている。それによって軽量化とコスト削減を実現しているほか、目の前に壁が立ち塞がることによる圧迫感——パープルームギャラリーのような小規模な展示スペースでは大きな問題となる——を軽減する効果をも有している。そして何より、この便利なユニットがごく一般的なホームセンターで売られている材料で簡単に制作できる点がもっとも重要だ。必要な寸法や用途によって簡単にカスタマイズでき、比較的軽量で持ち運びしやすい展示用モジュールとして、この格子は様々な応用可能性を持つ。
パープルームギャラリーの「常設展Ⅱ」が見せた「入れ子状の室内画」の構想と、その構想を象徴する格子状のユニットは、小規模ギャラリーが慢性的に抱えている空間の狭さと内装工事にかける資金の不足を解決する合理的なアプローチであるのみならず、運用の方法によっては展示それ自体の可搬化をも実現する優れたアイデアである。もしかしたら、各地に点在する数多の小規模展示スペースがこのようなノウハウを個々に蓄積し、あるいは共有することによって、オルタナティブなギャラリーの展示技術が次の段階に飛躍する時が来るかもしれない。そして、それは、公共性の観点からネット上のデータベースの拡充が求められる大規模ミュージアムの枠組とは異なった、草の根シーンの小規模展示ならではの価値を生み出すはずだ。すくなくとも、パープルームが「常設展Ⅱ」で行った展示要素のミニマル化とモデル化は、小規模ギャラリーの持続可能性の問題に対するアプローチとして、非常に興味深い。
*1──邦訳のタイトルは『東西美術論1 空想の美術館』小松清訳、新潮社、1957年。
*2──パープルームギャラリーでは、過去2回にわたって松澤宥の展覧会が開かれている。
*3──「本展について」『常設展』(展覧会カタログ)パープルームギャラリー、2020年、3頁。
*4──同上。
*5──同書、2頁。
*6──「本展について」『常設展II』(展覧会カタログ)2020年、2頁。
*7──同上。